第5話-1「破戒の銀剣ウォルター」
「次に会わせたい男がいる」
ガルトの店で数日を過ごした後、カースはそう告げられた。
「戦い方を叩き込んでくれる奴だ。お前、その呪術とやらは強力だが、体さばきはまるで素人だろう。このままじゃ、いくら呪いが強くても、強敵が現れたら終わっちまうぞ」
図星だった。カースは前回、殺意と憎悪だけで敵を圧倒できた。だが、それがいつまでも通用するとは、自分でも思っていなかった。
「その男、何者?」
「昔は結構な身分だった奴だよ。今じゃ、こんな掃き溜めで安酒をあおってるがな」
ガルトはニヤリと笑いながら、カースを連れて路地の奥へと進んでいった。
案内された先は、廃墟同然の闘技場だった。かつては見世物興行にでも使われていたのだろう、崩れかけた観客席と、砂埃の舞う中央の広場。その真ん中に、一人の男が寝そべっていた。
金色に近い明るい茶髪、整った顔立ち。着ているものはすり切れているが、どこか気品を感じさせる仕草。片手には酒瓶を持ち、もう片方の手で、暇そうに剣先で地面に何かの模様を描いている。
「ウォルター、客だ」
ガルトが声をかけると、男――ウォルターは、気だるげに体を起こし、こちらを一瞥した。
「ほう。今日はやけに小汚い坊やを連れてきたな、ガルト。もしかして、俺の弟子入り志願者か?」
「察しがいいな」
「まあ、この時間にお前がわざわざ足を運んでくるってことは、それなりの話なんだろうさ」
ウォルターは立ち上がり、酒瓶をあおって残りを飲み干すと、それを放り投げた。瓶は乾いた音を立てて割れる。
「で、坊や。名は?」
「カース」
「呪い、ね。不吉な名前だ。まあ、俺にとやかく言う資格はないがな」
ウォルターは、カースの姿を上から下まで、値踏みするように眺め回した。
「その腕に絡んでるのは……呪具か? しかも、なかなかに濃い気配を纏ってる。噂の呪術師ってのは、お前のことか」
「僕を知ってるの?」
「王都じゃちょっとした噂だぜ。精霊騎士団が何人か、呪術師にやられたってな。まあ、いい気味だと思ってるがね、俺は」
彼は口の端を歪めて笑った。その笑い方には、どこか自嘲めいた響きが混じっていた。
「あなたは、元は貴族だったって聞いたけど」
カースが尋ねると、ウォルターは肩をすくめた。
「ああ、そうだよ。ウォルター・フォン・アーレンディン。かつては、それなりに名の通った家名を背負ってた」
「なんでこんなところに?」
「面白い話が聞きたいのか、坊や」
ウォルターは崩れた観客席の縁に腰掛け、退屈そうに欠伸をした。
「まあいい、暇つぶしに話してやろう」
「俺の家は、貴族の中でも、精霊術の研究に力を入れてた家でな。『より強い加護を得るための研究』とかいう、聞こえのいい大義名分を掲げてた」
「研究……?」
「実態は、人体実験だよ」
ウォルターの声から、初めて笑いが消えた。
「精霊の加護を無理やり底上げするために、下層の人間――お前らみたいな平民や、スラムの人間を、実験体として攫ってたのさ。契約に耐えられなかった人間は、大抵、悲惨な死に方をした」
カースは、拳を握りしめた。ウォルターはそれに気づいたのか、小さく苦笑した。
「安心しろ、俺はそれをやった側じゃない。むしろ、それを見つけて、告発した側だ」
「告発……したんだ」
「したさ。俺は騎士団に所属してた。それなりに真面目に、精霊様に忠誠を誓ってたつもりだったんでね。実験の証拠を掴んで、上に突き出した」
ウォルターは、皮肉げに笑った。
