第6話
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ダンジョン庁の特別窓口は、分厚い防音ガラスで仕切られた静かな空間だった。
俺、結城誠は、カウンターに積まれた未成年覚醒者の本登録用書類を、次々と処理していく。
指先で紙の端を弾き、必要な箇所にだけ神速でペンを走らせる。長年の会社員生活で培った書類整理の技術だ。空気を滑るようにして、数十枚の書類が五十音順、日付順に完璧にファイリングされていく。
「……あの、結城様。いくらなんでも処理が早すぎませんか?」
窓口担当の佐藤真由美が、目を丸くして手元の書類束を見つめていた。
「ただの事務処理スキルですよ。それより、これで本登録の書類は全て揃っているはずですが、いかがでしょう」
「あ、はい。書類に不備はございません。ただ……」
佐藤は困惑したように眉を下げ、隣に座る愛海に視線を移した。
「先日の簡易測定で、愛海ちゃんは測定用の水晶球を壊してしまいました。本登録には、こちらの特別室での精密測定が必要になります」
「また測定するの?」
愛海が不思議そうに首を傾げる。
俺は小さくため息をついた。妻を亡くして以来、この子の平穏な日常を守ることが俺の最優先事項だ。面倒な手続きはさっさと終わらせて、週末の予定に集中したい。
案内された特別室には、黒光りする巨大な魔力標的が設置されていた。
「こちらは上位モンスターの装甲を模した耐久テスト用の標的です。愛海ちゃん、思い切り魔力をぶつけてみてください」
「うん、わかった!」
愛海が標的の前に立ち、小さな両手を突き出す。
次の瞬間、空気が震えた。
眩い光と共に放たれた魔力の奔流が、黒光りする標的を直撃する。
轟音。
防音ガラスがビリビリと鳴り、煙が晴れた後には、粉々に砕け散った標的の残骸だけが転がっていた。
「……えっ?」
佐藤が手元のバインダーを取り落とし、パニックを起こしたように口をパクパクとさせている。前代未聞の数値を叩き出した愛海は、「やっちゃった」という顔で俺を振り返った。
「あの、佐藤さん。弁償とか必要ですか?」
「い、いえ! お客様に責任は……ただ、これほどの出力となると、機器の異常か、あるいはご家族の魔力干渉が原因かもしれません」
佐藤は慌てふためきながら、部屋の隅にある予備の標的を指差した。
「念のため、お父様もこちらの予備標的で測定をお願いできますか? 軽く触れるだけで結構ですので」
遺伝の可能性を指摘され、俺は仕方なく予備の標的の前に立った。
左手首には、妻の形見である少し狂う安物の腕時計が巻かれている。これが俺の魔力を抑え込んでいるはずだが、軽く触れるくらいなら問題ないだろう。
そっと、標的の表面に指先を触れる。
ピキッ、と嫌な音が響いた。
俺が指を離すより早く、予備の標的は内側からひしゃげるように崩壊し、完全に沈黙してしまった。
「…………」
「…………」
特別室に、重苦しい沈黙が落ちる。
親子揃って規格外であることが発覚し、佐藤は完全に頭を抱え込んでしまった。
「……見なかったことにしていただけませんか」
「無理です! ダンジョン庁の設備を二つも粉砕しておいて、隠蔽できるわけがありません!」
マニュアル通りの業務的な敬語を崩し、佐藤が悲鳴を上げる。
結局、俺たちは別室でさらに分厚い誓約書を書かされる羽目になった。
「愛海ちゃんは、トップギルドからのスカウトを正式に受諾するということでよろしいですね?」
気を取り直した佐藤が、契約書を提示してくる。
「はい。ただ、未成年の規定に基づき、保護者である俺が同行します」
俺は有給申請書の控えをデスクに置き、きっぱりと言い切った。
娘の才能を狙う脅威や、ダンジョンの危険から愛海を守る。それがこれからの俺の新しい日常だ。
