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第二十九章 オノグルの死神

それからは天地がひっくり返ったようだった。何しろ大陸の金は掘り尽くされてしまったと言うのが定説。その大陸唯一の金の産出国になったのだ。

他の大陸では金が採れるが、船で運んでくるため途中で沈没することも、ねこばばされることもある。地続きで採れるなら安定した供給が可能になる。

金が含まれた銅鉱石の存在が明らかになり、半信半疑だった諸国も先を争うようにオノグルとの通貨交換を求めてきた。国家元首が新たに鋳造する金貨と新通貨を交換すると言うので国際的な信用を得て、レートも安定した。オノグルは戦争しか能がない極貧国から一気に富裕国の仲間入りをしつつある。金貨を百万枚獲得する必要は最早ない。その金貨を国内で鋳造すれば良いのだ。金は今や、オノグルで最も人気の輸出品だ。


通貨の交換を再開してやろうと言い出したエースターを「いきなり交換を停止してくるような国は信用できない」と女王は一蹴した。今やオノグルはエースターとのレートを勘案しなくて良いほど経済的に自立した国になったのだ。

国際的な信用とレートが下がった母国は、今まで存在を無視していたウィルにまで泣きついてきた。なんと、エースターの国王直々の書状が届いたのだ。しかし届けに来た外交官に良い印象を持っていなかったウィルは、常駐する外交官をオノグルの利益を優先してくれる人物と交代すること、革製品の関税を撤廃することを条件にすれば話をつけると言って外交官を返した。もうすぐ前任となる外交官は泣きそうだったが、自業自得。ちょっといい気味だった。


           ‡   ‡   ‡


エースターの国境近く、街道沿いの人の往来も多いこの街に、三階建ての宿屋がある。その一室で、たどり着いたばかりの旅人がようやく一息つく。清潔な寝台の上に外套を投げる。金を積んだだけあって手入れの行き届いた一人部屋だった。追っ手からも客の情報を守ってくれるはずだ。帝国育ちの彼にとって外の寒さは辛いが、室内は暑いくらいだった。しかしこんなに暖かいのに暖炉の火が弱いのが不思議だ。恐らく長い時間炊いていからだろうが、自分の命運を表しているようで不安になる。


風邪でもひいたのか、頭がやけに重い。ずっしりした痛みもある。

上手くいくはずだった。

珈琲を飲んだように苦みがこみ上げる。救世主教の国より攫われた女の腹より生まれた男は、一見すると帝国の人間には見えない。そうして産み出され訓練された工作員は、男の他にも多く居る。


帝国が一番困るのは、豊富な食糧を持つエースターと強力な軍を持つオノグルが手を結ぶこと。戦争直後は互いに嫌悪を抱いていたのでその心配は無かった。しかしこともあろうに、オノグルの女王はエースター人を配偶者に選んだ。婚姻による同盟は古くから取られてきた手段。この婚姻は何としても潰さねばならなかった。首尾よく王宮内に潜入していた男は、エースターの青年の排斥に動いた。しかし失敗し、せっかく敵国で築いた地位を解雇されてしまう。そこで毒を盛ると言う直接的な手段に出たが、それも阻まれる。


そこで男は次の策、オノグルを経済的に困窮させる策をとった。男はエースターに潜り込み、次第に宮中でも信頼を得て、首尾よく侯爵の食客として雇われた。議席を持ち、軍人であった侯爵は十年前にオノグルに煮え湯を飲まされていた。そんな侯爵の耳に、武力を使わずに復讐する方法を吹き込んだ。逆上したオノグルに仕返しされるのではないかと不安の声を上げる有力者たちには、言葉を尽くした。安心させるのは簡単だった。人は火事や事故と言った自分にとっての都合の悪い情報は無視したり、「自分はきっと大丈夫」と思い込んでしまうものだ。そして、オノグルの民を飢え死にさせる議案は成立した。


実際は蛮族の国を経済的に追い詰めれば、戦争になることは火をみるより明らか。それでなくても、現オノグル国王は戦争に勝利することで成功した王だ。成功体験に囚われるというのもまた、人の性。帝国の脅威となり得る軍事力を持ち、戦の女神と持ち上げられている女ならば必ず武力を用いるだろう。

帝国では悟られぬように慎重に準備もしていた。オノグルがエースターと戦争を始めれば、手薄になった国境へ侵略する手はずになっていた。ところが女王は戦争をせず、経済対策を行った。


策自体は悪くなかった。これは元々、王配候補となっている青年が考案したものだったので、実行すればオノグル内で彼の立場がなくなるだとろうと言う思惑もあった。実際、途中までは上手くいっていた。しかし、誰が国内で金が見つかると予想するだろうか。


当初の計画は崩れ、軍事的に脅威だったオノグルが経済面でも力をつけてしまう皮肉な結果となった。このまま国へ帰れば皇帝の怒りを買うだろう。だがエースターが経済的に打撃を受け、責任を被せようと元雇い主である侯爵が血眼になって探している。男には最早祖国しか行き場がない。


