第2話 一万円の証拠品
色々とおかしな点があると思いますがよろしくお願いします
2-1
定食屋を出てから、三十分ほどが過ぎていた。
清瀬が天月探偵事務所の前へ着いた時、時刻は午後一時を少し回っていた。
包帯の下では、傷が今も鈍く痛んでいる。
人間の爪でつけられたとは思えない傷だった。
清瀬は端末に表示された住所と、目の前の建物を見比べた。
二階建ての古い雑居ビルだった。
一階の正面には、二つの看板が並んでいる。
片方には、黄山不動産。
もう片方には、天月探偵事務所。
「不動産屋と一緒なのか」
ヨミから聞いた覚えはない。
もっとも、あの女は自分に都合の悪いことを自分から話す人間ではなかった。
清瀬は入口へ近づいた。
磨りガラスの向こうに明かりはついている。だが、扉には鍵が掛かり、札も営業中ではなく準備中のままだった。
午後一時に準備中。
随分と余裕のある探偵事務所だ。これで経営が成り立っているのか、他人事ながら疑問に思う。
もっとも、清瀬は依頼人として来たわけではない。店の客に邪魔されず話せるなら、むしろ都合がよかった。
呼び鈴へ手を伸ばしかけた時、扉の向こうから声が聞こえた。
「だから、ちゃんとした理由があったんだよ」
聞き覚えのある女の声だった。
「理由があれば、連絡も報告もしなくていいってのか?」
今度は別の女。
低く、苛立ちを隠そうともしていない。
「そこは反省してる」
「その台詞、今日だけで何回目だ」
「反省は回数が多いほど誠実に見えるかなって」
「いい加減にしろよ。お前、あんま舐めてると燃やすぞ!」
机を叩くような音がした。
清瀬は眉間を押さえた。
間違いない。
天月ヨミは中にいる。
しかも、何かしでかしたらしい。
関わりたくなくなってきたが、ここまで来た目的を思い出す。
昨夜、青山拓斗が使用していたアーティファクトを回収する。
それを回収するまでは、扉の前で帰るわけにはいかない。
清瀬は呼び鈴を押した。
中の声が止まる。
少しして、軽い足音が近づいてきた。
鍵が外され、扉がわずかに開く。
隙間から顔を出したのは、清瀬の知らない女だった。
二十代半ばほど。赤みがかった栗色の髪を肩の辺りでまとめ、苔色の短いジャケットを羽織っている。
女は清瀬を見ると、営業用らしい柔らかな笑みを浮かべた。
「こんにちは。今日はどうされました?」
「天月ヨミに用がある」
「ヨミさんに?」
女は一度、室内を振り返った。
奥から、紙をめくる音と、押し殺した話し声が聞こえる。
「すみません。いま、ちょっと取り込み中なんです。急ぎでなければ、また後でお願いできます?」
「すみませんが、急ぎなもので」
清瀬はコートの内側から警察手帳を取り出し、女へ示した。
「警察の方、ですか?」
女の笑みが、わずかに固まった。
その時、奥から椅子か何かが擦れる音がした。
「刑事さん?」
ヨミの声だった。
扉の隙間から、紫と赤の髪が僅かに見える。
「刑事さん、いいところに来た。助けてくれ」
ヨミの顔を見た途端、清瀬は帰りたくなり、口から深いため息が漏れた。
「薄情だなあ。昨夜、一緒に命懸けの事件を解決した仲じゃないか」
「俺が命を懸けている間、お前は途中で腹を壊して消えただろ」
扉を開けた女は、清瀬とヨミを交互に見る。
「お知り合い、なんですか?」
「ええ、少し」
「バディだよ」
「違う」
女はますます困った顔になった。
「ミラ。そいつを入れろ」
奥の女が言った。
「分かりました、風さん」
ミラと呼ばれた女が扉を大きく開く。
「どうぞ。奥の方へ」
「では、失礼します」
清瀬は事務所へ足を踏み入れた。
正面の事務机の前で、天月ヨミが正座していた。
2-2
一階の室内は、想像していたより広かった。
入口に近い側には、不動産の物件資料が並ぶ棚と接客用の机がある。奥には探偵事務所らしい作業机、書類棚、複数の端末が置かれていた。
二つの事務所を無理やり同居させたというより、最初から一つの仕事場として使っているように見える。
その中央で、ヨミが正座していた。
黒を基調とした普段の服装ではあるが、長いコートは脱がされ、椅子の背へ掛けられている。
ヨミの前には、大きなソファーへ深く座る女がいた。
黒を主体に金色の差し色が入った長い髪。少し大きめの黒いジャケットとパンツを着崩し、片肘を背もたれへ乗せている。
二十代半ばほどに見えるが、態度だけならこの場の誰よりも大きい。
その隣には、濃紺のスーツを着た男が立っていた。
短く整えた髪と黒いサングラス。鍛えた体格。片手には帳簿、もう片方には複数の書類を持っている。
