第15話「予兆」
2036年12月3日 東京。
新庄たいきの机に、短い情報報告が置かれた。
OZが近いうちに関西圏の大型病院を狙っている可能性がある。
情報源は限定的で、裏づけも十分ではなかった。病院名も、襲撃日時も、襲撃人数も記されていない。
新庄は報告を2度読み、窓の外へ目を向けた。冬の雨が庁舎のガラスを濡らしている。情報が不確かだからといって、無視することはできない。
もし本当なら、病院には患者も職員もいる。自力では逃げられない人々も大勢いる。
「関西圏の大型病院か……」
OZは高齢者施設を標的にしてきた。さらに、社会への不満を示すために政治家を狙った。
ならば次は、高齢者医療、長期療養、医療費、社会保障の象徴となる病院かもしれない。
新庄は過去の標的と声明を並べ、共通する言葉を拾い出した。単なる無差別攻撃ではない。彼らは社会の構造そのものを舞台に選ぼうとしている。
12月4日から6日にかけて、情報分析班は関西圏の候補病院を比較した。病床数だけでなく、高齢者医療の比重、長期療養の機能、地域医療での重要性、警戒レベルも調べる。
候補は6つに絞られた。
神戸中央総合医療センター、大阪市民総合医療センター、京都西部総合医療センター、阪神中央医療センター、奈良中央総合病院、岡山東部総合医療センター。
新庄には、もう1つ気にかかる仮説があった。OZの活動範囲、事件後に確認された関係者の動き、物資の流れ。どれも決め手には欠けるが、いくつかの線は関西へ向かっていた。
(OZの本部も関西にあるのではないか……)
断定はできない。病院襲撃の情報と、本部の所在地を結びつける証拠もない。
それでも、新庄は病院の警戒だけに全力を注ぐことが危険だと感じていた。もし病院が囮になり、別の場所で何かが起きるなら、政府はまた後手に回る。
12月7日、東京。
新庄は関係する部下たちを会議室に集めた。大型モニターには関西圏の地図と、候補病院の資料が並んでいる。彼はまず、3日に得た情報の確度と限界を説明した。
「現時点で分かっているのは、OZが近いうちに関西圏の大型病院を狙う可能性があるということだけだ。病院名も日時も確定していない。」
「しかし、襲撃される病院の候補はある程度絞れている。候補は6つだ。」
画面に襲撃される可能性のある病院の候補の比較表が表示されている。いずれも大型病院でかつ、高齢者医療や長期療養を担う施設だった。
「候補の中でも大阪は約900床で、6施設中最大です。京都は約700床、阪神は約780床、奈良は約650床、岡山は約720床。いずれも高齢者医療や長期療養を担っています」情報分析班の担当者が説明した。
「大阪は規模が大きい一方、都市部の中心にあり、警戒も集まりやすく警備は厳重。神戸は約850床で地域の医療拠点を担い、高齢者医療と長期療養の比重も大きい。病床数だけでは測れない条件が重なっています」
「今回の襲撃候補の中で我々は神戸中央総合医療センターが本命だと判断した。」新庄が伝える。
候補の比較表の隣に、神戸中央総合医療センターの概要図が映し出された。
神戸中央総合医療センター
地上9階、地下2階、約850床。屋上にはヘリポートが設けられている。
東棟と西棟が連絡通路で結ばれ、主要階段と裏口側階段は建物の反対側にあり主要階段側に二基のエレベータが設置されている。
地域の救急医療を担う一方、高齢者医療と長期療養の部門も大きい。
さらに画面に7階と8階の病棟配置が示された。
6階から8階に高齢者医療・長期療養部門が集まり、7階と8階は東棟と西棟に各40床、合計80床。
現時点の入院状況から、襲撃当夜の高齢者入院患者は7階に64人、8階に60人と見込まれている。
7階の内訳は東棟34人、西棟30人、8階の内訳は東棟30人、西棟30人だった。
「過去の襲撃では、高齢者施設そのものが標的になってきた。今回の情報と彼らの掲げる理念を合わせれば、病院内で高齢者が集中する7階と8階が狙われる可能性が高いため、ここを主な標的区域と見ている」新庄は説明した。
