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エピローグ カラス

「イロナさん、一緒に会場まで行こう!」


侍女たちから女王の支度はほぼ終わったとの情報を得てウィルは衣装室を襲撃した。

エースターが通貨の交換を停止したことで、両国の対外感情は悪化した。特に理不尽に通知され、あわや飢え死ぬところだったオノグル側ではさぞや腹を立てただろう。仲睦まじい様子をアピールして悪い噂を払拭せねば、両国の関係に亀裂が入ってしまう。


「あれ? 手紙? 誰から?」


室内でイロナは伝書鳩からの便りに目を通していた。


「ローザからだ」

「そっか。元気にしてるって?」

「ああ。首尾よくいったらしい」


敵を始末できたと言うのに大した感慨も無い。元より心配はしていない。帝国の工作員は不幸な事故死と判断されるだろう。幼少の頃からありとあらゆる殺しの術を叩きこまれている女だ。たとえ長く使われずとも錆びつくことは無い。その程度には信用している。


それにしても、帝国は本国のみならず、隣国の深くまで入り込んでいた。改めて油断のならぬ国と認識する。現時点で恐らく最強の陸軍と海軍を持ち、商業の中心でもある。前回のエースターとの戦争時は国内のごたごたで手を出して来なかった。と言うのも、幾人も居る皇子が骨肉の後継者争いをしていたのだ。今の皇帝はその後継者争いを制した男だ。策謀の手段は星の数ほどあるだろう。

帝国はオノグルとエースターを争わせる心積もりだったのだろう。イロナが司令官ならば、その間にヴァラヒアかオノグルに侵攻する。オノグル軍は強いがさすがに二国、しかも帝国は片手間では相手にできない。

物憂げに黙っている女王に、事情を知らないウィルは「ふうん?」と両眉を上げる。


「できたー!」


ずっと無言でドレスの裾を刺繍していた領主夫人が糸を歯で切り、そのまま絨毯に沈んだ。目の下に隈を作り、まだ針を持ったまま精も魂も使い果たして寝転んでいる。


ウィルは「ありがとうございました」と頭を下げた。ワンポイントに絞ったが半端ない刺繍の量を、さすがの腕で仕上げていた。ただ、何回かデザイン画を突き返したせいで直前まで刺繍する羽目になったのだった。


「イロナさん」


少し離れた所には親方が作ったハイヒールがあった。ウィルは女王に声をかけると、使用人のように跪き、絹のストッキングを履いた形の良い足に靴を履かせる。靴はシンプルな形だがパステルカラーで染められ可愛らしい。衣服、靴、宝石、下着に至るまで全部国内で用意できる限り最高のものを揃えた。

今日は、女王に広告塔となり、初めて国民たちにオノグル産のファッションを披露する日。蛮族の国と言われ続けたオノグルの晴れ舞台だ。


「えっと……似合ってるよ」


ウィルは照れたまま顔を上げられない。


「そうか? ちと派手ではないか?」


イロナはカラフルな花々が刺繍された裾を見ている。


「そんなことない。とっても素敵だよ」


婚約者の力強い声に勇気をもらったのか、その場でくるりと一回転してみせる。イロナも女だ。普段は軍服を着ているが、素敵なドレスを着ると気分まで上がる。


「我が国は貧しいと思っていたが、こんな刺繍をする村があるのだな。それに、ヴァルカ工房が女物の靴も作れるとは知らなかった」

「新しい産業になるかもしれないね」


ウィルは産業開発の流れを止める気は無い。イロナも金で儲けている現状に甘んじる気はないようだ。金は臨時収入、いずれ掘り尽くされるものと覚悟し、得た富を元手に灌漑工事を進めている。乾燥した気候のため雨量が少なく、今までは耕作に向かなかった。しかし大河から水を引くことができれば、自国で小麦を生産できるようになるかもしれない。


「君も似合っている、と言いたいが違和感があるな」

「実は着方がわからなかったんだよね」


ウィルはスールと呼ばれるオノグルの民族衣装を着ている。一見すると直線的な裾の長いマントに似たジャケットだが、身体のラインが見えないほど膨らんでおり、襟の折り返しや裾に草花で染めた羊毛糸で華やかな刺繡がされている。