外見だけなら、不動産屋というより取り立てに来た人間だった。
「名前は?」
ソファーの女が尋ねた。
「清瀬蓮司。灰月市警の刑事だ」
清瀬は警察手帳を開いて見せた。
女は手帳と清瀬の顔を一度ずつ見てから、顎を上げる。
「黄山風。このビルの持ち主で、黄山不動産と探偵事務所の経営をしてる」
次に、サングラスの男を親指で示した。
「そっちがウラ。扉を開けたのがミラだ」
「よろしくお願いします、清瀬さん」
ミラが軽く頭を下げる。
「清瀬さん。お話は後で伺いますので、少しお待ちください」
ウラも丁寧に告げた。
声は低いが、内容はまともだった。
「刑事さん、助けるなら今だよ」
ヨミだけが正座したまま、清瀬へ手招きしている。
「助ける理由がない」
「理由ならある。私は昨夜、刑事さんの命を救った」
「その前に、飯を奢っただろ」
「ご飯と命を同列に扱うの?」
「話を戻すぞ」
黄山が机を指先で叩いた。
ヨミが不満そうに口を閉じる。
「清瀬さん、こちらへどうぞ」
ミラが空いていた接客用の椅子を引いた。
「ありがとうございます」
清瀬は礼を言い、その椅子へ腰を下ろした。
何が起きているかは知らない。
だが、少なくとも警察が口を出す場面ではなさそうだった。
「ウラ」
「はい、風さん」
ウラが帳簿を開く。
「会社員男性から依頼された、妻の行動調査です。ヨミさんとミラが一日ごとに交代して尾行する予定でした」
「浮気調査と言ってくれていいよ」
ヨミが口を挟む。
「お前は黙ってろ」
黄山に睨まれ、ヨミは肩をすくめた。
「一昨日はミラが担当し、予定どおり報告書と写真を提出しています。昨日はヨミさんの担当日でした」
ウラは一枚の予定表を清瀬にも見える位置へ置いた。
ヨミの名前が書かれた欄だけ、報告番号が空白になっている。
「本日午前まで、欠勤、担当変更、調査中止の連絡はありません。尾行記録と報告書も提出されていませんでした」
「つまり、すっぽかしたんだな」
清瀬が言う。
「言い方に悪意があるね」
「事実だろ」
「私は別の事件を追っていたんだよ。三人も人が殺された連続殺人事件をね」
ヨミは胸を張った。
正座したままなので、格好はついていない。
「その事件なら、今朝のニュースで見ました」
ミラが言った。
「犯人を捕まえたの、ヨミさんなんですか?」
「大部分は私の功績だね」
「俺が容疑者を追っている間、食い過ぎで離脱した奴が言うな」
「最後に倒したのは私だよ」
「二人とも、今はそこじゃねえ」
黄山の声が低くなる。
ヨミは口を閉じた。
「人を助けたことは責めてねえ。事件を追うなとも言ってねえ」
黄山は予定表を指で叩いた。
「だが、仕事を放り出すなら連絡しろ。お前が一本連絡を入れれば、ミラが代わることも、依頼人に説明することもできた」
「急いでいたから」
「本当に連絡する時間がなかったのか?」
「……なかったことにしてもらえないかな」
「ならねえ」
即答だった。
清瀬は黄山を見た。
口調は荒いが、言っていることは正しい。
「刑事さんからも何か言ってくれ」
ヨミが助けを求める。
「黄山さんの言うとおりだ」
「敵に回るのが早すぎない?」
「社会人なら報連相は常識だからな」
「正論ばかりで息苦しい世の中だなあ」
「続いて、買い出し費です」
ウラが別の紙を出した。
ヨミの顔から笑みが消える。
「まだあるのか」
清瀬は思わず尋ねた。
「悪いな、清瀬さん。もう少しだけ付き合ってくれ」
黄山が詫びるように片手を上げた。
「こちらの方が金額としては明確です」
「ウラ、刑事さんを待たせているし、その件はいいんじゃない?」
「いいえ、駄目です」
ウラは聞き入れない。
「事務所用の食料、洗剤、コピー用紙、救急用品を購入するため、ヨミさんへ買い出し費を渡しました」
「買ったよ。食料は……」
「じゃあ、その食料はどこにあるんだ?」
ヨミは答えず、自分の腹を指さした。
一拍の沈黙が落ちる。
「全部お前が食ってんじゃねえか!」
黄山の怒声が事務所に響いた。
ミラが清瀬へ小声で言う。
「すみません。いつもはもう少し静かなんです」
「そうなんですね」
清瀬が苦笑すると、ミラも困ったように笑った。
ヨミは正座したまま、わずかに足を動かした。
「風。そろそろ足が痺れてきた」
「反省するにはちょうどいいだろ」
「昨夜は事件を解決して、アーティファクトまで回収したんだ。少しくらい評価してくれてもいいと思うけどね」
室内の空気が僅かに変わった。
黄山がヨミを見た。
ウラは帳簿を閉じ、ミラの表情からも営業用の柔らかさが消える。
清瀬は三人の反応に目を細めた。