京都や阪神、奈良、岡山の候補にも高齢者医療や長期療養を担う機能はある。
だが、病院の規模、地域医療での役割、高齢者の集中、OZの過去の標的傾向を総合すると、神戸が最も警戒を要する。単に警備が手薄だからではなかった。
神戸には50名、残る5病院には各9名を配置し、現場対応部隊130名のうち35名は別の任務に備えて待機させる計画だった。金瀬らいを含む精鋭チームは神戸を担当する。
新庄は出席者を見渡してから、自分の担当について告げた。
「私は本命の神戸には向かわない。神戸の警備責任者は金瀬らい、副責任者は水野玲子とする。現地の判断は2人を中心に行ってくれ」
会議室に小さなどよめきが広がった。神戸が最重要候補なら、責任者である新庄自身が向かうものと考えていた隊員もいたのだろう。
「新庄さんは、別の任務を担当されるのですか?」
隊員の問いに、新庄はすぐには答えなかった。
「各病院の警戒と現場対応を統括する。神戸に私がいなくても、金瀬と水野なら任せられる」
それ以上、新庄は自身の行き先や別の作戦について説明しなかった。会議の議題は病院警備に限られた。
「そして襲撃時間帯は夜間と予想している」
「ただし、繰り返し伝えるが、現時点では、病院名も日時も分かっていない。神戸を本命として夜間襲撃を想定しているが、断定はしない」
「なぜ夜間を想定するのですか」と隊員の1人が尋ねた。
「OZがこれまで選んだ時刻、作戦の進め方、現場に残った痕跡を照らし合わせると、夜に動く可能性が高い。断定ではない。昼間も含めて備えるが、とくに夜間の警戒は厚くする」
新庄は、建物の広さや病院ごとの事情を踏まえ、配備先の責任者が現地で調整できる余地を残すよう指示した。人数を置けば安全になるわけではない。病院スタッフと連携し、患者の安全と医療の継続を守ることが前提だった。
会議の後、
水野が、金瀬に声をかけた。
「同じ警備責任者として、一緒に患者さんを守りましょうね」
「ええ、全力を尽くすつもりです」
「それにしても、金瀬さん警備責任者なんてすごい出世ね。まぁ、私もそうなんだけど……」
「OZがどこにも襲撃をかけなければいいのにねぇ……」
水野が軽く冗談ぽく、話す
「確かに、それが一番平和ですよねぇ」
そんな他愛のない会話をした後に、水野は慌ただしく次の会議に向かった。
会話が終わってすぐに、次は新庄が声をかけた。
新庄は金瀬に念を押した。
「神戸の責任者は君だ。状況が変われば判断も変えろ。計画に固執するな。水野と連携して、現場を預かってくれ」
「了解しました」
金瀬は過去の映像をもう1度見返していた。
5月の老人ホーム。画面の端で、ハーフヘルメットをかぶった若い男がほんの短い間だけ立ち止まる。周囲を見る癖。仲間より少し遅れて動く姿。複数の記録に同じ人物が映っていた。
「……また、あなたね」
彼女は名前を知らない。顔も知らない。だが、その男がどこかでためらっていることだけは、映像の中から伝わってくる気がした。
12月8日、候補先の病院に対策特別チームの各隊が入った。神戸中央総合医療センターでは、金瀬らいが精鋭チームを率いて病院スタッフとの連携を始めた。
配置表を手に、彼女は医師や看護師、警備担当者から現場の話を聞いて回る。
患者の移動に必要な時間。夜間に人手が少なくなる区域。停電時にも動かす必要がある設備。机上の資料だけでは分からないことが多かった。
ある看護師は「患者さんは、何が起きても自分で逃げられるとは限りません」と話した。金瀬はその言葉を手帳に書き留めた。
彼女にとって守るべきものは、病院という建物ではない。そこにいる1人ひとりの命だった。
OZがどんな思想を掲げようと、政府がどんな失敗を重ねてきたとしても、その人々を議論の象徴に変えてはならない。金瀬はスタッフと連絡手順を確かめて今できる準備を1つずつ進めた。




