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第七話:二度目の初登校 〜小学生必死編〜

一九九七年、七月上旬。梅雨明け直前の、湿り気を帯びた風が校舎を抜けていく。

俺は、二十八年前に通っていたはずの小学校の門をくぐった。 中身が35歳、それなりの修羅場を潜ってきた営業マンだというのに、心臓がやけに騒がしい。喉の奥がカラカラに乾き、指先が微かに震える。知性はあっても、対人関係の根底にある「人見知り」という性質までは書き換えられないらしい。


(落ち着こう……。相手は子供。営業スマイルの仮面を被れ。2年3組……たしか、こっちだったような)


廊下の風景は、記憶の奥底に眠っていた「懐かしさ」の解像度を一気に上げていく。迷うかと思ったが、体が覚えていた。吸い込まれるように、俺は教室のドアを開けた。

問題は自分の席だ。 教室を見渡し、俺は意を決して一人の女の子に声をかけた。セミロングの黒髪少女。目がぱっちりと開いた美少女だが、どこか影を感じる。前世では会話した記憶はほとんどないが、確か、吉田さんだったはずだ。

彼女のさらりとした黒髪の質感を見た瞬間、脳裏に二〇二六年のあの夜に失った「冴子さん」の残像が重なり、足がすくみそうになる。


(……冴子さん。今の時代のどこかで、生きていればいいな。本当に前と同じ時代に俺が蘇ったのか、パラレルワールド的なのかわからないが。)


鼻の奥がツンと熱くなるのを、俺は必死で押し殺した。

できれば元気な姿を一眼だけでも見てみたい――そんな衝動が胸の奥でざわめく。


(いや、ダメだダメだ。会ってはいけない。そもそも今住んでいる県が違うから会えないが、もし会えば、また同じようなことが起きてしまった時に気が狂ってしまう。

そうならないためにこの時代を全力で生き抜くと決めたが、大切な人や大切なモノが増えれば増えるほど、自分の弱点になってしまう。これから俺が挑むのは、法と、国と、デポルという大悪党なのだから。

人質に取られたり、最悪奪われたりすることを考えると、大切なものを作るのは得策ではない。)


俺は何度も自問自答し、自室で決めた筈なのに、ただ黒髪が似ているというだけで、前世の自分の死に様や救えなかった人のことを考えてしまう。

気を取り直して、そして意を決して話しかける。


「吉田さん? おかしなこと聞くけど、俺の席ってここで合ってるかな。昨日ちょっと頭打っちゃって、頭がふわふわしてるんだ」


心臓はバクバクだが、声だけは冷静に作る。


「ううん、違うよ。久世くんの席はそこ」


吉田さんは少し不思議そうな顔をしながらも、丁寧に隣の席を指差してくれた。

(何だ、隣だったのか。)

お礼を言って席に着き、机の中を覗き込む。そこには、一度も家に持ち帰られた形跡のない、全ての教科書が詰め込まれていた。


(……ふふ、さすが過去の俺。全く家で勉強する気なかったんだな)


絶望的なまでの学習意欲のなさに頭を抱えながら、俺はさりげなく教室内を観察した。

前世では「ただの乱暴な子」だと思っていた連中の輪郭が、今は違って見える。


(……そうだ。あの頃は知らなかったが、掠奪種デポルはもうこの時代から、確実に根を張っていたんだ)


休み時間に大声で騒ぎ、他人の消しゴムを無造作に奪っていく男子。その首筋が、興奮とともにわずかに赤みを帯びていた。 今はまだ「子供のわがまま」に擬態しているが、あれが数年後、牙を剥く可能性もあるんだな。注意深く見ていこう。前世では特に何か事件が起こった訳ではないが、常時警戒はしておこう。

やがてチャイムが鳴り、授業が始まった。


(真面目に聞いてられるみんな、すごすぎる……)


周りの子供たちが、退屈そうな、あるいは必死な顔でノートを埋めているのを見て、俺はしみじみと思った。彼らには、この授業が「世界の全て」に見えているのだ。

俺は教科書をパラパラとめくり、内容を完全に把握した・・・そりゃそうだ、掛け算と割り算だけなのだから。

…小学生低学年の授業を真面目に聞くのは効率が悪すぎる。


(授業中は、先生の解説を聞いているフリをして、法律の勉強と、前世の知識を整理しよう)


学校という場所は、俺にとっての「安全な自習室」になった。父がいない、デポルの影を警戒しながらも確保できる、唯一の自由時間。 俺の、15歳までに司法試験合格への真のカリキュラムは、この「退屈な授業」の裏側で、静かに、そして猛烈なスピードで始まった。

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