誰一人、アーティファクトという言葉の意味を聞き返さない。
「ヨミ。アーティファクトを回収したってのは本当か?」
黄山が尋ねた。
「本当だよ」
「なら、こっちへ渡せ」
「風まで欲しいのかい?」
「確認するだけだ」
「仕方ないなあ」
ヨミは正座したまま、椅子の背に掛けられたコートへ手を伸ばした。ポケットを探り、古びた硬貨を取り出した。
室温が下がったわけではない。
それでも、清瀬の肩の傷が僅かに疼いた。
青山の黒ずんだ爪と、白い息が脳裏に蘇る。
ヨミは硬貨をそのまま黄山へ差し出した。
黄山は硬貨を受け取り、刻まれた模様と黒ずんだ表面を確かめた。
「黄山さん、すみませんが、それをこちらへ渡していただけないでしょうか」
黄山の視線が清瀬へ移る。
「どういうことだ?」
「俺は、昨夜、事件現場から持ち去られたそのアーティファクトを回収しに来ました」
2-3
「持ち去ったとは、人聞きが悪いなあ」
ヨミは正座したまま、清瀬を見上げた。
清瀬はヨミの抗議を無視し、黄山へ視線を向けた。
「それは連続殺人事件の証拠品です。こちらに渡していただけないでしょうか」
「清瀬さん。この硬貨が証拠品だという証拠はありますか?」
「そこにいるバッ……天月が、昨夜、事件を解決してアーティファクトを回収したと話しています。それに、俺自身も容疑者の手からその硬貨が落ちるところを目撃しています」
「刑事さん、今、私のことをバカと言おうとした?」
誰もヨミの抗議には反応しなかった。
「ですが、清瀬さん。そこのバカが話した事件と、清瀬さんが追っていた事件が別だった可能性もありますよね?」
黄山はヨミを一度見てから、話を続けた。
「それに昨夜なら、周囲は暗かったはずです。硬貨を見間違えた可能性もある。そこのバカが清瀬さんと別れたあと、別の事件を解決して、その時に回収したアーティファクトかもしれません」
黄山がヨミへ意味ありげな視線を送る。
ヨミはすぐに意図を理解したらしい。
「二人して私のことをバカだと思っているみたいだけど、実は刑事さんと別れたあと、もう一つ事件を解決している天才なんだよね!」
「つまり、そのアーティファクトは、連続殺人事件とは別の事件で回収した物だと言いたいのか?」
「そうそう。そういうこと」
清瀬は黄山とヨミを交互に見た。
どうして連日、こうも面倒な人間ばかりに遭遇するのか。
堪えきれず、口からため息が漏れた。
「そのアーティファクトが別物なら、連続殺人事件の現場から持ち出した物はどこにある。天月」
「なくしちゃった」
ヨミは舌を出し、わざとらしく首を傾げた。
清瀬のこめかみが引きつる。
その様子を見ていた黄山が、硬貨を指先でつまみ上げた。
「清瀬さん。このまま話していても、埒が明かないと思いませんか? 私に一つ案があります」
「どうするつもりですか」
苛立ちを抑えきれず、清瀬の声が低くなる。
「その前に、このアーティファクトの正体と価値を調べます。少し時間をもらえますか?」
「どれくらいかかりますか?」
「そう長くはかかりませんよ」
「ウラ」
「はい」
黄山が硬貨を差し出す。
ウラは懐から透明な小袋を取り出し、袋越しに受け取った。
慣れている。
清瀬はその動きを見逃さなかった。
ウラは硬貨を袋へ収めたまま、奥の端末へ移動する。複数の認証を通し、一般の検索画面とは異なる黒い画面を開いた。
「何をしている」
「過去の取引記録を確認します」
「そんな物が記録されているのか」
ウラは質問には答えず、ヨミへ顔を向けた。
「ヨミさん。所有者に現れた変化を教えてください」
「身体能力の異常な上昇。人間の内臓を欲しがる強い飢え。爪と歯の変形。それから、変異が進むほど周囲の気温が下がっていたね」
「銃で撃った傷も、すぐに再生した」
清瀬が付け加えると、ウラは短く頷き、硬貨の特徴と二人から聞いた症状を入力していく。
古い外国硬貨に似た形状。
角のある痩せた人型の刻印。
接触時の冷感。
肉体強化、食人衝動、爪と歯の変異、傷の再生、周辺温度の低下。
しばらくして、画面に三件の記録と、それぞれの写真が表示された。
ウラは手元の硬貨と画面の写真を順に見比べた。
「写真と照合しました。同一型と思われる物が過去に二個取引され、現在も一個が出品されています」
ウラは画面を読み上げる。
「登録上は、いずれも獣性型。モデルは魔獣ウェンディゴ。所有者の身体能力を高める一方、食人衝動と肉体変異を引き起こす」
「ウェンディゴ」
清瀬は聞き慣れない名を繰り返した。
「寒冷地の伝承にある、人を食う魔獣ですよ。そうした怪物の伝承は、アーティファクトによって変貌した人間が元になっているんです」
