第六話:要件整理をしよう 〜小学生必死編〜
掌の血豆が潰れ、じわりと血が滲む。 スイングを続けながら、俺は脳内でホワイトボードを広げていた。 前世のIT営業として叩き込まれたスキル。
「顧客の要望を聞いて、バラバラの意見や仕組みを組み合わせて一つの動くシステムを作る仕事。理不尽な客の要望を『形』にするのが俺の専門だった。」
これをIT企業界隈では、「要件整理」という。
そのフレームワークを今、この「父親」という不具合だらけのシステムに適用する。
【現状把握(As-Is)】
対象: 久世大毅(三十三歳)。
経歴: 元プロ野球選手(ドラフト下位、一年でクビ)
課題: 過去の栄光への固執と、コーチや環境への他責思考。現実逃避のためのアルコール依存。
リソース: 母方の実家からの多額の和解金(当面の生活基盤)。
性質: 典型的な「昭和が産んだ悲しき傲慢モンスター」。息子を自分の「やり直し用アバター」と認識している。
「おい、恒一! 腰が浮いてるぞ! そんなんじゃプロじゃ通用しねえぞ!」
大毅の怒声が飛ぶ。 プロで何も通用しなかった男の言葉だ。滑稽ですらある。
だが、今の俺は「顧客の要望(要件)」を聞くIT営業の顔で頷く。
「……はい、やり直しまぁす!」
営業は元気なフリが一番だ、従順に応じる。
【要件定義(Requirement)】
このシステム(父)の安定稼働に必要な「機能」と「制約」を整理する。
1. 機能要件『どうにかなること』:
承認欲求の充足: 「お父さんの言う通りだ」という肯定。これを与えるだけで、物理的な暴力の発生率は劇的に下がる。
時間の確保: 表面上の従順さを見せることで、自習(司法試験の基礎固め)に対する干渉を最小化する。
2. 非機能要件『どうにもならないこと』:
性格の改善: 期待しない。三十三歳の傲慢モンスターを今すぐ変えるのはコストに見合わない。
罵詈雑言の停止: 止められない。ただし、これは「ノイズ」としてフィルタリング(無視)すれば実害はゼロ。
(よし、前世とは違う。冷静になり、見えていることだけを見ようとするのではなく、背景を捉えることで進め方が見えてきた……)
「お前は本当に鈍臭いな。誰に似たんだか。……まあ、俺の言うことだけ聞いてりゃ、少しはマシになるだろうがな」
大毅が吐き捨てるように言い、また缶ビールを開けた。 かつては、この一言一言に心を引き裂かれ、母親がいないことまで自分のせいにしていた。 だが、今の俺は違う。
「お父さんに教えてもらえるのは、恵まれてると思います!」
笑顔すら作って見せる。
(ほら、こう言えばいいんでしょ。このボンクラめ!..ちょっと大袈裟にやり過ぎかな)
大毅は、自分の支配が完璧に行き届いていると誤認し、満足そうに鼻を鳴らした。 コントロールは完了した。
(ちょいちょい殴られるけど、前世よりだいぶん扱いがわかる。適当に褒めておいて体を止めなければいい。このポンコツシステム(親父)めちゃくちゃ簡単だった…)
俺はバットを振り続けながら、脳内のロードマップを更新する。
肉体は親父に作らせ、知性は親父の死角で磨く。
一九九七年の夏。俺は、静かに牙を研ぎ始めた。




