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見知らぬ空の見守る下で7

「ぱぱ」と呼ばれて、青年はぼんやりとしていた意識をゆるゆると呼び戻された。

 顔を上げると、見るに外国人と思われる金髪碧眼の少女が心配そうな顔で間近からこちらを覗き込んでいる。

 ―――ねえ、ぱぱ、だいじょうぶ?

 その言葉と、こちらを真っ直ぐ見詰める少女の瞳に青年は「ぱぱ」というのが、彼女が青年を指して呼んでいるものなのだとぼんやりと理解した。

 見覚えのない少女だった。歳の頃は六、七歳といったところだろうか、外国人の顔の造型に詳しくないので正確な年齢は分からなかったが、十の齢はまたいでいないだろうと思われた。もしかしたら少女、というよりは童女といったほうが正しいのかもしれない。

 見知らぬ少女にパパ呼ばわりされる現状も、自分が直前まで何をしていたのさえ青年には分からなかった。長い睡眠から突然覚めた時のように、頭が上手くまわらなかった。何か考えようとはするのだが、思考未満の断片が益体もなく頭の中に浮かんでは確とした形にならないままに消えていく。

 ―――パパ

 再度呼びかけられ、青年は改めて少女の顔に視線を合わせた。透き通るような深いマリンブルーの瞳が不安げに揺れていた。幼い子供特有の、愛嬌のある顔が暗く曇っているのを見て青年は奇妙な罪悪感を感じていた。経緯はさっぱり分からないにしても、少女にそんな表情をさせているのが恐らく自分であるとなんとなく想像できたからだ。

 どうするべきだろうか、暫し考え、青年は少女の肩口にそっと手を添えた。ぴくりと少女の肩が震え、人形じみた美貌を縁取る金糸の一房が青年の手の内にはらりと流れる。ふわり、さらり、音にすればそんな感触を少しずつ確かめるように、青年は慎重な手つきで少女の髪を手梳いた。

 はじめ、きょとんとした表情を浮かべていた少女だったが、見る間にその顔がとろりととろけ、もっとしろと言わんばかりに青年の手に頬擦りをしてくる。

 良く言えば人懐こい、悪く言えばあまりに馴れ馴れしくべたべたとした少女の様子を眺めながら、青年は未だ定まらない思考の内に薄ぼんやりとした疑問を浮かべていた。この少女は誰なのだろう、自分は今何をしているのだろう、と。

 ―――パパ、パパ……

 手首を圧迫する弱々しい圧を感じ、青年はそれまで弄んでいた思考を打ち切った。改めて見れば少女の両の手が青年の右手を引き寄せ、その頬にひたりとあてがわれていた。柔らかく、温かい、生きた人の肌の感触が手の平から伝わってくる。

 少女の目が猫のようにゆるりと細まり、その口元がだらしなく緩む。見るに、幸せでたまらないといった表情を浮かべる少女。その表情に、青年は奇妙な既視感を感じていた。はて、あれはいつ、どこで見たものだっただろうか、と。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 見渡す限り、遥か地平線の彼方まで続く広大な草原。その唯中で男が一人ぽつりと座り込んでいた。

 ぎしり、と男が身じろぎするのに合わせ彼が腰掛けた座椅子が軋む。

 草原の内に一人安楽椅子に腰掛ける姿は見るげに奇異であったが、書斎で寛いでいた彼を椅子に座ったそのまま草原の真ん中に放り出したかのような、男自身の妙にリラックスした様が周囲の景色との奇妙なコントラストを作り出しているようだった。

 地平線の何処とも知れない所から吹く風が草原に群生する多様な草花を揺らし、青い香りを運んでくる。知識がある者ならばその香りの内から見知った草花の名前を想起するのかもしれないが、生憎と男にそのような典雅な情緒はなく、ただただそれらの香りと感触とに意識を傾け時々に浅い吐息を吐くのみであった。

 男の五感を通して感じられる『世界』はいかにも自然な体で、ともすればまるで現実の事物のようですらあった。そこまで考え、男は小さく口の端を歪めた。ここも、ある意味現実には違いない。

 一際強い風が吹き、男はそれを合図にするように座椅子から腰を上げる。草原を揺らす風が止む頃、その場に男の姿はなく。ただ朽ちかけた安楽椅子だけが吹く風の余韻に揺れていた。

 

 

 ◆◆

 

 

「お客様?」

 いつの間にか座っていた真っ白なテーブル、その対面から身を乗り出してこちらの瞳を覗き込んでくる金色の瞳に、君は思わず身を引きながら大げさな悲鳴を上げた。

 驚いたとか、ここはどこだ、なんて益体の無い言葉が君の口から次々と飛び出してくる。

 君に非効率極まりない言葉の奔流、もとい、質問の嵐にさらされた金眼の少女は―――この時君ははじめてテーブルの対面に座る人物が少女だと気づいた―――人形じみた美貌の眉を困ったように八の字にして未だとどまらずくだらない言葉を吐く君の口にテーブルの上のお皿に盛られていたマーブル模様のクッキーを一枚突っ込んだ。