ミラが清瀬へ説明する。
「ウェンディゴに、値が上がるような伝承はあるのか?」
黄山が尋ねた。
「ありません。飢餓、食人、人間が怪物へ変わる話ばかりです。所有者が恩恵として期待できる逸話は確認されていません」
「過去の落札額は?」
黄山が尋ねた。
「過去の落札額は、一件目が一万二千、二件目が八千。現在の出品額は一万円です。いずれも保管費と危険性に対して利用価値が低いと評価されています」
ウラは端末を閉じた。
「相場は一万円程度です」
「安いね」
ヨミが残念そうに言う。
「三人も殺した物だぞ」
清瀬は画面の消えた端末を見た。
「それに値段を付けて売っているのか」
「値段が付かねえ物の方が珍しい」
黄山はウラから小袋を受け取り、中の硬貨を指で弾いた。
「マーメイド由来の物みたいに、『その肉を食えば不死になる』って伝承だけで値が跳ね上がり、一億で取引された品もある。だが、こいつは使いづらい上に、持った奴を人食いにするだけだ。安くて当然だわ」
「誰が買う」
「研究屋、収集家、頭のおかしい物好きなどかなぁ」
黄山は平然と言った。
「黄山さん。あなたも取引しているんですか」
「ちょっとばかり、アンティークな品を扱ってるだけですよ」
黄山はとぼけるように笑った。
それ以上、詳しく話すつもりはないらしい。
清瀬は、黄山とウラとミラを順に見た。
三人ともアーティファクトへ驚いていない。
危険な物の扱いにも慣れている。
少なくとも、ただの不動産業者ではない。
「さて」
黄山が小袋を指先で揺らした。
「清瀬さん、こいつを一万で買うか?」
「買うも何もない。証拠品だ。渡せ」
「清瀬さん。これは事件の証拠品じゃなくて、ただのアンティークな硬貨ですよ」
黄山は悪びれもせずに笑った。
清瀬は、その言葉の意図に気づいた。
黄山は事件の証拠品を売るのではない。ただのアンティークな硬貨を売り、清瀬もそれを承知で買った。そういう体裁にするつもりなのだ。
このまま証拠品として渡せと言い続けても、黄山はあの手この手で話をかわすだろう。
力ずくも難しい。
ヨミが人間離れした力を持つことは知っている。黄山たちもアーティファクトに詳しく、何も所持していないとは考えにくい。
ウラは清瀬より体格がよく、ミラも立ち方に隙がない。肩を負傷した状態でこの面々を相手にして、硬貨を奪える保証はなかった。
清瀬はしばらく考えた末、証拠品の回収を優先することにした。
深く息を吐く。
「一万だな」
「毎度あり」
黄山の返事だけが妙に早かった。
「領収書はいるか?」
「ああ、頼む」
「ウラ」
「すぐに用意します。清瀬さん、宛名はどういたしましょうか?」
「赤羽透真にしてくれ」
ウラは端末を操作し、ほどなくして一枚の領収書を差し出した。
名目には、アンティーク硬貨代と書かれている。
「準備がいいな」
「記録に残らない金銭は受け取りません」
清瀬は代金を支払い、領収書を受け取った。
黄山から渡された小袋を、持参した証拠袋へ入れる。封を閉じ、時刻と回収場所を記入した。
「刑事さん、災難だったね」
ヨミが言う。
「風はお金に関して面倒だから。どんまい」
清瀬は、事務所の経費を自分の菓子へ使い込み、今も正座しているヨミを見た。
それから、何も言わずにため息をついた。
## 2-4 共同事務所をあとに
目的は果たした。
ウェンディゴの硬貨は、清瀬の手元にある。
清瀬は証拠袋を鞄へ収め、椅子から立ち上がった。
「黄山さん。時間を取らせました」
「こっちは商売になったんだ。気にしなくていいですよ」
黄山が受け取った一万円を指先で揺らす。
「刑事さん、私は?」
正座したままのヨミが、自分を指さした。
「反省してろ」
「事件を解決した功労者への扱いとは思えないね」
清瀬は取り合わず、出口へ向かった。
「清瀬さん」
ミラが扉を開ける。
「今日はすみませんでした。また来る時は、できれば先に連絡してくださいね」
「こちら、事務所の名刺です」
ミラは黄山不動産と天月探偵事務所、両方の名前が入った名刺を差し出した。
「ありがとうございます」
清瀬は受け取ってポケットへ入れる。
清瀬は黄山たちを見回した。
黄山不動産。
天月探偵事務所。
表の看板以上に、裏側へ深く根を張っている。
「また来る」
清瀬はそれだけ告げ、事務所を出た。
外の空気が妙にまともに感じられた。
事件の後から、会う人間がおかしな奴ばかりだ。
赤羽透真。
天月ヨミ。
黄山と、その部下たち。
清瀬は車へ乗り込み、助手席へ鞄を置いた。