さきほど袖に見える部分に通そうと奮闘したが、布が詰められており諦めた。


「そうやって前から手を出すのであってるぞ。基本的に羽織るだけだ」


スールは保温性にも優れ、太陽の熱や雨や風からも守る羊飼いにとって不可欠な防寒着だが、農民を中心に庶民にも広まっているらしい。また、騎手にとっては鞍代わりになり、戦場で降りたり停まったりした場合は馬を覆い、戦う時は打撃を軽減する。馬とわが身を守る防護服でもある。旅をする時は枕にも、椅子にも、毛布にもなる。大変便利な、放牧で草原を駆けまわるこの国の風土から生まれた衣服である。


どことなく不格好なのを見かね、イロナは絹の手袋で襟を正し、留め金を留める。なんだか夫婦みたいだ、と気恥ずかしさと気まずさからもごもごとお礼を言って目線を下げると、間近に迫った端正な顔立ちと、いつもより襟ぐりが深い服を着ているせいでその下にある柔らかそうなふたつの膨らみが作る谷間が見えてしまう。慌てて目を逸らしたウィルは、ふと、自分が着ている服の裾に目を留めた。


「そう言えば、この鳥、何?」


この国の伝統的衣装を着たいと言ったウィルに、イロナが用意したのがこのスールである。青い生地に描かれているのは猛禽類のようにごつい体格の大きな鳥、嘴には指輪を咥えている。見覚えがあるな、と視線を巡らすと、城内に吊り上げられた旗、王家の家紋(シンボル)なのだろうが、その右下にもこの鳥が描かれている。


「前々から不思議だったけど。もしかして、太陽神の使いの大烏(コルヴィン)?」

「他国の人間にはそのように説明している。我々はトゥルルと呼んでいる」

「とろろ?」

「我々の伝説に登場する鳥だ。かつて東よりそれぞれの部族を率いていた七人の首長は、新天地を求め大地を彷徨っていた。すると、どこからかこの鳥が現れ、この地へと導いたとされている」


シトリンの瞳が窓へと視線を移す。


「オノグルを永住の地と定めた我らの祖は、この地をどう思っただろう。草原がどこまでも続き、家畜の生育に適している。彼らの目にはさぞや素晴らしい土地に映ったことだろう」


その向こうはこの国の大地がどこまでも続いている。


「だと言うのに私は、この国は武力しか取柄がないと思い込んでいた。いつの間にか、借りものの物差しで測っていたのだな」


女王の横顔からは何の表情も読み取れない。しかし、口惜しさと言うより大切なものを噛みしめている、そんな気がした。


「戦時に仮に金脈が見つかったとして、他国と商売することは困難だっただろう。私は戦うしか道がないと思ったが、結果的に戦争をしない方が利になった。ありがとう」


直球の感謝の言葉に、ウィルは首を振った。


「近すぎるとかえって見えないものだよ。その点は他国から来た俺の方がよく見えたんだね。わからなくなったらいつでも教えあげるよ。この国は宝の山だ。金脈のことを言ってるんじゃない。息子の為に大量の靴を作る職人がいて、恋人を取り戻すために見事な刺繍をする娘がいる。そんな民のことをいつも見守っている君主がいて、そんな君主を慕っている民がいる」