「お父様が同行されるのは構いませんが……お仕事は大丈夫なんですか?」
佐藤が呆れたような、それでいて少し親近感を含んだような目を向けてくる。
「有給休暇は正当な権利ですから。それに、週末には大事な予定があるんです」
俺は鞄から旅行ガイドブックを取り出し、「新設の秘湯」のページを開いた。
どんなイレギュラーが起きようと、この家族旅行の予定だけは絶対に死守しなければならない。
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結城家から少し離れた住宅街の路地裏。
電柱の陰に身を潜め、根津吉太郎は舌打ちをした。
「ったく、黒崎さんの命令とはいえ、小学生のガキ一人の調査なんて楽勝だぜ」
悪徳ギルドの下働き兼情報屋である根津は、お調子者の笑みを浮かべながら周囲をキョロキョロと見回した。
ターゲットは、規格外の魔力を持つという結城愛海。
彼女の行動パターンを把握し、誘拐の隙を窺うのが今回の任務だ。
「おっ、帰ってきたな」
夕暮れの道を、手をつないで歩いてくる親子の姿が見えた。
ランドセルを背負った少女が、楽しそうに父親を見上げて笑っている。
あれがターゲットか。
根津はポケットの中で通信機を握りしめ、ほくそ笑んだ。
護衛のトップギルドの連中もいない。今なら簡単に攫える。
そう思い、隣を歩く父親に視線を移した瞬間だった。
「……は?」
根津の異常な危機察知能力が、けたたましい警鐘を鳴らした。
くたびれたスーツを着た、少し猫背の平凡な中年男性。どこにでもいる疲れたサラリーマンにしか見えない。
だが、根津の目には全く違うものが映っていた。
男の左手首にある安物の腕時計。
そこから、抑えきれないほどの濃密な死の気配が漏れ出している。
まるで、街一つを容易く消し飛ばせるほどの巨大な怪物が、人間の皮を被って歩いているかのようだった。
「ヒッ……!」
根津の喉から、情けない悲鳴が漏れた。
胃の奥が急速に冷たくなり、全身の毛穴から冷や汗が噴き出す。
その時、父親が何気なくこちらへ顔を向けた。
目が合ったわけではない。ただ、路地裏の暗がりに視線が滑っただけだ。
しかし根津には、その無機質な瞳が自分の命を値踏みしているように感じられた。
『関わったら、確実に殺される』
生存本能が、そう叫んでいた。
「む、無理だ……あんなバケモノ、俺の手に負えるわけがねえ!」
根津は通信機を放り出し、腰を抜かしそうになりながら路地裏を駆け出した。
ターゲットの調査などどうでもいい。今はただ、あの男から一秒でも早く遠ざかりたかった。
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薄暗いアジトの奥で、黒崎は苛立たしげに葉巻を灰皿に押し付けた。
「……根津からの連絡が途絶えただと?」
「はい。結城家の周辺調査に向かわせた直後、通信機を捨てて逃亡したようです」
報告にきた部下の言葉に、黒崎の顔が険しくなる。
隣に立つ幹部の氷川が、冷たい声で呟いた。
「あの臆病なネズミが、任務を放り出して逃げるほどの『何か』があったということですか」
「チッ……トップギルドの連中が張り込んでいたか。あるいは、あの父親に何か裏があるのか」
黒崎は立ち上がり、窓の外に広がる街の夜景を睨みつけた。
計画を遅らせるわけにはいかない。
「小細工は終わりだ。氷川、赤城に伝えろ」
黒崎の目に、暗い欲望の炎が宿る。
「俺たちが自ら出向く。強硬手段で、あのガキを奪い取るぞ」
悪意の歯車が、ついに直接的な暴力となって回り始めようとしていた。
だが彼らはまだ知らない。その先に待つのが、有給休暇を邪魔された会社員の理不尽な怒りであることを。