中には、三人の命を奪った硬貨と、一万円分の領収書が入っている。
次の目的地は、今日から清瀬が所属する部署。
灰月市警察本部長直轄、特別捜査課だった。
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特別捜査課は、灰月市警察本部の本館から少し離れた別棟にあった。
案内板には部署名が載っている。
隠されてはいない。
ただ、用事のない人間がわざわざ訪れる場所でもなかった。
清瀬は三階の突き当たりまで進み、古い扉の前で足を止めた。
特別捜査課。
真新しいプレートだけが、周囲のくすんだ壁から浮いて見える。
清瀬は一度だけネクタイを整え、扉を叩いた。
「どうぞ」
穏やかな男の声が返ってくる。
扉を開けると、広さの割に机の少ない執務室があった。
壁際には施錠された書類棚が並び、別の棚には救急箱、防護服、携帯照明などの現場装備が収められている。
秘密組織というより、人も予算も足りていない資料係に見えた。
「清瀬蓮司です。本日付で配属になりました」
清瀬は室内へ入り、一礼した。
奥の机に座っていた白髪の男が立ち上がる。
細い長方形の眼鏡。使い込まれた灰色のスーツ。五十代に見えるが、疲れの滲んだ目元は年齢以上に穏やかだった。
「田村総司です。特別捜査課の課長をしています」
田村は机の前まで出てきて、清瀬へ手を差し出した。
「ようこそ、と言っていいのかは分かりませんが。まずは無事に来てくれて安心しました」
「ご迷惑をお掛けしました」
清瀬はその手を握る。
「迷惑とは思っていません。ただ、肩の怪我は心配しています」
「お気遣いありがとうございます。怪我の方は問題ございません」
「そう言う人ほど、無理をしているものなんですがね」
田村は困ったように笑った。
その隣に立っていた男が一歩前へ出る。
四角い輪郭の強面。紺色のスーツ越しでも分かる、引き締まった体格。清瀬より一回りほど年上に見える。
「課長補佐の榊護人です」
真面目で硬い声だった。
「必要な書類と机は準備してあります。清瀬さん、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
清瀬が頭を下げると、榊も短く一礼した。
清瀬は案内された席へ腰を下ろした。
それから、ウェンディゴの硬貨と領収書を提出した。榊が硬貨を保管庫へ収め、田村からは特別捜査課の役割、特殊凶悪事件捜査課との関係、今後の捜査方針について一通り説明を受けた。
最後に、赤羽から清瀬へ預けられていた対アーティファクト用の装備も、半ば押しつけられるように受け取った。
説明と手続きが一通り終わる頃には、入室してからかなりの時間が過ぎていた。
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田村たちとの話が一段落した、その時だった。
執務室の扉が勢いよく開いた。
「失礼します!」
聞き覚えのある声だった。
黒いスーツ姿の若い刑事が、肩で息をしながら立っている。
「清瀬さん」
坂本は、清瀬を見つけると安堵と緊張が入り混じった顔をした。
「やっぱり、ここにいたんですね」
## 2-7 臆病者の志願
「坂本」
清瀬は立ち上がった。
「なぜここにいる」
「清瀬さんの異動先を調べました」
「捜査一課へ戻れと言ったはずだ」
「戻りました。課長に報告して、仕事も終わらせました」
坂本は乱れた呼吸を整えながら答えた。
「その後で来ました」
清瀬は眉を寄せる。
言いつけを無視して直行したわけではないらしい。
それでも、ここへ来る理由にはならない。
「田村課長」
坂本は清瀬から視線を外し、田村へ深く頭を下げた。
「坂本辰真巡査部長です。突然押しかけて、申し訳ありません」
「田村です。まず、顔を上げてください」
田村は穏やかに応じる。
坂本は顔を上げたが、両手は身体の横で固く握られている。
何かを言おうとして、何度か唇が動いた。
「用件は?」
榊が尋ねる。
坂本の肩が僅かに跳ねた。
強面の榊に見つめられ、明らかに緊張している。
それでも、逃げなかった。
「俺も、特別捜査課へ入れてください」
「駄目だ」
清瀬が即座に答えた。
坂本が振り返る。
「まだ課長へ話している途中です」
「話す必要がない。お前は捜査一課に残れ」
「嫌です」
普段の坂本からは珍しく、はっきりした拒絶だった。
「坂本」
「清瀬さん、昨日も俺に何も話さず、一人で事件を追っていましたよね」
「お前には関係ない」
「あります」
坂本の声は震えている。
だが、目は逸らさなかった。