この国はそうやって誰かが誰かを思いやってできた、温かい何かで溢れている。


「探せばまだまだ宝物がたくさんあるはず。俺はこれからも発掘しまくるつもりだから」


そうすれば、この国を蛮族の国だなんて言う人は誰もいなくなるだろう。

ウィルが笑顔で見上げれば、女王もじっとこちらを見つめていた。


「君は我が国を導くトゥルルなのかもしれんな」


自分が大烏(トゥルル)? 確かに毛色は黒いが。

思いがけない言葉に、どぎまぎしてしまう。それでも。彼女が自分のことをそう信じてくれるなら、女王のための大烏(トゥルル)でいたいと思う。


「そろそろ時間だから行かないと」


気恥ずかしさを誤魔化すように立ち上がる。すると女王がウィルの手を握った。


「行くのであろう? どうして突っ立っている?」

「え、ま、行くけど、なんで、手」

「同じ方向に行くなら効率的ではないか」


いや、そうなんだけど、と思考が上滑りして考えがまとまらない。


「エースター人である君と友好的な様子を見せることができれば、母国の国益、君の利にも適うのでは?」

「それもそうだね」


納得して頷くと、女王は顔を背けた。覗き込むと震えてる。笑いを堪えているらしい。


「何?」

「いや、訝し気だった割にはあっさり納得したな、と思ってな」


またからかわれた、と拗ねるウィルの手を、女王は絹の手袋越しに握る。


「手を繋ぎたくなった、ではダメか」


手の中の温もりに、ウィルは未知の生物と遭遇した子猫のように固まってしまった。悪戯が成功したとでも言うように、女王はそんなパートナーを見て吹き出した。


           ‡   ‡   ‡


当日。宗教上の理由で肉を断つ期間を前に開かれる、盛大な無礼講である。街は咲き始めたばかりの花に彩られ、派手な身なりの行列が通行人に菓子を投げている。通りの端では頭に鈴をつけた一昔前の流行の衣服の男が大道芸を披露している。いつもよりにぎわいを増した雑踏に、どこからともなく陽気な曲が聞こえてくる。


新しい通貨でやりとりをしていた路上の露店では、中年の店主が銀貨を翳し、「やっぱり美人だなぁ」と呟く。

見比べる視線の先、王城のバルコニーでは女王とその婚約者が並んでいた。

敬愛する陛下と、他国から来た王配を一目見ようと、宮殿が見える通りは例年より多くの人で埋め尽くされている。


初めて公の場に現れたエースター人は、この国の衣装に身を包んでいた。

オノグル人の誰もが、公の場では野蛮な国と言われぬよう西側の国を真似た格好をする。しかし今日は国民の前で春を寿ぐ日、民たちが羽目を外して仮装などをする日でもある。

だからこそこの日に、オノグルの先祖伝来の装束を選んだ。粗野だと卑下することはなく、この国が生み出したものは素晴らしいのだと胸を張れるように。

それはエースターの人間である青年がこの国に生きていくと言う覚悟の現れでもあった。

彼らはそんな男に、何より、仲睦まじげな婚約者たちの様子に胸を撫でおろす。寒い冬の間に彼らの暮らしにも色々な変化があった。食糧費が値上がりし、輸入品が減り、唐突に通貨が切り替わった。彼らの中でも敏い者は、この国に何かが起きているとうっすら感じ取っていた。彼らの女王が何とかしてくれるという信頼はあったものの、その女王は敵国の男を連れて来た。冬の間に耳に届いた悪評に、本当は少し不安だったのだ。


――ああ、でも、幸せそうだ。


トゥルルの描かれたスール姿の黒髪の青年に、民衆たちから笑みが零れる。

この防寒着は、殊に若者にとって必要不可欠なアイテムだ。なぜなら、スールを手に入れるまで結婚することができないからだ。

求婚者たちは、結婚したい女性の家の門の前にこのジャケットを置き、その家を数周回る。すると、通常家長や女性の父親がその上着を家の中に入れる。男が門に戻るまでに上着が残されているかどうかで、この婚姻が拒否されたか歓迎されたかを示す。

今や天涯孤独の女王には、上着を家に入れてくれる身内はいない。

だが、この城と言う彼女の家の中で、男がこの服を着ている。これは婚約に対する女王の前向きなサインであると彼らは受け取った。


「なんかみんな、俺の服に注目してない?」


ドレスを着た女王への、あんな衣装を着てみたいという羨望とは明らかに異なる好奇の眼差し。さては着方が悪いのか、でもさっき直してもらったし、などと当本人であるはずのエースターの青年だけは首を捻っている。


「そうか?」


イロナは惚けた。伝統の衣装と言うだけならスバやグバと呼ばれる外套もあるのに、わざわざスールを選んだ本心を告げるつもりがない。気恥ずかしいからだ。

剣を握っていた手は今、慣れない絹を被せられ、男の手を握っている。筋張ったその手は指先が長く、楽器は弾けるだろうが剣など凡そ握ったことはないだろう。しかし短い人生で多くペンを握っていたためか、中指の側面が固くなっている。その努力の感触を指先でそっと愉しむ。悪戯な手の動きに、男は丸くした目をちらりと寄越す。


にっこり笑いかけると、眩しいものを見るように今度は目を細めた。

オノグルは問題を抱えている。食糧は自国で生産できず、富は外へ出ていく。外では過去の侵略で周辺国の恨みを買い、国境の向こうでは帝国が虎視眈々と狙っている。


でも、この手の中の温かさがあれば何も怖くない気がした。

民衆へ笑顔で手を振る二人の、もう片方は固く繋がれている。


長い冬は開けた。半年あった婚約公示期間は終わりに近づいている。

間もなく春がやって来る。誰もがその期待に胸を躍らせている。

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