小さな窓に影が差す。顔を上げると、女が窓越しに覗いていた。屋上からの命綱を腰に巻き、簡単なでっぱりを足場にしただけの不安定な姿勢だ。窓の修理をしていたのか漆喰をいれたバケツを片手に持ち片手には鏝を持っている。


「お久しぶりですぅ、ベンツェ君。または侯爵の食客様。それとも帝国の工作員、とお呼びしましょうか」


見覚えのある女は、その襤褸を着た掃除婦に不釣合いな訛りのない流暢な帝国語を操っている。


「何者だ」


相手は丸腰の、しかも女だと言うのに背筋を薄ら寒さが這いずる。無意識に懐にある得物を探っていた。


「聞かれて素直に名乗る愚図はいないと思いますけどぉ。仮にもスパイの真似事してたんだからわかりませぇん?」

「オノグルの死神」


口をついたのは、半ば伝説的な存在のはずだ。だと言うのに女は笑みを深める。

オノグル国王が抱えるとされる暗殺部隊。曰く、反抗的な貴族が火事に巻き込まれて死んだ。曰く、クーデターを企てた軍人が馬車の事故で死んだ。曰く隣国の公主が部下の凶刃に倒れた。オノグル国王に敵対する人物が立て続けに不自然な死をしたので起こった噂。それがまさか本物で、しかも女だったとは。


「普段は姿を知られる前にさくっとやるんですけど、今回は同僚だったで特別ですぅ。理由もわからずに死ぬのは可哀想かな、と思って」


姿を見せたと言うことは少なくとも今のところは命を奪うつもりはないらしい。

暗殺は油断しているところを襲うのであって、相手にわざわざ警告してはその成功率も落ちる。余程始末する自信があるのか、自意識過剰なただの馬鹿なのか、いまいち判断がつかない。馬鹿っぽいしゃべり方も、その迷いに拍車をかける。

細い命綱をつけているだけの女を観察する。華奢な腕からして、飛び道具を得意とするようだ。接近戦、力技に持ち込めば十分勝機はある。いっそこの場で始末した方が……。


「あ、忠告しておきますけど、窓には近づかないでくださいね。あなたにお相手いただくことになってしまいますぅ」


しかし相手は、あの油断も隙も無いオノグルの女王が寄越した暗殺者。僅かな殺気も逃さないらしい。恐らく、見た目に反して相当な手練れだろう。

声を上げ、誰かを呼ぶか。この一見、無害な女を相手に? 真実を述べたところで失笑されるのが目に見えている。それに下手に騒ぎ立てて、国境付近のこの街で自分が帝国の工作員だとばれるのはまずい。なんとかこの場をやり過ごし、この女から引き出した情報を土産に持ち帰り、身柄を近くの支部に保護してもらおう。

窓には鍵がかかっており、防寒のためかご丁寧に目地まで埋めてある。格子模様の枠に嵌めたガラスは小さく、人はもちろん腕も通らないだろう。この窓がある限り、無闇に命を奪われることはない。


「女王陛下は滅多にあたしたちに指令を出さないんですよ。思い通りにことを進めるのに、邪魔な人間を消すのは手間が少ないが、後々禍根を残す。異なった意見があるなら、正面から叩き潰す」


独り言のように呟き、女は唇の端を曲げる。

格好つけちゃって、本当は自分のために誰かが手を汚すのが嫌なのだ。だから暗殺者としてあらゆる術を叩きこまれた自分を、王宮の侍女なんて仕事に就けた。人殺し以外の道を見つけて欲しいと言う女王の優しさは有難迷惑だ。侍女業にやる気が出ないのも当然である。


「でもそんな陛下が信条を曲げてまで、あたしに始末を命じられるほど、今回の件はご立腹です。あたしもぷんぷんしてますぅ」


だって、せっかく旦那様の頑張りが軌道に乗りかけてきたところだったのに。

言いかけた理由を口の中で転がし、ローザと呼ばれる女は苦笑いした。感情を必要とせず、ただ命じられたとおりに動くだけでいいはずなのに、気づかないうちに大事なものが随分増えていたらしい。


「あなたは悲しませてはならない人を悲しませ、怒らせてはならない人を怒らせました。従って死んでもらいます」


女の手には銃も剣も無い。せいぜい武器になりそうなのは手にした鉄製の鏝くらいだ。それでどうやって人を殺すのだ。


男が笑い飛ばそうとしたところ、眩暈がしてその場に膝をついた。

何故だ。まだ宿についたばかりで毒どころか飲食の類は口にしていないはず。だというのに身体が思うように動かない。霞む目のみ動かすと、まだ薪がくべられていると言うのに暖炉の火が消えているのに気づいた。


吐き気が酷く、痛む頭で思い出す。そう言えば、地下室や、閉め切った部屋で調理や暖をとろうと火を燃やすと、人が吸うための空気が無くなるだとか、有毒なガスが出るとか聞いたことがある。異常に暖かい部屋。バケツの漆喰。密閉された窓。消えた暖炉の火。一見無駄なお喋りで気を逸らし続け、自分をこの部屋に縫い留めたのは、まさか……。


「自前の武器でしか殺せない暗殺者って、ダサいと思いません?」


女は漆喰を片手にロープを伝って屋上へと移動する。部屋には、死んだ男だけが残されている。

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