「俺は半年、清瀬さんの部下でした。清瀬さんが何か隠して一人で動こうとしている時くらい、分かります」
「分かるなら、ついてくるな」
「だから嫌なんです」
坂本は一度、息を吸った。
「昨日、清瀬さんから林敦子さんの保護を頼まれて、俺は赤羽さんたちに捕まりました。何も話さないつもりだったのに、結局、連れていってしまった」
「その話は終わった。お前のせいじゃない」
「俺にとっては終わってません」
坂本は拳を握る。
「清瀬さんが何を追っているか知らなかった。何が危険なのかも分からなかった。だから、止めることも、助けることもできなかった」
田村と榊は口を挟まず、二人を見ている。
「ここが何をする部署か、お前は知らない」
「知りません」
坂本は認めた。
「でも、清瀬さんが一人で行こうとする場所なら、安全じゃないことくらい分かります」
「分かっているなら、なおさら来るな」
「俺が臆病だからですか」
清瀬は答えなかった。
坂本は危険に向いていない。
銃を持つ犯人を前にすれば緊張する。惨い死体を見れば顔色を変える。昨夜のような怪物を目にすれば、動けなくなるかもしれない。
だから巻き込みたくなかった。
「俺、自分が怖がりなのは分かっています」
革靴の先が僅かに震えている。
「それでも、清瀬さんを一人で行かせたくありません」
坂本は顔を上げた。
「清瀬さんのそばにいれば、俺も少しは変われると思ったんです。何もできないまま見送るだけじゃなくなるって」
「俺のようになる必要はない」
「それを決めるのは、清瀬さんじゃありません」
清瀬は言葉を失った。
田村が小さく息を吐く。
「坂本さん。一つ確認してもいいですか」
「はい」
「この部署では、通常の犯罪とは違う危険を扱います。理解できない物を見ても、命令に従って動かなければならない。反対に、助けたい人が目の前にいても、撤退を命じられることがあります」
田村の声は穏やかだった。
「それでも入りたいですか?」
坂本はすぐには答えなかった。
清瀬のように迷わず言い切ることはできない。
その沈黙こそ、坂本が危険を想像している証拠だった。
「怖いです」
やがて答える。
「でも、入りたいです」
田村は榊を見た。
「榊君はどう思います?」
「彼には向いているとは思いません」
榊は容赦なく言った。
坂本の顔が引きつる。
「ですが、人手が足りないのも事実です」
田村が僅かに笑う。
「それでは、こちらが提示する条件を守ることを前提に、受け入れの手続きを進めましょう」
坂本が姿勢を正す。
「田村課長」
清瀬が口を挟む。
「本人の希望だけで決めることではありません」
「もちろん、正式な異動には本部長と捜査一課の承認が必要です。ただ、特別捜査課として受け入れる意思はあります」
「まず、ここで知った事件や現場で見たものを、許可なく口外しないこと」
田村の穏やかな声から、僅かに笑みが消えた。
「もう一つ。自分の身は自分で守ること。危険だと判断した時は無理をせず、必ず退いてください」
「分かりました。約束します」
坂本は真剣な顔で頷いた。
それから田村と榊は、坂本へ特別捜査課が扱う事件について説明した。
人へ異常な力を与え、時に欲望へ入り込むアーティファクト。アーティファクトによって肉体も精神も変貌した人間。そして、それらの存在を一般社会から隠している特殊凶悪事件捜査課。
一通りの説明が終わった頃、坂本は椅子へ座ったまま動かなくなっていた。
視線は机の上の資料へ向いているが、目の焦点が合っていない。
「坂本さん。大丈夫ですか?」
田村が声を掛ける。
「すみません。ちょっと、頭が追いついてません」
「今からでも捜査一課へ戻れるぞ」
清瀬が言うと、坂本は勢いよく首を横へ振った。
「戻りません。少しだけ、考える時間をください」
覚悟は変わっていないらしい。
ただ、その覚悟に頭が追いつくまでには、もう少し時間が必要だった。
2-8
午後六時を過ぎると、一階の共同事務所はようやく静かになった。
不動産の窓口には営業終了の札が掛かり、探偵事務所側の端末も一台を残して電源が落とされている。
昼間、清瀬が訪れた時の騒がしさはない。
ヨミは接客用のソファーへ横になり、翌日の昼食のために買い直した菓子パンへ手を伸ばしていた。
その手を、風が軽く叩く。
「痛い」
「それは明日の昼飯だ」
「一個くらいいいだろう?」
「お前の一個は信用できねえ」
風は菓子パンの袋を取り上げ、棚の上へ戻した。
「自分の分は自分の金で買え」
「それなら、金を貸してくれ」
「貸すわけねえだろ」
