序章「3人に1人の国」
2036年4月。
東京の朝は、いつもと変わらない顔をしていた。
駅の改札を抜ける人々は、片手にコーヒーを持ち、もう片方の手でスマートフォンを操作している。
通勤電車は数分遅れただけで不満の声を集め、駅前の広告は新しい車と旅行先を勧めていた。
コンビニの店員は年配の客に丁寧に頭を下げ、小学生はランドセルを揺らして横断歩道を渡る。街は動いていた。
だからこそ、国がどこへ向かっているのかを、日常の中で実感する者は少なかった。
街の行政窓口や医療機関では、年齢による区分が当たり前のように使われていた。
一般的には、65歳以上を「高齢者」と呼び、そのうち65歳から74歳までを「前期高齢者」、75歳以上を「後期高齢者」と区分する。
制度を考えるための分類としては便利だが、その境目を越えた瞬間に、人の暮らしや身体が一変するわけではない。
数字だけは、日常より正直だった。
2025年、65歳以上の高齢者は約3700万人。人口の30.0%。2030年には32.5%、2035年には35.0%に達した。
75歳以上は約2260万人で、およそ5人に1人が後期高齢者となっていた。
医療費は2025年の約56.5兆円から、2030年には約66兆円、2035年には約75兆円へと増加した。
現役世代1人が支える高齢者の数は、約1.6人から1.9人へと増えていった。
数字は会議資料の中で、きれいに整列していた。グラフの線は少しずつ上へ伸び、政府の発表資料には「持続可能な社会保障制度の構築」という言葉が何度も登場した。
だが、その言葉を聞く側の暮らしは、資料のようには整理されていない。
介護のために仕事を辞める人がいた。親の通院に付き添うため、有給休暇を使い切る人がいた。
保険料と家賃を払えば、給料日まで自由に使える金がほとんど残らない若者もいた。
一方で、年金と貯蓄を頼りに、慎ましく暮らす高齢者もいた。誰かの父であり、誰かの母であり、誰かの祖父母である。それぞれの事情は、統計の欄外に押しやられていた。
政府は何もしていなかったわけではない。制度の見直しを発表し、専門家会議を開き、負担と給付のバランスを議論した。選挙のたびに各党は改革を掲げた。
しかし、改革には反発があり、反発を避ければ効果は小さくなった。結論が出るころには、人口構成も医療技術も、議論を始めた時点から変わっていた。
「また先送りか」
昼休みの食堂で、若い会社員がニュースを見ながらつぶやいた。向かいに座る同僚は、箸を止めずに答えた。
「でも、どうすればいいんだよ。年寄りを切り捨てるわけにもいかないだろ」
「そんなことは分かってる。でも、こっちだって生活がある」
2人はそれ以上話さなかった。周囲のテーブルでも、似たような不満が聞こえていた。誰もが問題を感じていたが、誰も簡単な答えを持ってはいなかった。
その隙間に、単純な答えを差し出す者たちが現れた。
高齢者を「社会の負担」とみなし、独自の基準で殺害する。政治を直接支配しようとはしない。
国家を乗っ取るのではなく、社会を重くしていると彼らが判断したものを取り除く。
無関係な人間には、原則として危害を加えない。
理屈は単純だった。単純であることは、理解しやすさと危険さを同時に生む。
その組織を設立したのは、出達しん という人物だった。
出達は2030年にOZを設立し、2035年に組織は公の場に姿を現した。
正式名称はOperation Zero、オペレーション・ゼロ。世論からはOZと呼ばれている。
出達は「日本国内の高齢者を殺害し、日本が背負う負担をゼロにすること」を目標としていると語る。
さらに、名称にあるZeroは日本国内の高齢者を殺害し、日本が背負う負担をゼロにするという目標を表すのだと明言していた。
初めて老人ホームが襲撃された時、報道は「異常な思想を掲げる過激派」と伝えた。次の事件では、構成員が標的以外の職員や一般人を避けたという情報が広がった。
警察はそれを組織的なテロと位置づけたが、インターネット上では、事件そのものを非難しながらも、彼らが突きつけた問題から目をそらせないという声が出始めた。
「殺すのは間違っている。でも、問題提起だけなら正しいのではないか」
「その考え方が危険なんだ。人を数字で切り捨て始めたら、次は誰が対象になる?」
議論はすぐに分かれた。OZを支持する人間が全員、殺人を望んでいたわけではない。多くは、政府への怒りや将来への不安を、組織の言葉に重ねていた。
逆に、OZを拒絶する人々の中にも、社会保障制度が限界に近づいていることまで否定できる者はいなかった。
大阪のどこかで、古い物流施設を思わせる建物の窓に、夕方の光が差し込んでいた。外から見れば、何の変哲もない事業所だった。
その内部には、食堂があり、寝室があり、訓練室があり、通信設備があった。人々は食事をし、働き、眠り、次の行動に備えていた。
彼らは、自分たちこそ現実を見ていると信じていた。
そして社会は、まだ彼らの本当の規模を知らなかった。
老人1人を救うか、日本そのものを救うか。
その問いが正しいのかどうかを考えるより先に、誰かが答えを選び、引き金を引こうとしていた。
ある夜、テレビの討論番組で、若い経済学者と高齢者福祉の専門家が向かい合っていた。
画面の下には「社会保障をどう維持するか」という文字が流れ、司会者は限られた時間の中で結論を求めた。
経済学者は現役世代の負担を示し、専門家は支援を必要とする人々の生活を語った。どちらも間違いではなかった。
だが、番組が終わると、視聴者の多くは自分の立場に近い言葉だけを覚えていた。
複雑な問題は、短い見出しに変わるほど、対立を深めていく。OZは、その対立の間に入り込み、迷いを切り捨てた答えを掲げたのだった。




