オペレーションネームは「ギャップ萌え」!?
今回は「あ」の字の人ことジークのターン
もぐもぐ、ごくり。
手にしたフォークでふわっふわの生クリームをすくい、これまたふわっふわのシフォンケーキ生地にのせて、至上の幸福にして口福を唇に運ぶ。
「ジークベルト・アルノルト・ヴェンツェル・ブルクハルト・クルト・ライマー・フォルクマール・エルレンマイヤーさん、ケーキのおかわりはいかが?」
「はい、いただきます義姉上殿」
(何やら聞こえてくる会話はスルーの方向で)ゆっくりと咀嚼し、味わうこと数秒。口内に広がる生クリームのなめらかさ、シフォン生地のふわふわ感、苺のみずみずしさと間に挟まれたバニラビーンズの香り豊かなカスタードクリームが奏でるマリアージュを堪能し、しばし悶絶。
嗚呼、この幸せのために私、生きてる――!!(目の前の幸福に集中!)
「ジークベルト・アルノルト・ヴェンツェル・ブルクハルト・クルト・ライマー・フォルクマール・エルレンマイヤーさん、紅茶のおかわりはいかが?」
「はい、いただきます義母上殿」
……いけない、いけない。とりあえず目先の快楽、手近な幸せに逃げてしまうのは人間、特に私のような些末で乱雑、お粗末トド松十姉妹ながさつ人間にはよくある悪しき性だ。問題を先送りにしたところで解なぞでぬというのに、ついさしづめ余所様のお家の食器棚の上、ウォークインクローゼットの奥深くのどこかにしまいこんでしまう。
よくない癖だ、うん。分かっちゃあいるのだけれどね、ジェームズ君。(だからジェームズって誰だよ!)
「ジークベルト・アルノルト・ヴェンツェル・ブルクハルト・クルト・ライマー・フォルクマール・エルレンマイヤー君、せっかくだし、よかったらかほりの子供の頃の写真でも見るかい?」
「え!!?是非、是非ともお願いいたします義父上殿!!」
手にしたケーキフォークを皿に置けば、かたり、と金属と陶器がふれあう硬質な音をたてた。(……けして、危うく父に投げつけそうになったからではありませんよ……ええ。いけないのはこの手なのです。ああ神よ、罪を犯そうと現在進行形で欲するこの哀れな右手を許したまえ!)
疲れたときには甘いものを、イライラするときにはカルシウムを補給するに限るよね。ティーカップに注がれた熱々の紅茶にたっぷりのお砂糖を入れ、これまたたっぷりのミルクを注いでからゆっくりとかき混ぜる。時計周りに1回、そして反時計回りに2回の計3回。ブツブツと心の中で呪文ならぬ、魂のマントラを唱えつつ。
「ジークベルト・アルノルト・ヴェンツェル・ブルクハルト・クルト・ライマー・フォルクマール・エルレンマイヤーさん、砂糖とミルクはどうなさる?」
「あ、このままで大丈夫です義母上殿。お心遣い、感謝いたします」
「まぁ、ジークベルト・アルノルト・ヴェンツェル・ブルクハルト・クルト・ライマー・フォルクマール・エルレンマイヤーさんたら、そんなに丁寧に畏まらなくてもいいんですのよ?」
「いえ、騎士として目上のご婦人に敬意を示すのは当然のことですから」
「まぁ、随分と生真面目でいらっしゃるのね」
「いえ、その……なにぶん、不器用な人間なもので」
……あれれ、おかしい哉?
地震でもないのに手の中でティースプーンが震え、カタカタとカップの中で音をたてる。きっと糖分を取りすぎたのだろう……血圧が音を立てて急上昇していくのが、こめかみにびきびきっと血管の筋が浮かんでいるのが、眉間にしわが寄りつつあるのが自分でも分かる。
うん、気のせい。
……いけない、いけない。常に心は穏やかに。短気は損気、怒ったら負けと言うではないか?そう自らに言い聞かせるも……荒ぶる私の心を余所に、のんきな会話は続くよ♪どこまでも!!
そう、これはあくまでも気のせいで。王様の耳はロバの耳~!じゃなくて!!この私の耳がおかしいのだと言い聞かせようとするが…やはり否応にも聞こえてくるわけで。
手の中でカタカタと音を立てるティーカップをソーサに戻し、私は諦めと言う名の溜息をついた。ふっと自嘲めいた微笑が口の端に浮かぶ。
ああああああああああ!!!!!
やっぱり気のせい、耳のせいじゃないよ!ナニコレ、ナンナンデスカ?頭がおかしくなりそうです!!
