第1話「邂逅」
2036年3月初旬。
大阪には、冬の冷たさがまだ少し残っていた。日が落ちると風は肌を刺し、大学のキャンパスでは、春休みを前にした学生たちが早足で駅へ向かっていた。
新田目とおるは、自室の机に座り、モニターを3枚並べていた。
茶色の髪が額に落ち、眼鏡の奥の目が画面を行き来する。中央にはニュース記事、左には公開された捜査発表、右には匿名掲示板の書き込みが表示されていた。
「……OZ、ね」
ニュースでは過激派、あるいはテロ組織と呼ばれている。老人ホームを襲撃し、高齢者を殺害する。政治家まで標的にする。
ところが、事件の報道を追うと、妙な一貫性が見えた。
構成員は標的以外の人間をできるだけ避け、政治そのものを支配しようとはしていないらしい。無差別に破壊する組織とは、どこか違っていた。
もちろん、違うから安全ということではない。むしろ、行動の基準がある組織ほど、次に何をするかを考える必要がある。とおるはそこに興味を持った。
彼は情報を集め、断片をつなぎ、いくつかの連絡先をたどった。すぐに信用できる情報が得られたわけではない。
返事が来ないこともあったし、相手が本物かどうか判断できないこともあった。
それでも、時間をかけて接触を続けるうち、彼はOZの関係者と直接話す機会を得た。
話し合いの内容を、彼は誰にも詳しく説明しなかった。危険な組織だということは分かっていた。
それでも、好奇心は恐怖より強かった。彼は自分で確かめたいと思い、3月のうちに正式に加入した。
約1か月後、2036年4月中旬。
大阪府吹田市、北摂の千里丘陵にキャンパスを構える大阪北稜大学の講義棟では、午後の講義が終わろうとしていた。
窓の外では薄い雲が春の空を流れ、学生たちは昼食やアルバイト、サークルの予定について話しながら教室を出ていく。
大阪北稜大学は、学生約12,000人が通う私立の総合大学。
文学部や法学部、経済学部、商学部、社会政策学部、外国語学部、情報理工学部などを擁し、関西
各地から学生が集まっていた。大学図書館には、専門書だけでなく人口統計や社会保障、医療費、高齢者福祉に関する資料もそろっている。
学生にとっては、講義を受け、食堂で友人と昼食を取り、図書館で課題に取り組む、ごくありふれた場所だった。
浅瀬誠と新田目とおるは、ともに大阪出身の3回生で、同じ大阪北稜大学に通っていた。
幼いころからの付き合いがある2人は、別々の講義を受ける日もあれば、講義の合間に顔を合わせる日もあった。
この日も、講義棟の教室を出たとおるは、ノートを鞄にしまっていた誠の隣に腰を下ろした。
「誠。ちょっと面白いもの、見つけたんだけどさ」
誠は顔を上げた。21歳。背が高く、短い黒髪を整え、服装にも大きな乱れはない。
子どもの頃から、勉強も運動も平均以上にこなすことができたが、何かに強く執着する性格ではなかった。
とおるとは幼いころからの付き合いで、互いの家を行き来していた時期もある。とおるが何かを思いつくと、止めても無駄だということを誠はよく知っていた。
「面白いって、またゲームの話か?」
「ゲームより危ないかな」
「危ない?」
とおるは周囲をちらりと見た。ほかの学生たちは、自分たちの話に夢中だった。
「OZって知ってる?」
誠は数秒考えてから、眉を寄せた。
「ニュースで見た。老人ホームを襲った連中だろ。あれ、面白い話なのか?」
「面白いっていうか、興味深い。少なくとも、ただ暴れたいだけの集団じゃない。行動のルールがある。資金も人員も、思ったより組織的だ」
「人を殺してる時点で、まともじゃないだろ」
「そこは否定しない」
とおるは、いつになく真剣な声で答えた。誠は、その声に少し驚いた。いつものとおるなら、興味を持ったものを大げさに語り、相手が呆れるまで止まらない。
今は、冗談に逃げる気配がなかった。
「俺は加入した」
誠は手にしていたペンを落としかけた。
「……は?」
「調べて、話をして、決めた。危ないことも分かってる」
「お前、何を考えてるんだよ。警察に捕まったらどうするんだ」
「その可能性はある」
「ある、じゃないだろ」
誠の声が少し大きくなり、近くの学生がほんの短い間こちらを見た。誠は声を落とした。
「何のためにそんなことをするんだ。社会を変えたいとか、そういう話か?」
「俺は、まだそこまで大きなことを考えてない。ただ、何が起きているのか知りたい。中に入れば分かることもある」
「外から調べればいいだろ」
「外からじゃ、限界がある」
その言い方に、誠は反論できなかった。とおるは昔から、分からないものをそのままにしておけない人間だった。
小学生のころ、壊れたラジオを分解し、元に戻せなくなって怒られたことがある。
大学に入ってからも、プログラムの不具合を見つけると、夜遅くまで原因を追い続けた。
しかし、今回はラジオでもプログラムでもない。人間が関わっている。しかも、命が失われている。
「俺を誘ってるのか?」
誠が尋ねると、とおるはすぐには答えなかった。
「無理にとは言わない。俺はお前に嘘をつきたくなかっただけだ」
それは誠にとって、いちばん困る答えだった。隠されていたなら、怒って距離を置けたかもしれない。だが、とおるは自分が何をしたかを話し、判断を誠に委ねている。
窓の外で、風に吹かれた桜の枝が揺れた。まだ花はほとんど咲いていない。誠は、ニュースで見た事件現場の映像を思い出した。黄色い規制線。救急車。記者の声。
画面の端に映る、何も知らずに通り過ぎる人々。
「……調べるだけなら、という話にはならないんだな」
「たぶん」
「たぶんって何だよ」
とおるは、少しだけ笑った。
「だから、見て決めてくれ。入るかどうかは、それからでいい」
誠は答えなかった。興味がないと言えば嘘になる。だが、危険な組織に関わる理由としては、それだけでは足りない。友人を放っておけない気持ちもあった。
とおるが1人で進み、取り返しのつかない場所へ行ってしまうのではないか。その不安が、誠の中で静かに膨らんでいた。
帰り道、2人は並んで駅へ向かった。夕方の風は冷たく、街路樹の枝はまだ冬の形を残していた。大学生としての毎日は、明日も続くはずだった。
講義に出て、課題をこなし、友人と食事をし、週末には好きなことをする。
けれども、とおるが選んだ道は、日常のすぐ隣にありながら、ひとたび足を踏み入れれば戻れないかもしれない場所へ続いていた。
誠はまだ、何も決めていなかった。ただ、友人の背中を見失わないように歩いていた。