ヨミは不満そうにソファーへ沈み込んだ。
「風さん。本日の業務は終わりました」
ウラが奥の机から立ち上がる。
「ご苦労」
「ヨミさんが私用へ流用した買い出し費は、次回の報酬から差し引きます」
「そこは忘れてくれてもいいんだけど」
「記録に残っています」
ウラは帳簿を閉じた。
ミラも、物件資料を棚へ戻して鞄を肩へ掛ける。
「私は二階に戻ります。兄さんは?」
「施錠を確認してから行く」
「じゃあ、先にお風呂を使うね」
「長く入りすぎるな」
「兄さんは細かいなあ」
ミラはヨミへ手を振った。
「ヨミさん、そのパンは明日の昼食ですから、食べないでくださいね」
「信用がないね」
「今日だけでなくなりました」
扉が閉まる。
ウラも戸締まりと端末の確認を終え、風へ一礼した。
「風さん。例の件を話すのであれば、資料は共有棚へ入れてあります」
「分かった」
「では、お先に失礼します」
ウラが奥の階段へ消える。
事務所には、風とヨミだけが残った。
壁の時計が秒を刻む音が、昼間より大きく聞こえる。
風は入口の鍵を確認し、窓のブラインドを下ろした。
それから、ヨミの向かいへ腰を下ろす。
「さて」
「説教の続きなら、明日にしない?」
「ここからは仕事の話だ」
風の声から、昼間の苛立ちが消えていた。
ヨミは菓子パンを狙っていた手を止める。
「珍しいね。風が私へ仕事を持ってくるなんて」
「お前向きの話が入った」
「報酬は?」
「まだ依頼じゃねえ。情報だ」
「無料?」
「契約の範囲内だ」
風は、ヨミへアーティファクト事件とある教団の情報を渡す。
ヨミは、事件で入手し、自分に必要ないと判断したアーティファクトを風へ回す。
二人の間にあるのは、善意だけの協力関係ではない。
「どんな話?」
ヨミは身体を起こし、ソファーへ座り直した。
風は端末を取り出し、
「一か月後、霧見港で競売が開かれる」
と話し始めた。
2-9
「競売?」
「表で美術品を売るようなやつじゃねえ。アーティファクト専門のオークションだ」
ヨミの口元へ笑みが戻る。
「面白そうだ」
「お前は何でも面白がるな」
「退屈よりはいいだろう?」
風は端末を操作し、簡単な開催情報を表示した。
日時は一か月後。
場所は霧見港の非公開区画。
主催者、出品一覧、参加方法の欄は空白になっている。
「開催自体はほぼ確実だ。港の倉庫がいくつか押さえられてる。普段は灰月へ来ねえ仲介屋と収集家も動き始めた。それに、鑑定士までもが灰月に来てるらしい」
「鑑定士まで出てくるなんて、随分と大きい催しらしい」
ヨミが感心したように言った。
「数年に一度あるかどうかだ。表じゃ持て余す物も、国外へ流せば買い手がつく」
風が答えた。
「風も行くのかい?」
「入れるならな」
「招待状が必要?」
「噂じゃ、もう何人か招待状を受け取ってるらしい。昔のあてを当たってみるつもりだが、こればかりはな」
風は画面を閉じた。
「ここまでは、かなり信用できる話だ。ここから先は噂になる」
「噂の方が好きだよ。真実より面白いことがある」
風はそのまま、次の噂を話し始めた。
「出品物の中に、古い本が一冊あるらしい」
「本?」
「大いなるアーティファクトへ至る手掛かりが書かれていると、そんな触れ込みが出回っている」
ヨミの笑みが止まった。
ほんの一瞬だった。
すぐに、いつもの軽い表情へ戻る。
「大いなるアーティファクト。随分と曖昧な呼び方だね」
「世界を滅ぼした力だとか、全部集めれば願いが叶うとか、原初の神を呼び出せるとか。噂だけなら好き放題だ」
風はヨミを見た。
「心当たりがあるのか?」
「どうして?」
「今、目が変わった」
「美人はどんな顔をしても絵になるんだよ」
「誤魔化すな」
「誤魔化してないさ。興味が湧いただけだ」
だが、その触れ込みには心当たりがあった。
世界を滅ぼした力。原初の神。その二つは、胸の奥へ隠してきたもう一つの目的につながっている。
古書がその手掛かりになるのなら、見逃す理由はない。
「その本が本物かは分からねえ」
風の声で、ヨミは意識を戻した。
「偽物を高く売るための作り話かもしれない。古い警告書の一冊か、誰かが後から作った写本かもしれねえ」
「だからこそ、実物を見たい」
「金は?」
「ない」
「堂々と言うな」
「競売は、金を払わないと参加できないのかい?」
「当たり前だろ」
「盗むという選択肢もある」
「無理だな」
「やっぱり」
風は端末を机へ置いた。
「それと、万門帰一教団も動いてるらしい」
ヨミが僅かに眉を上げた。
「へえ、あのカルト集団がねえ。何が目的か分かる?」