がん!とテーブルが嫌な音を立てる。
頭を抱えたまま身悶えをすれば椅子の足が床と擦れてたてる、軋むような耳障りな音がさらに私の神経を逆撫でる。だが、そんな私の内心の混乱とは裏腹に、目の前の光景はいたって和やかで――むしろ私のほうがおかしいのかと錯覚してしまいそうなほどにいつも通りの家族風景だ。
思わず口の端がひきつりそうになるのを必死に堪え、私はひとつふたつばかり深呼吸を繰り返した。すうっと大きく息を吸い込みながら丹田に力を落とし、深くて長~い息を吐き出せば、呼気にあわせて酸素が血液とともにゆっくりと全身に循環するのを感じる。
――我思う、ゆえに我あり。即ち、我あるからこそゆえに我思う――
吸って吐いてまた吸って。呼吸を繰り返すうちに心臓がとくとくとゆっくりとした心音を刻み始める。どうやら落ち着きを取り戻してきたようだ。伊達に幼少時より武道を嗜んできたわけではない。(必要に駆られて始めた、というのもあるが……)
仮にも武人の端くれたるもの、いっかな兵を前にしようとも泰然自若、鷹揚自若にして不変不動、心頭滅却すれば火もまた涼し。
うむ。
今の私は至極真面目かつ冷静な心持をきちんとこの腹に持っている。我が心は明鏡止水の如く澄みにけり。
だからこそ言いたい。いや、言わせてくれ頼むから。
な ん で す か い 、 こ の 和 や か さ は ! ?
な ん な ん で す か い 、 こ の 順 応 の 早 さ は ! !
あははうふふ、アハハ♪♪、と何仲良くうちとけちゃってんの、この人達は!まるで私の友達が突然「こんばんは~♪」と来たときみたいな歓迎っぷりだけど、彼は異世界産ストーカーにして誘拐(度重なる未遂)犯だよ、金髪碧眼テンプレ美形でおまけに剣まで携えた、ここ日本では銃刀法違反者だよ!?
それともなんですかい、最近は扉の向こうから異世界人がやってくるのが流行りなの、普通なの??そして彼がついさっきまでソファの上で気絶してたことも、あわや鎮と殴り合いの掴みあいの騒動になりかけたこともスルーですかい!しかもよくこんな長ったらしい名前を言えるよね!?
ああ!!それに「あ」の字の人も一体いつからうちの両親を義父上に義母上と呼ぶような関係になったんですか?そして何でみんなそれをあっさりスルーしてんの?
もうね、ツッコミどころ満載すぎて一体どこからツッコメばいいのかすらも分からないよ!!!!!
半泣きになりながらも諸悪の根源たる「あ」の字の人にじとり、と冷たい視線を向ければ、あっという間に1切れ目のケーキを平らげ、2切れめのケーキに嬉々として臨むその旺盛な食欲とスピードに思わず目が丸くなる。(けして2切れ目めのケーキが、こんな夜中に食べてもお腹のお肉が膨張する心配も恐れもない彼が羨ましいわけではない……たぶん)
しかし、さすがは金髪碧眼テンプレ美形の王子様。フォークの扱いもちょっとした所作までもが……綺麗としか言いようがない。私のさもしい語彙ではありきたりな表現で申し訳ないのだけれど。でもねでもね……一見完璧かと思いきや、鼻の頭にはクリームなんかがついちゃってるよ……?
あ~あ、と今度は少し呆れたような溜息がこぼれた。だが、我ながら少し嬉しそうに聞こえたのは気のせいだろうか……?
文字通り大の男が嬉しそうにケーキなんか頬張っちゃってさ。幸せそうな、嬉しそうな顔しちゃってさ。
先ほど我が家のソファで目を覚ましたときはご機嫌ななめどころかまさに真横。鋭角45度から鈍角180度まで、どんなメトロノームもガイガーカウンターもぶっちぎる勢いだった空気から一転、さっきまでの私と鎮の会話が気にくわない!と鎮に掴みかかったのもどこへやら――今やすっかりにこにことご機嫌顔だ。
私なんかのたった一言であっという間に機嫌を直した素直さは――まるで子供のように無邪気としか言いようがない。
手にしたはずのティーカップを再びテーブルに戻し、私は改めて頭を抱えた。まったく、自分というものが一番信じられないとはこのことだ。
「くそう!」
思わず小さく声に出た。
――「あ」の字の人のくせに、異世界産ストーカーのくせに――可愛いじゃないか!!
思わずギリギリと歯噛みしてしまう。こういうのが所謂ギャップ萌えってやつなの?ソウナンデスカ!?美形もテンプレも(少なくとも我が家では)間に合ってるから、敢えてここにない〝萌え〟で峠を攻める、と……何それ、もしかしてそういう作戦なの?新たな戦法なんですか、「あ」の字の人!?
ケーキをほおばる僕って無邪気でしょ、可愛いでしょ、わんこみたいに懐くでしょ?だからあっさり許して♪大作戦だとか?それともそうやって母性本能をくすぐっちゃうゾ♪大作戦なの?
