第4話「裏社会の顔役・ガルト」
骨の街の最奥、正規の地図にはまず載らない路地の先に、その酒場はあった。
看板もない、古い酒樽を積み上げただけの建物。窓には板が打ち付けられ、扉の隙間からは、安酒と煙草の匂いが漏れ出している。表向きは、しがない飲み屋。だが骨の街に生きる者なら誰もが知っていた。
この店の奥に、王都の裏側を丸ごと動かす男が座っていることを。
カースは、精霊騎士の遺品、半壊した剣と、血のついた勲章を懐に、その扉を潜った。
店内は薄暗く、煙草の煙で霞んでいた。カウンターの奥、酒瓶の並ぶ棚の下に、一人の男が椅子にどっかりと腰掛けている。歳は四十半ばだろうか。傷だらけの太い腕を組み、片方の目には黒い眼帯。もう片方の目は、値踏みするような鋭さで、入ってきたカースを一瞥した。
「おいおい、坊主。ここをどこだと思って入ってきた?」
男は低く笑いながら、口の端を歪めた。声には凄みがあったが、不思議と刺々しさはなく、むしろどこか気安さすら滲んでいた。
「見ての通り、ここは行儀のいい坊やが来る場所じゃねえぞ。迷子なら、表通りまで送ってやろうか?」
カースは、無言でカウンターに、懐から出した剣と勲章を置いた。
男の目つきが、わずかに変わった。
「ほう」
彼はそれを手に取り、しげしげと眺めた。刃には乾いた血がこびりつき、勲章には精霊騎士団の紋章が刻まれている。
「精霊騎士団の正装品じゃねえか。しかも、まだ血が新しい。……坊主、お前、どこでこいつを?」
「僕がやった」
カースの声は、静かで、感情の起伏がなかった。
男は片眉を上げると、カウンターに肘をつき、身を乗り出してカースの顔を、今度はもっとじっくりと覗き込んできた。
「……なるほどな。その目、見覚えがある」
彼はふっと息を吐いて、椅子の背にもたれかかった。
「復讐に魂を売っちまった人間の目だ。俺も昔、そういう目で鏡を見てたことがあるからよ」
男は懐から煙草を取り出し、火をつけながら、改まった調子で名乗った。
「俺はガルト。骨拾いのガルトって呼ばれてる。この骨の街の裏側――金と情報が流れる道筋を、まあ、ちょいとばかし仕切らせてもらってる者だ」
「骨拾い……?」
「死体からでも、金目のもんを拾い上げるって意味さ。汚え仕事だが、誰かがやらなきゃ、この街は本当に骨だけになっちまうからな」
ガルトは煙を吐きながら、豪快に笑った。
「で? 坊主、名前は」
「カース」
「呪い、ね。ずいぶんと不吉な名前をつけたもんだ」
ガルトはそう言いながらも、責めるような響きはまるでなかった。むしろ、面白がるような、それでいてどこか労わるような目つきで、カースを見つめていた。
「まあいい。名前なんざ、どうでもいいこった。それより坊主、その剣と勲章を持ち込んだってことは、俺に何か用があるんだろう?」
「力を貸してほしい」
カースは単刀直入に言った。
「情報が欲しい。貴族の動向、警備の穴、――王都に忍び込む方法も」
ガルトはしばらく黙って、煙草をふかしていた。それから、ゆっくりと口を開いた。
「坊主、一つ聞いていいか」
「……なに」
「お前、何をされたんだ」
その問いに、カースは一瞬、言葉に詰まった。
「話したくなきゃ、話さなくていい」
ガルトは慌てたように、ぶっきらぼうに付け加えた。
「別に、根掘り葉掘り聞きたいわけじゃねえんだ。ただな、俺はこの街で長いこと、色んな人間の頼み事を聞いてきた。金が欲しい奴、力が欲しい奴、逃げ場が欲しい奴――理由なんざ、大抵は似たようなもんだ。誰かに、大事なもんを奪われたって話さ」
彼は煙草の灰を灰皿に落としながら、独り言のように続けた。
「俺にもな、昔は家族がいた。血の繋がりはねえが、俺が拾って、俺が育てた連中だ。この裏社会で、ちっぽけながらも一つの組織を作ってな。それなりに上手くやってたつもりだった」
その声には、初めて、笑いの含まれない、静かな重さが乗っていた。
「けどある日、貴族同士の利権争いに巻き込まれてな。俺の組織は、双方から邪魔者扱いされて、まとめて潰された。俺の育てた連中は、一人残らず……な」
ガルトは、それ以上を語らなかった。ただ、灰皿の縁を指の腹で、無意識に、何度もなぞっていた。
