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第6章 真珠はほどけ、運命は絡む(1)

ドン――!


肋骨を内側から殴られたような衝撃。

体がぐらりと傾ぎ、空気ごと叩きつけられる。

硝煙のにおいが鼻を刺し、悲鳴が弾ける。


会場は一気に阿修羅場あしゅらばと化した。


「きゃあああああああ――!」

「近衛兵――! 近衛兵はどこだ!?」

「皇、皇子殿下が!」

「テ、テロだ! こんなことが…… どうしてこんなことが!」


何も、見えない。耳だけが熱い。


「……エーリヒ?」


横に押し倒されたアルブレヒトは、親友の名を呼んだ。

ここが公式の場だということなど、彼の頭から完全に抜け落ちていた。


エーリヒは。

エーリヒはどこにいるのか。


「エーリヒ――!」


自分を横に押し倒して、その代わりに衝撃を受けた親友は――どこにいるのか。

悪寒が這い上がり、手が震える。


「返事をしてくれ! お願いだ! エーリヒ――!」


お願いだから、答えてくれ、エーリヒ。

君が俺のために死んだのなら、俺は――!


その時だった。


「……はい、アルブレヒト殿下」


すぐ横から聞こえる、いつもの優しい声。


「……!」


声の方へ振り向く。


視界の端で、赤が波のように揺れた。

その赤さが髪だと気づくまでに、少し時間がかかった。


ほどけた赤髪が、目の前を漂う。

オブロフの……使節。


そして、その傍に――エーリヒがいた。

血の気の引いた顔で、唇だけがわずかに震えている。

それでも彼は、アルブレヒトを安心させるように微笑んだ。


エカテリーナが二人を振り返り、柔らかく口の端をゆるめた。


「間に合って、良かったです」

「イリィチャ令嬢……」

「オブロフの使節……これは……?」


薄緑の透明な膜が、三人を包んでいた。

濁った視界の中で、彼女の髪と瞳だけが鮮やかだった。


その間にも、彼らを包んでいた膜は徐々に薄れ――やがて消えていった。

周囲に漂っていた異質な空気も、嘘のように引いていく。


当惑に目を見開く二人の男を見て、エカテリーナはようやく実感した。


――これで、運命のレールは外された。


「アルブレヒト殿下――!」

「殿下! お怪我は!」

「ああ……。俺もエーリヒも、無事だ」

「殿下! エーリヒ! ご無事で……、本当に良かったです……!」


腹心たちが駆け寄り、安堵の息が広がる。


小型爆弾とはいえ、この距離なら即死だ。

離れた場所にいた貴族たち数人でさえ、血を流しながら倒れ込んでいる。

それなのに、この至近距離にいた二人が、傷一つ負っていない。


まさに、奇跡だ。


――しかし、どうして?