「そんなに矢継ぎ早に質問されても困るわ」

 喉に詰まった熱々のクッキーに目を白黒させる君に湯気の立つカップを手渡しながら、少女はそう君をたしなめた。

 ところで、そう、『湯気の立つカップ』だ。

 喉の詰まりに耐えかね高温の紅茶を一気飲みした君は先とはまた違う要因によって悶絶することになった。

 コントじみた馬鹿馬鹿しい君の姿に少女ははじめ目を丸くしていたけれど、やがてくすくすと声を抑えて上品に笑い始めた。

 そのもの、美少女といった姿だった。灰色とも銀色ともつかない不思議な色合いの髪も、それに縁どられた人間離れして整った容貌も、君がアニメやゲームでしか見かけないような奇抜なデザインの衣装も、現実離れした少女の美しさを演出しているようだった。

「死なず、壊れず、ここを訪れるお客様は久しぶりだわ」

 むっつりと少女を見つめる君を見ながら少女は誰に言うでもないような調子でそう呟いた。

 ふと、君と少女の目があった。

「でも、ここにいるということは、あまりここに長居するべきではないということね」

 少女のほっそりとした腕があなたに伸ばされ、その手のひらが君の頬に触れた。

「残念ね。もう少しお話をしてみたいという思いはあるけれど、そうしたらきっとあなたはとても酷いことになってしまうわね」

 

 ―――だから、ここでお別れ、ね?

 

 ふわりと、君の意識を白い光が覆い、そのまま君の意識はそこに溶けていった。

 

 

 ◆

 

 

 目を開き、一番はじめに視界に映ったのは、巨大な口腔とそこに連なる凶悪な牙の列だった。

 湧き上がる悲鳴を噛み殺し、ダミーは振りかぶった右腕をそのまま目の前の喉奥に打ち込んだ。

 敏感な粘膜を力一杯に殴りつけられ、口の主が情けない悲鳴を上げる。獣の敏捷性で身を引こうとするが、その動作がはじまるより早くまた同じ悲鳴があがった。

「ナリはでかくても所詮はワン公だなぁ! ええ!?」

 右手で手繰り寄せた幻狼の舌を引きながらダミーは不敵な笑みを浮かべた。

 口外に引き出された舌は幻狼が顎を閉じることを封じ、また根の部分からテンションを張って引かれた舌は僅かな身動きからでも大きな痛みをもたらす。

 身動きを封じられ、しかしその金色の瞳に獣のものとは思えぬ明確な敵意と殺意を宿す幻狼の頭を抱え、ダミーは哄笑を吐いた。

「惜しかったなぁ、実に惜しかった。楽しい楽しいランチはお預けさ」

 歌うように言葉を紡ぐダミーに、幻狼の瞳が困惑に揺れた。それをめざとく見つけたダミーは狼の頭を抱えたまま自分の太ももに刺さっていたものを引き抜き、目の前で振ってみせた。

 それは、矢尻に赤いものの滲んだ一本の矢だった。

「痛みで幻覚を振り払うってのも、まあベタな話だよな」

 ポーリーとの事前のやり取りが身を助けた。幻覚にはまっていた状態から幻狼の姿を発見できたこと、ミラージュウルフというそのものずばりなネーミングを聞いていたこと、お互いの殴り合いから痛みで幻覚を抜け出せるとわかったこと、そしてそれらを竜車から引きずり下ろされる寸前で思いだし考えることができたこと、その結果がこの状況だった。

「殴り合いの末の友情。古典は大切にしておくもんだな」

 けらけらとダミーが笑う。非力な人類に拘束されながら、幻狼の瞳が不可思議な光を帯びる、しかし、その直後眼球に突き刺さった矢によってそれはすぐに消えていった。

「その手品はもう懲り懲りだ。タネが割れた手品程つまらないものはないだろう、なあ」

 矢尻を幻狼の眼球に取られただの木の棒の様になった矢を構わずもう一方の目に突き刺し、ダミーはまた暗い笑い声をもらした。

「おいポーリー! 熊が相手じゃねーんだぞ!いつまでも死んだふりしてんじゃねえ、武器をよこせ!」

 少し離れた場所でとまっている竜車に向けて叫ぶ、ややあって竜車の荷台から大振りな斧が飛び、ダミーの足元に落ちた。

「―――良い子だ」

 足元から蹴り上げ、手にとった斧を振り上げダミーは笑った。

 狂ったような笑い声を上げながらダミーは幻狼の額に斧を打ち込んだ。悲鳴をあげ身を引こうとする幻狼の動きを舌根を引き寄せ制し、また振り下ろす。狼の舌がちぎれ、さらにまた狼の額が割れその中身が平原にぶちまけられ、それでもなおダミーは斧を打ち込み続けた。

 やがてその頭が原型を失う頃、幻狼の巨体が赤く染まった平原に崩れ落ち、それを見届けたダミーもまた背中から地面に倒れ込んだ。

「クソが、やってやったぞチクショウ!」

 失血にくらむ意識から、それでもやけくそに叫ばれた声が異界の空に消えていった。

 

 

『見知らぬ空の見守る下で』 了

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