思わずお手上げ、がっくり肩を落として私は目の前のティーカップをぼんやりと見つめる。白地にターコイズブルーを基調とし、金と赤の細密画が描かれた芸術品ともいえる一品だが、それすらも今の心境にはどうでもいい。
彼こそが今回の騒動の発端者にしてこれまでも散々な目に遭わされてきたくせに……簡単に、関西風のうどんつゆ並みにあっさり甘くもほだされてしまう自分自身にも腹が立つ。(出汁はやっぱり関西風ですよね。昆布とかつおの風味と少し甘めな味がたまりません♪・・って違うし!!)
だからこそ心を鬼に、関東風に辛口ビシッと濃いめにシメておいたほうがいい気もする。(おつゆじゃなくて彼を!)
左に座る問題人物に再度こっそりと恨めしげな視線を向ければ、私から不穏な空気が漂っていたのか、邪悪なことを考えていたのが伝わったのか……ものの二秒でこちらの視線に気づかれた。だが、何を勘違いしたのだろう。嬉しそうな、とろけんばかりの微笑みが返ってくる。まさにつゆだくもいいところ。
うお、美形の笑顔は眩しいです!おかわりもいりませんからロープ、ロープ!タオルぷりーず。
だが……現に母性溢れる優しい母も愛嬌溢れる、わんこ大好きな姉もすっかり懐柔されちゃってるし、私の中の適当さが「ま、今回ばかりはいっかぁ」と囁いてくる。面倒はごめんだと。いまさら怒るのもなんだかだし、何よりもコトをむしかえして、今の平和かつ和やかな雰囲気を崩したくない、というのがある。
何かと通常ではあり得ないトラブルにことかかない私のモットーは、見ざる・聞かざる・言わざるの三猿の叡智の精神だというのもある。
下手に何かに首をつっこめば、後は巻き込まれるだけ。面倒事へ一直線、まさしく厄介ごとへようこそ♪ってな感じ。沈黙は金、お口はミッ〇ィー、私の口は貝の口、とも言うではないか。余計なひと言という名の我が声は沈黙と言う名の水底に沈め、顔にはにっこり、アルカイク・スマイルを、そして女は黙って心でツッコミ!
これがこのようなややこしいあれやそれ、これやどれに直面したときに異常事態を受け流す上での私の方針、我が道は事なかれ主義の道と見つけたり!
結局のところ、「今回も何もなかった」、ということで私はそれを片付けてしまいたい、というわけ。
そして異世界産ストーカー殿にはケーキを食べた暁には、お早く・手早く・速やかに、それこそ何事もなかったかのようにお引き取り願い奉りたい。
か弱い女の子を寒空の下に立ちんぼうにさせた上に危うく不審者にしかけたこと、我が家の玄関を勝手に異世界につなげた挙句にぶっ壊したこと、普段物静かで優しいけれど、怒らせると我が弟ながらも物凄くねちこくて怖い鎮の逆鱗にふれたことなどなど……全部トイレにでも流して、どこか心のほとぼりと言う名の空き地にでも埋めておくから。
アデューさよなら、お元気で。
はい、ではまた次回作にて会いましょう。数年後のどっかの日曜日あたり、来世のどこか、いつか夢で会えたらいいね?
さよなら、さよなら、さようなら♪
だが――そうは問屋がおろさないらしい。
なぜならば。
にこにこと微笑む「あ」の字の人の瞳が、いつのまにやらがっちり私の左肩を掴んだ掌に込められた力の入りっぷりが――今、この瞬間も言っているのだから。
「絶対逃がさないからな♪」
と……!
改めて思う。
歩く面倒事、厄介事という名のでっかい旗印を常に背負ってご登場する「あ」の人だけでなく――やはり、私自身も同じように厄介な星の下に生まれたのだと。
――そして、何よりも隣が――正確には私の右隣でさっきから一言も喋らず黙したまま、身体全体から冷気を発する人物が怖い!怖すぎる!!
なぜならば彼の、鎮のその静かなる怒りが「あ」の字の人だけでなく、私にも向けられているのをなんとなく感じるからだ。……鎮さん、ええっと……私、さっき何かしましたっけ……?それとも何か変なことでも言いましたっけ……?
左もにっこり、右もにっこり。
どちらの人物も顔は笑ってるけど目がぜんっぜん笑ってませんから!!むしろその笑顔が怖すぎるよ!
思わず椅子の上で小さくなる。消えたい。このまま消えてしまいたい。
もしかしてこの状況って……所謂「前門の虎、後門の狼」って言うのでせうか……?(ガクブル、ガクブル)
お久しぶりの投稿です。
さて、なぜ鎮が怒ってるのかは「あ」の字の人が機嫌を直した理由につながっております。その辺はまた次話で。