「相手が誰かも、わからないまま?」
カースが静かに尋ねると、ガルトは、ふっと自嘲するように笑った。
「わからねえよ。あの頃の俺は、しがない情報屋の見習いでな。表に出てくる貴族の顔なんて、洒落た仮面を被った代理人ばかりだった。誰が糸を引いてたのか、今もって、はっきりとはわからねえ」
彼は、懐から取り出した古びた紙切れ――何かの紋章が薄れて消えかけた、小さな封蝋の欠片を、指先で弄んだ。
「ただ一つだけ、覚えてることがある。あの日、俺たちを嵌めた連中が最後に寄越してきた手紙にはな、こんな一文が添えられてたんだ。『風向きが悪かったな』ってな」
「風向き……?」
「洒落たつもりだったのか、皮肉のつもりだったのかは知らねえ。だが、それ以来、俺はその言葉が、妙に耳から離れねえんだよ」
ガルトは、封蝋の欠片を、また懐にしまい込んだ。
「だから、俺はお前の目を見て、なんとなくわかっちまうんだよ。ああ、こいつも同じ穴の狢だなってな」
沈黙が、しばらく店内に流れた。カウンターの向こうで、酒瓶が小さく揺れる音だけが響いていた。
「僕の弟妹たちは、貴族の気まぐれで焼き殺された」
カースは、静かに口を開いた。
「相棒だった犬も。理由は、靴に泥が跳ねたから、ただそれだけ」
「……クソったれが」
ガルトは吐き捨てるように言った。
「相変わらず、あいつらのやることは反吐が出るな」
「僕は、あいつらを許すつもりはない。一人残らず、地獄を見せてやる」
カースがそう言い切ると、ガルトはしばし目を細めてカースを見つめ、それから、豪快に笑い出した。
「はっはっは! いいねえ、その目だ! 気に入った!」
彼はカウンターを叩きながら、身を乗り出した。
「なあカース、俺はな、正義だの綺麗事だのはとんと信じちゃいねえ。だがな、義理と筋ってのは別だ。俺を頼ってきた奴には、俺は精一杯応えてやる。それが、俺のやり方でな」
ガルトは、カースの肩に太い手をどんと置いた。
「よし、決めた。お前、今日から俺の――いや、ま、正確に言や俺たちの、仲間だ。歓迎するぜ、坊主」
「仲間……?」
「そうだ。俺は情報屋で、闇の商人で、まあ、なんでも屋みたいなもんさ。骨の街に流れる噂話は、大抵俺の耳に入ってくる。貴族の動向? 警備の穴? そんなもん、俺のネットワークを使えば、いくらでも掘り出してやれる」
ガルトは席を立ち、酒瓶を二つ手に取ると、片方をカースの前にどんと置いた。
「けどな、坊主。タダで動くほど、俺も甘くはねえぞ」
「対価は、何を?」
「まあ焦るな。今すぐ何かをくれって話じゃねえ。お前が力をつけて、あの澄まし顔の貴族どもを引きずり下ろす。俺はその過程で、いろいろと美味しい思いをさせてもらう。持ちつ持たれつってやつだ」
ガルトはにやりと笑って、酒瓶を軽く掲げた。
「それに、正直に言や、俺は単純に、お前に希望を持っちまったんだよ。あの憎たらしい貴族どもに一泡吹かせてやりたいって気持ちは、俺の中にもずっとくすぶってたからな。お前を手伝うのは、俺自身のためでもあるってわけだ」
カースは、差し出された酒瓶を見つめた。飲んだことなどなかったが、断る理由もなかった。彼は瓶を手に取り、ガルトに倣うように、軽く掲げた。
「これで契約成立ってわけだ。ようこそ、骨の街の裏側へ」
ガルトは瓶をぶつけ合わせると、豪快に酒を呷った。
「さて、と。まずは腹ごしらえだな。お前、そのなりじゃまともに飯も食ってねえんだろ。うちの店の裏に、簡単な飯くらいある。食いながら、これからの話をしようや」
彼はそう言うと、カウンターの奥にある扉を、無造作に指差した。
「腹が減ってちゃ、いい復讐もできねえからな」
カースは、その言葉に、ほんの少しだけ、口元を緩めた。優しかったノアの頃には、決して見せなかったであろう、皮肉げな笑み。
「変な人だ」
「よく言われる」
ガルトはそう言って、また豪快に笑った。その笑い声を背に、カースは店の奥へと足を進めた。
その夜、骨の街の片隅で、一人の呪術師と一人の裏社会の男が手を組んだ。
(第5話「破戒の銀剣ウォルター」へ続く)