「卿らは、無事か?」

「はっ! マルコとクリンスマンが少し負傷しましたが、命に別状はありません!」


負傷者たちも頭を下げる。

その顔には、悔しさと安堵が入り混じっていた。


「私どもが側にいたのに……! 申し訳ございません、殿下!」

「本当に天の采配さいはい、創造神シャダイの加護としか思えません……!」

「……すべてイリィチャ公使のおかげだ」


皆の視線が、一斉に青ざめた彼女へ注がれた。


「……!?」

「なぜ、オブロフの使節が?」

「……イリィチャ公使。お疲れのところ恐縮ですが、説明をお願いします」


参謀ユルゲンが眼鏡を押し上げ、鋭い眼差しで彼女を睨んだ。

エカテリーナは少し肩をすくめ、床に散らばった真珠を示した。


「首にかけていたネックレスです。オブロフ魔導工学の集大成とも言える防御魔導具で……。

防御膜を張って、どんな攻撃も防いでくれます。一度だけですけど」

「そんな物がオブロフに……!」

「お金があっても、手に入れるのは難しい物です。作れる職人が一人だけなので……。

成人の祝いでねだり、父から受け取りました。まさか……帝国で使うとは」


ユルゲンの鋭い瞳が、眼鏡越しに彼女を睨んだ。


「……そのお言葉。公使はまさか、今のことを予想していましたか?」


防御魔導具を持っていたとしても。

一瞬で反応するのは、普通の反射神経では到底無理だ。

鍛えた兵でさえ、あの状況なら遅れるはずだった。

大切に育てられた令嬢に、そんなことができるとは思えない。


しかも彼女は、まさに今、死にかけたばかりだ。

泣き崩れて当然の場面なのに、異様なほど冷静さを保っている。

これは、並の訓練で身につくものではない。


つまり、今のことを予想していたとしか考えられない。


ユルゲンがさらに追及しようとした時だった。


「エーリヒ……! アルブレヒト……!」


後ろから、慌ただしい声が聞こえた。


必死に走ってくるアーデルライド皇女の姿が見えた。

薄緑のドレスが乱れ、金髪が激しく揺れる。


「姉上!」

「皇女殿下……!」

「ああ、アルブレヒト……エーリヒ……!」


二人の無事を見て、彼女は膝から崩れた。

そんな皇女を、急いで駆けつけたアルブレヒトとエーリヒが支える。


陶器のように美しい皇女の顔を、透明な水滴が伝った。

ぽたぽたと、涙が流れ落ちる。


「良かったです……本当に、良かったです。二人とも無事でいて……」

「もちろんです、姉上。私はそう簡単には死にませんから」

「アルブレヒト……」


アルブレヒトは人目など気にせず、小刻みに肩を揺らす姉をそっと抱きしめた。

明るく話しながら、姉を慰める彼の手つきは優しかった。


アーデルライドの震えが、徐々に収まっていく。

彼はそっと彼女の腕を解き、優しい声で続けた。


「俺だけじゃない、エーリヒも無事です。

ほら、姉上。見てください」


潤んだ目を上げたアーデルライド皇女と、エーリヒの目が合った。


礼を尽くして彼女を見つめ、微笑むエーリヒ。


皇女は茫然と、彼の身体を確かめていた。

やがて、その口から、かろうじて沈んだ声が漏れる。


「シャダイ様……感謝を。エーリヒ、もし、そなたが……そなたが……!」


――『良くないもの』を見せたくない。


弟からそう頼まれて、あえて遅れたのだった。

入り口にたどり着いた瞬間、爆音が鳴った。


胸が、凍った。


止める声は届かず、彼女は無我夢中で走った。

もしも愛する弟に、そしてエーリヒに何かあったら、この心臓まで止まっていただろう。


どうにか胸に埋めようとした……。

けれど、埋めきれなかった気持ちが込み上げてくる。

アーデルライド皇女は、もうそれ以上、言葉を続けることができなかった。


「皇女殿下」


エーリヒが静かに歩み寄る。

アーデルライド皇女は、かろうじて答えた。


「……すみません。早く立ち上がらなければいけないのに」

「私は大丈夫です。どうか安心してください、アーデルライド殿下」

「エーリヒ……」


まだ立ち上がれないアーデルライド。

今もなお、その頬は濡れたままだった。

それを見つめるエーリヒは、切なげに微笑む。


「……皇女殿下。どうか私の無礼をお許しください」

「……えぇ? あっ……!」


エーリヒは一歩前へ進み、そっとハンカチを取り出した。

まだ頬を伝う涙をやさしく拭い、温かなまなざしを向ける。


遠い昔、三人で遊んでいた幼い頃と同じ。

変わらぬ微笑みだった。


「どうか……泣かないでください、アーデルライド殿下」

「エーリヒ……」

「泣かないでください。

私はアーデルライド殿下の涙を見るのが、世界で一番……怖いのです。

幼い頃も、今も、きっとこれからも……永遠に変わらないでしょう」


その言葉に、アーデルライドは何も返せなかった。

ただ、ハンカチを持つ指先に、わずかに力がこもったままで。


その姿を見つめていたアルブレヒトだけが、何も言わずに目を閉じた。

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