「結果がこのザマだよ。証拠は握り潰され、俺は逆に虚偽の告発で家名を貶めたってことにされてな。爵位剥奪、精霊の加護も剥奪。おまけに実験を主導してた張本人は、今も涼しい顔で貴族街を闊歩してる」
「そんな……」
「驚くことじゃないさ、坊や」
ウォルターは投げやりな口調で続けた。
「あの連中にとって、正しさなんてのは飾りだ。都合が悪けりゃ握り潰す。都合がよけりゃ、正義面して振りかざす。俺はそれを、身をもって思い知っただけの間抜けさ」
その口調は軽く、まるで他人事のようだった。
カースは、ウォルターの横顔を見つめた。
「それでも、あなたは間違ってなかった」
カースは、静かに言った。
「間違ってたのは、あいつらだ」
ウォルターは、一瞬、目を丸くしてカースを見た。それから、ふっと自嘲するように笑った。
「優しい言葉だな、坊や。だが、そいつは何の慰めにもならない」
彼は立ち上がると、カースへと向き直った。その目には、いつもの軽薄さの代わりに、冷ややかな距離が滲んでいた。
「悪いが、お前には協力しない」
「なぜ?」
「なぜもクソもあるか」
ウォルターは、乾いた笑いを漏らした。
「俺は一度、信じたもんに全部裏切られてる。正義を信じて、仲間を信じて、それで全部を失った。もう一度、同じ思いをするのはごめんだ」
「僕は裏切らない」
「ああ、みんなそう言うさ」
ウォルターは肩をすくめた。
「言葉なんざ、いくらでも綺麗に並べられる。俺が欲しいのは言葉じゃない。お前が、それに値するかどうかの証だ」
「証……?」
「俺を陥れた家がある。ヴァルクライン家だ。俺が告発しようとした人体実験――その主犯だった連中だよ。証拠は握り潰されたが、今もあの屋敷のどこかに、奴らの悪趣味な『研究成果』が眠ってるはずだ」
ウォルターの声が、初めて、はっきりとした怒りを帯びた。
「それを、一人で取ってこい」
「一人で?」
「そうだ。誰の手も借りず、たった一人で、あの屋敷の奥まで踏み込んで、証拠を持ち帰ってみせろ。それができたら――お前の覚悟とやらを、少しは信じてやってもいい」
「もし、僕がそこで死んだら?」
「それまでの男だったってことだ」
ウォルターは、突き放すように言った。だが、その目の奥には、わずかに複雑な感情が揺れていた。
「仲間ってのはな、坊や。互いに命を預け合うもんだ。俺は、自分の命を預けるに値する相手にしか、二度と手を貸すつもりはない」
カースは、しばらくウォルターの目を見つめていた。
「わかった。一人で行く」
「カース、ちょっと待て――」
ガルトが慌てて口を挟もうとしたが、カースは既に踵を返していた。
その夜、カースは一人、王都の外れに佇むヴァルクライン家の屋敷へと足を進めた。
月の光を浴びて浮かび上がる白い外壁と、完璧に整えられた庭園。豪奢極まりないその佇まいは、一見すれば貴族の気品そのものだった。しかし、その眩い美しさの裏側にどれほど禍々しい闇が潜んでいるか――カースは、既に嫌というほど思い知っていた。
気配を完全に消し去り、裏口を望む植え込みの影に身を潜める。警備は二人。
(足音の足調、呼吸の乱れ、視線の揺らぎ)
カースは闇の中でじっと息を殺し、彼らの巡回パターンを計測していく。二人の歩調にはわずかな弛緩があった。深夜の警備に慣れきり、死角の多い闇に身を置いているという自覚すら薄れている。
(……浅い)
すっと息を吸い込むと同時に、腕に巻きついた漆黒の呪鎖が、音もなく擦れ合った。二人の警備兵が交差点ですれ違い、背を向け合った――まさにその一瞬。空気が凍りついた。
カースの体から放たれた黒い呪鎖が、夜の静寂を切り裂くことなく、蛇のように地を這って伸びる。
