表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/15

第5章 運命は変えるためにある(2)

耳元で囁くと、彼の瞳が大きく見開かれた。

その迷いが揺らいだ瞬間、私はエーリヒの腕を取る。


エーリヒの体が硬直した。


「イリィチャ令嬢……」

「私が感謝の言葉を申し上げてもよろしいですか、エーリヒ?」


結局、エーリヒは私の手を振りほどかなかった。


「承知いたしました。ご一緒に」

「ありがとうございます! やっぱりエーリヒがいてくださって助かりましたわ!」

「はは……。それでは、入場いたしましょうか」


エーリヒにエスコートされ、会場の入り口へと進む。

華やかな照明の向こうに、星が一つ、二つと昇り始めていた。


――防御魔導具ぼうぎょまどうぐは、範囲が限られている。

すぐ側にいなければ、守れない。


……だから私は、あなたの側にいなければならない。


首に掛けた真珠のネックレスが、星明かりを受けたように輝いた。


これを使えば、あなたを救えるはず。


そう信じる。

そう祈るしかない。



***


黄金の装飾が繊細に施された扉の向こう。


紺碧の天井を戴く大広間が、視界いっぱいに広がる。

高い天井からは幾つものシャンデリアが光を落とし、金の燭台と壁一面の装飾をまばゆく照らす。


赤い薔薇と黄金の獅子。

帝国の紋章をかたどった意匠が、広間のあちこちを埋め尽くしていた。


空へ向かって前足を掲げる巨大な獅子像の下。

色鮮やかな礼装の貴族たちが、香水と化粧粉の匂いを漂わせながら賑やかにさざめく。


眩しすぎる光と甘く重たい匂い。

夢のように華やかで、息苦しいほど帝国らしい空間だった。


欲望と打算が満ちるその場所で――上級従者が、朗々と主役の入場を告げる。


「アルブレヒト・ルイス・ヴァルトヴィン・フォン・ローゼンハイト殿下でございます――!」


瞬く間に、人々はぴたりと口を閉ざした。

視線が一斉に、入場口へと向けられる。


今回の内戦の勝利者。


彼が帝国の皇太子になることを、誰もが知っていた。

そして、放蕩の末に病に冒された皇帝が死ねば、次に帝位へ就くのも彼であることを。


煌めく軍服に身を包んだアルブレヒトが、ゆっくりと歩みを進める。


赤地に金の装飾が映える、帝国礼装の軍服。

腰まで届く白金の髪は一つに結われ、背へと流れていた。


氷を思わせる青紫の瞳。

その奥には、刃のような寒気が宿っている。


びくり――。


視線がかすっただけで、貴族たちの肩が震えた。

アルブレヒトの口元に、薄い嘲笑が刷かれる。

今まで卑しい出身の皇子と見下してきた貴族たちの目に、恐怖が満ちていた。


――すぐに粛清される卑しい皇子。

そう見られていた。

だから婚約すらできず、今日この場に並ぶパートナーもいない。


今さら慌てて駆け寄るハイエナたちの手を、取る必要はなかった。


貴族たちが波のように頭を垂れていく。

その波の中を、アルブレヒトは壇上へ向かった。


やがて、澄んだ声が広間に響き渡る。


「リューネの日を迎え、今年も帝国に祝福を授けてくださった――

偉大なる創造神シャダイに感謝を。

また、本日この場に集った皆に、歓迎の意を示そう。

今宵は、心ゆくまで楽しむがよい」


盛大な拍手が広間に響く。


儀礼的な挨拶を終えたアルブレヒトは壇を降り、腹心たちの輪へと歩みを進めた。


軍服に身を包んだ屈強な青年たちは、肥えた鶏の群れに紛れ込んだ鷹のようだった。

彼らは右腕を胸に当て、深く頭を下げる。


「お越しになりましたか、殿下」

「ああ」


銀髪の男が、楽しげに口を開いた。


「人々の怯えた表情が見ものですな。

どうやら、素晴らしい余興が待っているという噂は、十分に広まっているようですね、殿下」

「おい、フランツ!」


茶髪の男が肩を掴んで制する。

だがアルブレヒトは、片手を上げただけだった。


「構わない、マティアス。

今日の『メインディッシュ』が何か、ここにいる者は皆、知っているだろう」


温度のない嘲笑が、彼の唇をかすめる。


すらりとした長身の銀髪の美男、フランツ。

小柄ながら、がっしりとした体格のマティアス。


似ていない友人同士として、二人はよく知られていた。


貧しい男爵家出身のフランツと、平民出身のマティアス。

二人に共通する点は、ただ一つ。


――貧しさを乗り越えるために軍へ身を投じ、アルブレヒトを主君として選んだこと。


そして、決定的に違うのは女関係だった。


マティアスは幼馴染との結婚を間近に控えている。

一方のフランツは、稀代の女たらしとして悪名高い。


……それでも、これほど仲がいいのだから不思議なものだ。


まあ、エーリヒも俺とはそこまで似ていないが――。


そう考えたところで、アルブレヒトはふと気づく。

エーリヒが、まだ来ていない。


アルブレヒトの端整な顔の眉間が、かすかに歪んだ。


「エーリヒは?」

「こちらに向かっていると連絡が」

「それでは、なぜ――」


人々の波が割れる。

奇跡を起こす魔法使いのように、エーリヒがこちらへ歩いてくる。


――問題は、その隣にいる女だった。

エーリヒにぴたりと寄り添う、見覚えのない女。


鮮やかな赤髪を見た瞬間、誰なのか察する。オブロフの『あの』使節だ。

アルブレヒトの眉がぐっと吊り上がる。

心優しいエーリヒは、彼女を置いて来られなかったらしい。


……審美眼が非常に高く、並の美人には手を出さないというオレスキーだ。

なるほど、あの男の娘というわけか――。


蒼白なほど白い肌が、波打つ赤髪によってより鮮やかに際立つ。

光を受けて髪がきらめいた瞬間、理由もなく胸が疼いた。


……雪原に咲いた、赤い薔薇のようだ。


アルブレヒトは思わずそう考え、すぐに首を振った。


視線を追っていたフランツが、小さく口笛を吹く。


「エーリヒの隣にいるということは、あの女性がオブロフの使節ですか?

おおー! これは驚きですね。オブロフの使節が、まさかあれほどの美人とは!」

「思ったより若く見えますね。何歳ですか?」


感情の読めない灰色髪の男が、眼鏡を押し上げながら答えた。


「エカテリーナ・アースナヤポリャーナ・イリィチャ。年齢は二十二。

終身統領オレスキーが認めた唯一の娘で、オブロフ社交界の女王とも呼ばれている」

「ふむ……神も、本気を出す時があるようですな」


フランツの視線は、舞踏会の灯りを受けて輝く赤髪に吸い寄せられる。


「こんな美しい女性がオブロフにいたとは……」


その親友を不安げに見やり、マティアスが低く釘を刺した。


「……頼むから、外国の使節には手を出さないでくれ」


だが、フランツは悪びれもせず肩をすくめる。


「あれだけ多くの令嬢たちの中でも、一瞬で視界を奪うなんて――。

圧倒的な存在感だ。無視する方が、むしろ失礼だろう?」

「君の好みじゃない女性もいるのか?」

「もちろんだとも。女性は誰もが美しく、敬意をもって讃えねばならないんだぞ」


フランツの視線が賑やかな人波の向こうを捉え、興味深そうに口角が上がる。


「――フランツ」

「……申し訳ございません、殿下」

「使節の前で、だらしない姿を見せるな」


そのやり取りが終わるころ、エーリヒが女性を伴って到着した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