「分からねえ。買うのか、売るのか、奪うのか。古書を狙ってるかどうかも未確認だ」
「教団と競売に関係があるとは限らない?」
「そういうことだ」
風は噂を事実のようには語らない。
開催される競売。
出品されるかもしれない古書。
動き始めた教団。
三つを無理につなげず、それぞれの確度を分けている。
「一か月か」
ヨミは呟いた。
準備する時間としては長い。
何も持たない者が、競売へ入り込む方法を探すには短い。
「参加方法が分かったら教えてくれ」
「情報料は取るぞ」
「契約の範囲じゃないの?」
「そこから先は別料金だ」
「本当に金に細かいね」
「金の切れ目が縁の切れ目って言うだろ。細かくもなるさ」
ヨミは言葉を失った。
風は僅かに勝ち誇った顔をした。
「話はそれだけ?」
「もう一つある」
風は端末を再び手に取る。
「こっちの方が、お前には重要かもしれねえ」
2-10
風が表示したのは、一枚の写真だった。
夜の灰月市。
人通りのある歩道を、眼鏡をかけた女が写っている。
携帯電話で離れた場所から撮ったのだろう。画面は暗く、正面から顔を捉えた写真でもない。
それでも、髪の色は分かった。
赤とオレンジ。
短く、緩く巻かれた髪。
街灯の下で見える横顔。
ヨミの手が止まった。
「いつの写真だ」
声から、普段の軽さが消えていた。
「三日前」
「場所は」
「灰月市内。詳しい場所はまだ確認中だ」
「撮ったのは誰?」
「元じゃなく、今も現役のハンターだ」
風は写真を拡大した。
「この女は、ハンターの間じゃ危険人物として情報が回ってる。万門帰一教団の関係者。見つけても一人で接触するなってな」
「それでも撮った」
「偶然見つけたんだろう。本人は仲間へ写真を送った。自分が追うとは書いてなかったらしい」
ヨミは端末を受け取り、画面を指で拡大する。
画像は粗い。
髪の輪郭は街灯の光に滲み、眼鏡の奥の目までは見えない。
だが、見間違えるはずがなかった。
天月ヨミの記憶に、その顔は何度も残っている。
幼い頃、手を引いて歩いてくれた姉。
勉強を教え、夕と三人で食卓を囲んだ姉。
両親が殺された日、実家から車で走り去った姉。
同じ日から、妹の夕も消息を絶った。
天月光。
胸の奥で、言葉にならない感情が僅かに揺れた。
それは言葉にはならない。
懐かしさか。
怒りか。
恐怖か。
すべてが混ざり、胸の奥を締めつける。
光は、ヨミの未練を終わらせるために必要な人間だ。
両親殺害の真相。
天月夕の行方。
万門帰一教団の内情。
聞き出さなければならないことはいくつもある。
「撮影したハンターは?」
ヨミが尋ねた。
風は少し間を置いた。
「写真を送った後から、連絡が取れねえ」
事務所の時計が、一秒進む。
「死んだのかい?」
「分からねえ」
「光に気づかれた?」
「それも分からねえ」
風は断定しなかった。
「携帯はつながらない。家にも戻ってない。仲間が探してるが、今のところ見つかってねえ」
「写真を撮った場所は?」
「送られた画像に位置情報は残ってなかった。今は背景を当たってるところだ」
ヨミは写真の奥を見る。
ぼやけた店の看板。
交差点の形。
建物の窓へ映った光。
灰月市内というだけでは、場所を絞りきれない。
「この写真と競売はつながっていると思う?」
「証拠はねえ」
「教団が動いている噂とは?」
「それもだ」
「ずいぶん役に立たない情報だなあ」
口調だけは、いつもの軽さへ戻った。
風は鼻を鳴らす。
「なら返せ」
「嫌だ。これは必要だ」
ヨミは端末を胸元へ引き寄せた。
「複製を送ってくれ」
「条件がある」
「お金ならないよ」
「知ってる。勝手に動く前に、私へ連絡しろ」
ヨミは風を見る。
「心配してくれているのかい?」
「お前が死ぬと、貸した金と滞納家賃が回収できねえ」
「感動が台無しだ」
「最初から感動させる気はねえよ」
風はヨミから端末を取り戻し、写真を送る操作をした。
ヨミの端末が短く震える。
受信した画像を開く。
もう一度、そこに写る女を見る。
ヨミの未練がすべて解消されれば、今の自分を縛るものもなくなる。
光を見つければ、その第一歩へ進める。
そして、光が教団とともにいるなら、もう一つの目的へ近づく道も開くかもしれない。
期待と、人間の肉体から伝わる痛みが、同時に胸へ満ちていく。
「間違いない」
ヨミは写真から目を離さなかった。
「天月光だ」
ヨミは笑った。
それは再会を喜ぶ妹の笑みでも、獲物を見つけた探偵の笑みでもなかった。
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