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OZ-Operation Zero-  作者: Tea
19/22

第17話「静かな時間」

2036年12月9日。

神戸中央総合医療センター襲撃作戦 前日。

OZ大阪本部の廊下には、普段より少ない足音しかなかった。準備はほとんど終わり、装備の確認と最終連絡だけが残っている。

誰もが忙しく動いているはずなのに、建物全体が息をひそめているようだった。


食堂の窓には薄い曇りが浮かんでいた。浅瀬誠は紙コップのコーヒーを手に、窓の外を眺めていた。冬の空は灰色で、遠くの工場の煙が低く流れている。

ここで過ごした時間は、まだ1年にも満たない。だが、大学の教室よりも、実家よりも、ここでの生活が自分の一部になっていた。


「誠、これ、読む?」


ロンがノートを差し出した。ひらがなとカタカナが並び、ところどころ漢字が混じっている。彼女は難しい字を何度も書き直していた。


「『明日』は書けるようになったんだな」


「明日、むずかしい。でも、覚えた」ロンは少し誇らしげに笑った。「明日、作戦の日」


その言葉に、誠は返事を詰まらせた。ロンにとって、出達は自分の能力を認めてくれた人間だ。彼女がここにいる理由は、OZの思想を深く理解したからではない。

居場所をくれた人を信じたからだ。その信頼が、明日、彼女をどこへ連れていくのか。


「ロンは、怖くないのか?」


彼女はしばらく考えた。「怖い。でも、出達いる。誠いる。とおるいる。だから、行く」


誠はうなずくしかなかった。自分は誰を信じているのだろう。出達の理想か。新田目との友情か。社会を変えたいという怒りか。

それとも、1度選んだ道を間違いだと認めることが怖いだけなのか。


午後、新田目は通信室の機材を確認していた。誠が顔を出すと、彼は画面から目を離さずに言った。

「明日、何が起きても、こっちは最後まで支える。お前は前だけ見てろ」


「そんな言い方するなよ」


「なんだよ。縁起でもないって?」新田目は苦笑した。「作戦前なんだから、最悪を考えるのも仕事だろ」


誠は返す言葉を探した。新田目はいつもそうだった。危険を冗談に変え、重い空気を少し軽くする。だが、明日だけは、その軽さが別れの挨拶のように聞こえた。


夕方、出達は廊下で誠を呼び止めた。「迷いがあるな」


誠は驚いたが、否定しなかった。


「迷うこと自体は悪くない。何も考えずに命令に従う人間の方が、よほど危ない」出達は壁にもたれた。

「だが、明日になれば判断しなければならない。何を守り、何を捨てるか。最後は自分で決めろ」


「あなたは、間違っているかもしれないと思わないんですか?」


出達はすぐには答えなかった。彼の顔には、疲労と年齢以上の重みが刻まれている。

「思うさ。だが、政府が何もしない間に、誰かが負担を背負い続ける。しかしなぁ、何もしないことだって、選択の一つなんだ」


「だから殺していいと?」


「いいとは言っていない。必要だと判断しただけだ」


その違いが、誠にはひどく危うく感じられた。必要という言葉は、何をしても許される理由に変わりやすい。出達は誠の肩を軽く叩き、去っていった。


夜、新田目、ロン、誠の3人は食堂で簡単な食事を取った。いつもなら冗談が飛び交う時間だったが、会話は途切れがちだった。

ロンは日本語のノートを鞄にしまい、明日の装備を確かめるために席を立った。


「誠」新田目が静かに言った。「もし、明日が終わったらさ。大学、戻るのか?」


「分からない」


「俺は、戻れるなら戻りたいな。プログラムの課題、いくつも放置してるし」


2人は小さく笑った。普通の学生としての生活が、遠い場所の話のようだった。


消灯前、誠は自分の装備を床に置き、長い間それを見つめた。明日、彼はまた誰かに銃を向ける。相手もまた、自分を止めるために武器を持つだろう。

正義という言葉は、両側から使われる。どちらも自分が守るべきものを持ち、どちらも相手を間違いだと考える。


誠は目を閉じた。弟との約束も、新田目の笑い声も、ロンのノートも、出達の言葉も、すべて頭の中にあった。翌朝になれば、何かが始まる。

そして、今までと同じ形のままでは、誰も戻れない。そう分かっていながら、彼は眠ろうとした。


深夜、誠は家族の写真を1枚だけ取り出した。俊がまだ小学生だった頃、海辺で撮った写真だった。俊は濡れた靴を片手に持ち、誠は日差しに目を細めて笑っている。

あの頃、誠は社会を変えることなど考えていなかった。学校へ行き、友人と遊び、将来は何か技術に関わる仕事をするのだろうと漠然と思っていた。

何が自分をここまで連れてきたのか、1本の線では説明できない。

小さな不満、政府への失望、仲間との信頼、正しいことをしたいという気持ち。それらが重なり、いつの間にか引き返しにくい場所へ来ていた。


写真をしまい、誠はスマートフォンを手に取った。俊にもう1度連絡しようかと思ったが、何を書いても本当のことは伝えられない。結局、何も送らずに電源を切った。


遠くの廊下から、誰かが歩く音がした。明日には、この建物も、ここで交わした会話も、今と同じではなくなるかもしれない。誠はその可能性を受け入れようとした。

恐怖が消えたわけではない。迷いが解けたわけでもない。ただ、夜明けは必ず来る。そのとき自分が何を選ぶのか、それだけは誰にも代わってもらえなかった。

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