第5章 運命は変えるためにある(1)
いよいよ今日だ。
私は鏡を見つめ、最後の『武装』を点検する。
肌、OK。髪、OK。
ドレスと装飾品の調和も悪くない。眉も唇も完璧。
――あっ、表情が硬い。リラックス、リラックス。
今日で、すべてが決まるだろう。
エーリヒの運命も、アルブレヒト皇子の運命も。
そしておそらく……私の運命も。
二人を救えるかもしれない。
救えないかもしれない。
もしかすると、私まで巻き込まれて死ぬかもしれない。
両腕で身体を抱きしめた。
正直、怖い。
高性能な防御魔導具は持っている。
それでも、爆弾のど真ん中に飛び込むのだ。
今でも逃げ出したいくらい、怖い。
そして、もしかするとそれ以上に怖いのは――
今日以降、私は父の庇護を失うかもしれないこと。
父オレスキーは、今回の件を知りながら傍観している。
帝国が強くなることは、オブロフのような中立国にとって望ましくないからだ。
だから、アルブレヒト皇子とエーリヒを救うことは――
あの『恐ろしい父』の意思に逆らうことになる。
それなのに、私は彼らを救いたいと思っている。
「……やっぱり私、正気じゃないみたい」
まあいいや。
勘当されたら、世界旅行でもしよう。
まだ行ったことのない国は、たくさんあるし。
お金は……まあ、七皇子から巻き上げればいいだろう。
自分と大切な親友の命の値段くらい、払ってくれるはず――。
そう信じることにした。
鏡に映る自分へ、私はふっと笑みを向けた。
緊張しているのに、生き生きとしている。
父の影の中で息を潜めてきたオブロフのエカテリーナが、一度も見せたことのない表情。
「お迎えに参りました、イリィチャ令嬢」
私は目の前の男に、明るく微笑んだ。
――そして胸の内で、ひそかに思う。
エーリヒを救って、あの皇子が本気で感謝する顔を、絶対に見てやろう。
今まで、結構苦労してきたんだからね。
「待っていましたわ、エーリヒ」
賽は投げられた。
***
一年の収穫を天に感謝し、来年の豊作を祈る祭日――それがリューネの日。
帝国では毎年この日に、盛大な舞踏会が開かれる。
馬車を降り、会場へ向かいながら、私は心の中で舌打ちした。
二度目でも慣れないのね、この皇城……やりすぎよ、帝国。
視界の隅々まで、金箔と彫刻と絵画。
そこに無数の灯りが反射して、目が痛くなるほど輝いている。
――今ごろアルブレヒト皇子も、どこかでこの夜を見下ろしているのだろうか。
周囲には、彫像の列と見紛うほど衛兵たちが隙なく並んでいた。
皆、硬い表情で視線を巡らせている。
「舞踏会にしては、物々しい雰囲気ですね」
「今回は戦勝の宴も兼ねていますから。不穏分子が動く可能性に備えているのです」
外だけ固めても、内部の警備が甘ければ意味がないのに。
報告書の内容が脳裏をよぎる。
七皇子アルブレヒトは、内戦で三皇子クラウデルンの勢力を滅ぼした。
そして、彼だけは生かしておいた。
今日、この場で屈辱を返すために。
華やかな舞踏会のはずなのに、漂うのは張り詰めた空気。
ほとんどの者が知っているのだろう。
今日行われることが、勝利宣言であり、復讐であり……そして警告であることを。
空は暗くなり始め、入場を待つ人々の列が長く伸びていた。
爵位の高低に関係なく、招待状を提示し、順に入らなければならないらしい。
私は隣のエーリヒへ視線を向けた。
私のドレスに合わせた濃いグレーの礼服が、鍛えられた体格を引き立てている。
やっぱり、帝国側にパートナーを依頼してよかった。
私は内心、胸をなで下ろした。
もしパートナーを要求していなかったら……大使とここに立っていたということよね?
格好悪くて、頭頂部が寂しくて、腹まわりだけ立派なおじさんと入場なんて。
帝国デビューとしては、絶対にお断りだ。
大使のほうも、胃潰瘍の原因になりかねない私とは一緒にいたがらなかった。
おかげで、私たちの利害は見事に一致したというわけ。
――その時だった。
軍服を着た男が早足で近づき、エーリヒに耳打ちした。
伝言を聞いたエーリヒが、困ったように眉を下げる。
「イリィチャ令嬢……申し訳ございません。
儀典中は、アルブレヒト殿下のお側に付くようにとのことです」
……何ですって?
「あらまあ、どうなさったのですか?」
「……殿下のご命令です。
本来なら、パートナーであり国賓でもある令嬢を、
一時でもお一人にしておくべきではないのですが……」
ちょっと、ちょっと。
賓客の私を一人に? 入場直前に?
私の視線が、右へ左へと忙しく泳ぐ。
――アルブレヒト皇子の策略に違いない。
私の脳裏で、超美化された肖像画でしか知らないあの顔がよぎった。
挑発的な冷笑を浮かべている。
明らかに私を困らせて、恥をかかせるつもりね?
……なるほど……。
私に果たし状を送りつけてきただけのことはある。
わあぁ、斬新な歓迎の挨拶ね。
嬉しくて胸がドキドキしちゃう。
「本当に申し訳ございませんが、ご了承いただけますでしょうか?」
「うーん、仕方ありませんね」
「儀典行事だけ終わらせて、すぐに令嬢の元へ戻ります。
それに今からでも、代わりの方を探して――」
「まあ、そうではないんですよ。もっと簡単な方法があります」
「はい?」
私はニヤリと笑った。
「私も儀典に同席すればいいじゃないですか」
「……!」
「突然、賓客をパートナーなしで入場させる無礼を犯すよりは、ずっと自然です。
オブロフと帝国が友好関係にあることも示せますし――違いますか?」
父から教わった懐柔と小さな脅迫は、こういう時にも役に立つ。
政治的な駆け引きに不慣れなエーリヒは、言葉を詰まらせた。
「それは、そうですが……」
「でしょう? エーリヒも、私の意見に同意してくださいますよね?」
私の前で『いいえ』とは口にできず、エーリヒは困った表情を浮かべる。
どちらを選んでも、困るだろう。
賓客である私を放置して席を外すのも。
私を同伴して、アルブレヒト皇子の元へ向かうのも。
どうやらアルブレヒト皇子は、こんな命令を出すほど私が嫌いらしい。
……わぁ、嬉しくて体が温まるよ。
「それに……今さら入場のパートナーを見つけるのは難しいでしょう?
一人で入場するなんて、本当に残念なことですもの」
潤んだ眼差しの演技で、エーリヒの良心をくすぐる。
善良で礼儀正しい彼の性格は、もう把握済みだから。
「皇子殿下は、私に恥をかかせたいご様子ですね。
……エーリヒ、助けてくださるでしょう?」




