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第五話:久世大毅(暴力の化身) 〜小学生必死編〜

久世大毅。

当時なら、地元でこの名前を聞いた者なら誰でもわかる元プロ野球選手だ。 現役時代、実力だけなら間違いなくナンバーワンだった。だが、運に見放されていた。

無能なコーチや監督どもは、俺に試合の出場機会を与えず、目も当てられない下手くそばかりを起用した。 腐るなと言う方が無理だ。次第に準備を怠るようになり、たまに巡ってくる数少ないチャンスも、結果を残せずに逃した。

一年後、監督から言い渡されたのは「クビ」の二文字だった。 鳴り物入りでプロ入りしたわけではない。どこからも声はかからず、誰にも惜しまれず、話題にすらならず、俺の野球人生は終わった。

程なくして、妻のひとみとも離婚した。 理由は……今さら語るまでもない。ただ、事情が事情だったため、慰謝料として高額な金を受け取り、息子・恒一の親権は俺が持つことになった。 野球界には居場所がなく、妻は去り、手元に残ったのは一人の息子だけ。

恒一はいつしか俺や周りの顔色を窺うようになり、常にビクビクと怯えるようになった。その情けない姿を見ていると、かつて組織に怯え、居場所を失った自分と重なり、つい言動が荒くなってしまう。 だが、これもすべて恒一のためだ。こいつは弱い。だから、俺がすべてを管理し、野球を叩き込み、プロに育てる。それが親としての正解だと、自分に言い聞かせた。そのためには暴力さえも「正当な教育」だと、俺は本気で信じている。いや信じたかった。


バタン、と乱暴にドアが開く音が鼓動を跳ね上げた。

そこに立っていたのは、現役時代の面影を残す屈強な体躯の男。父・大毅だ。 部屋中に、安物の煙草と酒の匂いが、どろりと流れ込む。

「恒一。……何ボーッとしてやがる」

低く、有無を言わせない声。 その音圧だけで、七歳の俺の体は本能的に強張った。 何も答えられずに固まっている俺に苛立ったのか、大毅の大きな手が俺の頭を無造作に殴る。

視界が火花を散らし、俺は床に倒れ込む。 薄れゆく意識の端で、慌てた様子の父の声が聞こえた気がした。だが、再び俺が目を開けた時、彼の顔はいつものぶっきらぼうな、眉間に深い皺を寄せた「支配者」の面面に塗り替えられていた。

(……ああ、そうか。これが俺の日常だった)

俺は痛みの中で、静かに思考を回し始めた。 これまでの俺なら、ここで泣いて謝っていただろう。だが、今の俺は三十五歳の地獄を見てきた男だ。 俺は、自らアクションを起こすことにした。

「……お父さん。これからの練習メニューを考えていたんだ」

俺は、大毅が最も執着する「野球への熱意」というカードを即座に切った。

「あぁ? 練習メニューだと?」

大毅は鼻で笑った。

「お前みたいな鈍臭い奴が考えて何になる。俺の言う通りにバット振ってりゃいいんだよ。お前は何も考えなくていい。俺が、お前を一人前の選手にしてやるんだ」

大毅は俺の返事も待たず、細い腕を掴んで庭へと引きずり出した。

「ほら、振れ。俺が『よし』と言うまで振り続けろ」

渡されたのは、七歳の子供にはあまりに重すぎる、一キロ近い木製バット。 かつての俺は、この重さに泣き、手のマメが潰れるたびに「ごめんなさい」と許しを請うていた。 だが、今の俺は違う。

(……この体はまだ、ひょろひょろの未完成品。なら、親父が強制するこの『しつけ』、俺の未来のために利用しよう。この時間を使って、しっかりした身体を作る。)

ザザッ、と靴が砂を抉る。肩の筋肉が悲鳴を上げる。 だが、俺に泣き言はない。一回、二回……。この痛みが、俺の肉体を二〇二六年のあの夜よりも強くする。 親父、あんたの支配は、俺にとってはただの『筋トレ代行サービス』だぜ。

(しかし重い、、、こんなもの七歳のガキンチョが触れるわけないでしょうが。本当に、頭がお悪いこと)

「なんだ、今日は威勢がいいじゃねえか。いつもみたいに泣かねえのか」

大毅が面白くなさそうに酒の缶を煽る。

「……泣いても、うまくならないので」

長年の癖で、社会人なら当然の敬語で返答していた。

親に認められたいと願った幼い恒一は、もういない。

ここにいるのは、親という名の「最初の不条理」を踏み台にする側の人間だ。

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