029:厄災
それは入弦たちが食事をとっているときに起きていた。
食事をとっていると店の中の放送が流れたのである。それは音声などがあるものではなかった。音楽でもない、それはけたたましい音を立てる、人の不安と恐怖を駆り立てる、警報。
入弦が聞いたこともない、いや、この世界の入弦ならば聞いたことはあったかもしれないその音を聞いて、店にいた多くの人間が慌てたように店の外へと走り出していた。
「なんだ?警報?」
「やばそうだな。っていうかまだ会計もしてない!っつーか食わないともったいない!」
確かに会計もしていない、食事も食べきっていない状態だったが、今まで何度か死に近づいた入弦はそれに気づいていた。
死が迫る感覚とでもいえばいいのか。自分の命に、手がかかる感覚とでもいえばいいのか。
自分の背骨を、誰かの手が掴んでいる。そんな、言いようのない不快感。入弦はそれを感じた瞬間立ち上がり、吉野の手を掴んで引きずり始める。
「んが!なんだよキョーちゃん!まだ残ってる!」
「逃げるぞ!なんかやばい!外……!そうだ!脱出艇の方に行くぞ!」
鬼気迫る入弦の声と顔に、さすがの吉野も何かがまずいと言うことを理解したのだろう、残った料理への執着をやめて立ち上がる。
「よくわかんねえけどわかった!乗れ!どっち!?」
「あっちだ!急げ!なんか、なんかやばい!」
入弦を乗せた瞬間、吉野は全速力で駆け出す。車にも劣らない速度で走る吉野の足は、入弦を乗せた状態でも何も問題なく最高速度を出していた。
だがその進行を止めたのは同じように逃げ惑う人々だった。われ先に逃げようとする人間の群れが道に存在しているせいで、このまま進めば人にぶつかるだけ。この速度を維持することはできそうにない。
「やば……!ぶつかる!?」
「捕まってなキョーちゃん!跳ぶぜ!」
吉野の言葉を理解するよりも早くその体にしがみついた瞬間、吉野の体が大きく跳ねる。
建物の看板や窓の縁、そして屋根を足場に駆け上がり、建物の屋上部分にまで到達すると先ほどと同じように高速を維持しながら屋根から屋根へと飛び移る。
「これなら道無視!一直線だぜ!」
「よし!よし!やるじゃんか吉野!お前やっぱ最高だ!」
「褒めんなよ!何も出やしないぜ!?」
このまま行ければ大丈夫。そんなことを入弦が考えた瞬間、再び入弦に先ほどの感覚が襲い掛かる。
背骨を、誰かが掴んでいる。
そんな感覚を覚えた瞬間、入弦は後ろを向いていた。
そこに誰かがいたわけではない。誰もいない、ただ先ほどまで自分たちがいた町があるだけだ。
だがその場所、その空間に、何かがあった。
光の筋とでもいえばいいのか、空間の裂け目とでもいえばいいのか。本来街の先には大海原が見えているはずなのに、それすら見えない。向こう側にあるはずの雲が、わずかに歪んでいるその光景を見て、入弦は叫ぶ。
「吉野!高く跳べ!」
入弦の言葉を理解するよりも早く、吉野は自らの足にありったけの力を込めて跳んでいた。
空中に跳んだ瞬間、それは起きた。
音が、消えた。
何が起きたのかも理解できず、入弦たちの目にそれは写っていた。
巡洋艦の中心。その一角から放たれた、いやそこを中心に起きた巨大な衝撃波。それは轟音という表現すら生ぬるい。周りの建物を破壊しながら広がるそれが一体何なのかもわからず、巡洋艦がそれに飲み込まれていく。
単純な爆発ではない。何か、その場所が次々消滅していくかのような、そんな、異空間への穴のようなものが開いている。
幸運だったのは、入弦たちが僅かに高いところにあったというところである。
最初に起きた衝撃波によって多くの建物が崩れ、地面を走っていた人々たちはその瓦礫に巻き込まれてしまっている。
だが入弦と吉野は多少高くにいたおかげで、その衝撃波によって吹き飛ばされていた。
「吉野……!吉野……!落ちてる!落ちてる!」
「ま……かせろ!この程度の高さでぇぇぇぇぇぇぇ!」
崩れた建物に落ちそうになる中、吉野は空中で態勢を整えると全力で手足をばたつかせて落下の速度を緩めていく。
何とか崩れかけた建物に着地するが、入弦は吉野から落ちて転がってしまう。
そして崩れかけた建物は入弦たちが着地した衝撃でさらに崩れ始める。
「キョーちゃん!」
「行け!行け!走れ!跳べ!俺も行くから!」
吉野が声をかける時にはすでに入弦は走っていた。足元から崩れ始める建物から逃れるべく、隣の建物へと跳び移ろうと走り、わずかに残っている手すりを足場に跳躍した。
だが到底飛距離が足りない。周りの建物が崩れてしまっているせいで、足場が不安定になっていたこともあり、高くも遠くへも跳べなかった。
ここで落ちたらまずい。ここで落ちたら間違いなく死ぬ。入弦がそう確信した瞬間、吉野の背中を誰かが掴んだ。
「よっしゃ!逃げるぜキョーちゃん!」
今度は後ろには吉野がいた。吉野が入弦の背中を掴み、自らの勢いも乗せてその飛距離を強引に伸ばしたのである。
吉野は入弦を背中に乗せると、崩れかけた建物に着地し、再び走り出す。崩れ出す建物を器用に、それでいて素早く走り、さらに隣の建物へと跳び移る。人間の動きではないが、これほど頼もしいやつもいないと入弦は感謝していた。