「な――」
声になる前の呼気が漏れかけた瞬間、冷酷なまでに正確な軌道を描いた呪鎖が、二人の首筋を逃げ場なく締め上げた。苦悶の声を漏らす隙すら与えず、頸椎を痛打する鈍い音。視界が暗転する間もなく、二人の意識は強制的に狩り取られた。
カースは糸を引くように鎖を繰り寄せ、倒れ込む間際の二つの肉体を、そのまま影の底へと引きずり込んだ。後に残されたのは、風が木々を揺らす微かな音と、何事もなかったかのような静寂だけだった。
屋敷の内部に忍び込んだカースを待っていたのは、想像していたよりもずっと入り組んだ造りだった。長い廊下がいくつも枝分かれし、似たような扉が等間隔に並んでいる。地下への入り口が、すぐに見つかるはずもなかった。
(一部屋ずつ、確かめるしかない。)
カースは、最も近い扉に手をかけた。
一つ目の部屋は、来客用の応接間だった。上等な調度品が並んでいるだけで、めぼしいものは何もない。
二つ目は、書斎。壁一面の書棚を静かに検分したが、地下へと繋がるような仕掛けは見当たらなかった。
三つ目の部屋に踏み込もうとした、その時。
廊下の向こうから、複数の足音が近づいてくるのがわかった。カースは咄嗟に、開けたばかりの扉の陰に体を滑り込ませた。息を殺し、呪鎖に絡む腕をきつく握りしめる。
「今夜は、いつもより見回りを増やせと旦那様が仰っていた。近頃、物騒な噂もあることだしな」
「呪術師の話ですか。まさか、こんなところまで来やしないでしょう」
「油断は禁物だ。行くぞ」
足音が、扉のすぐ外を通り過ぎていく。カースは、心臓の音すら聞こえてしまうのではないかと思うほどの静けさの中、じっと息を潜め続けた。
足音が完全に遠ざかったのを確認してから、カースはようやく詰めていた息を吐き出した。
(このまま一部屋ずつ探していたら、いずれ見つかるな。)
カースは方針を変えることにした。地上の部屋ではなく、屋敷そのものの構造に目を向ける。厨房、使用人の通用口、洗濯場――人目につきにくい場所ほど、隠された入り口がある可能性は高い。
カースが辿り着いたのは、屋敷の裏手にある、古びた酒蔵だった。埃を被った酒樽が整然と並ぶ中、その奥の壁だけが、他と比べて妙に新しい石材で継ぎ足されているのに気づいた。
指先で壁をなぞると、かすかに、風の流れを感じた。
(この向こうに、何かある。)
カースは呪力を纏わせた指先で、継ぎ目のわずかな隙間をこじ開けた。重い音を立てて、隠し扉がゆっくりと開いていく。
その先には、下へと続く、狭く急な階段があった。地下へと続く階段を下りるにつれ、異様な匂いが鼻をついた。
薬品と、血と、腐敗の匂いが入り混じった、鼻の奥に張り付くような悪臭。カースは、重い鉄扉を押し開けた。
その先に広がっていた光景に、カースは一瞬、言葉を失った。
薄暗い部屋の中、無数のガラス瓶が棚に整然と並んでいた。中に満たされた薬液の中には――人間の、腕や足の一部が、まるで学術標本のように保存されていた。ラベルには、几帳面な筆跡で、実験日と番号だけが記されている。
部屋の奥には、鉄格子の嵌った独房が並んでいた。その中に、まだ生きている子どもたちがいた。
一人は、両足を失っていた。もう一人は、両腕を失っていた。虚ろな目で、こちらを見ることすらしない、生きる屍のような子どもたち。彼らの傍らには、実験記録らしき紙が積まれ、「精霊術耐性の限界値検証」という無機質な文字が並んでいた。
「――っ」
カースの喉から、声にならない声が漏れた。
(第5話-2 「破戒の銀剣ウォルター」へ続く)




