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カース・オブ・エレニア ~蘇りし呪術師の成り上がり復讐劇~  作者: さかさき まる
第五章 風に舞う偽りの絆

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第33話-2「風を喰らう牙」


 エオリアを出て、三日が過ぎた。


 四人は街道を避け、南へ向かっていた。目指すのは、タラッサとの境に近い湾岸だ。追っ手の目を逃れるには、戦支度でごった返しているあの辺りのほうが、かえって紛れやすい。そう言い出したのはアズラエルだった。


 二日目の夜、小さな宿場町の安宿に転がり込んだ。


「片腕の男を見なかったかな。四十がらみで、左の肩から先がない」


 カースは宿の主人に、それとなく訊いた。


「片腕? さあねえ。この辺じゃ見かけねえな」

「そうですか」


 主人は帳場の奥へ引っ込んでいった。

 階段を上がった狭い部屋で、ウォルターが壁に拳をつけた。


「どこに消えやがった、あいつは」


 壁を殴りはしなかった。ただ、額を拳に押し当てていた。


「あの傷で、まともに動けるはずがねえ。なのに、足跡の一つも残ってねえ」

「もしかしたら」


 シークが、窓の外を見たまま言った。


「あいつ、俺たちを追ってきてるんじゃないか」

「どういう意味だ」

「牢の前のあいつの目。許してもらいたい奴の目じゃなかった。何か、まだやり残してることがある目だった」


 カースは黙っていた。


(ガルト。何をしようとしてるの?)


 答えは出なかった。





 手がかりが見つかったのは、湾岸まであと半日というところだった。

 港に近い、うらぶれた酒場の隅。煤けた卓で安酒を舐めていた年寄りの密売人が、カースの問いに顔を上げた。


「片腕の男なら、見たぜ」


 四人の視線が、一斉に集まった。


「ひでえ有様だったな。包帯は真っ黒で、足もふらついてた。それでも妙に必死な目をしてよ、南へ南へ歩いてった。何かに急かされてるみてえだった」

「南というと」

「湾岸だろうよ。あっちは今、戦支度で兵隊だらけだ。あんな死に損ないが、なんでわざわざあんな物騒なとこへ行くのかね」


 四人は顔を見合わせた。


「やっぱりだ」


 シークが呟いた。


「あいつ、逃げてるんじゃない。何かを抱えたまま、あっちへ向かってる」

「......わからねえ」


 ウォルターは首を振った。だが、その声からは、エオリアで見せた刺々しさが抜けていた。


「少なくとも、裏切り者の逃げ足じゃねえな」




 湾岸に着いたのは、翌日の昼過ぎだった。

 海沿いに、土嚢と木の柵で固めた陣地が幾筋も築かれていた。あちこちにエアハルト家の旗がはためき、兵士たちが荷を担いで行き交っている。潮の匂いに、焚き火の煙と馬の糞の臭いが混じっていた。

 陣地の外れの、人目につかない一角に、粗末な天幕が一つ張られていた。見張りは二人。どちらも退屈そうに、槍にもたれてあくびをしている。


 四人は岩陰を伝って天幕の裏へ回り込み、布の裂け目から中を覗いた。


 カースは息を呑んだ。


 藁を敷いた地面に、子どもたちが並べて寝かされていた。十人はいる。どの子も腕や胸に包帯を巻かれていたが、巻き方がひどく雑だった。


 一番手前の子の包帯がずれて、胸の傷口が覗いていた。埋め込まれて間もない精霊石の周りで、皮膚が赤黒く爛れている。小さな水ぶくれが、いくつも浮いていた。


「......お母さん......いたいよ......」


 その子は、熱に浮かされたようにうわ言を繰り返していた。焦点の合わない目が、天幕の天井をさまよっている。隣の子は、もう声を上げる力もないのか、口を半開きにしたまま動かなかった。


 入口の布が跳ね上がり、兵士が一人入ってきた。手に帳面を持っている。


「もうじき出番だ。ちゃんと役目を果たせよ」


 兵士は子どもたちの顔を一つずつ見て回り、帳面に印をつけていった。うわ言にも、水ぶくれにも、目を留めなかった。積み荷の数を確かめるのと、何も変わらない手つきだった。


(――もう、始まってる)


 カースの胸の奥が、冷たく固まっていった。あの地下で見たものが、今度は本物の戦の道具として、目の前に並べられている。


「胸糞悪ぃ」


 ウォルターが吐き捨てた。それから、隣のカースの顔を見た。


「おい、カース。大丈夫か」


 カースは答えなかった。


 右腕の黒い紋様が、さっきからずっと脈打っていた。どくん、どくん、と。これまでにない速さで。



 その夜、陣地から離れた岩場の窪みで、四人は火を焚かずに身を寄せ合った。


 カースは浅い眠りの中で、夢を見た。


 ゴミ捨て場の片隅。雨に濡れて震えていた、小さな黒い犬。差し出したパンの耳に、ちぎれそうなほど尻尾を振っていた。


 夢の中のネロは、なぜか悲しそうな目をしていた。何かを伝えたそうに、じっとこちらを見上げている。


『――ノアにいちゃん』


 カースは跳ね起きた。


 全身が冷たい汗で濡れていた。右腕の紋様が、心臓のようにどくどくと脈打っているのがはっきりわかった。


(この感じ)


 これまでのどの技とも違った。自分の中で、もう一つ別の命が目を覚まそうとしている。


「カース」


 すぐ隣で、シークが体を起こしていた。


「うなされてたぞ。ずっと」

「......ただの夢だ」

「嘘つけ。汗びっしょりだ」


 シークはカースの額に手を当て、眉を寄せた。


「熱はない。でも、顔色が悪い。水、飲め」


 差し出された水筒を受け取りながら、カースは自分の右腕に目を落とした。


(何かが来る。もうすぐだ)



(第33話-3「風を喰らう牙」へ続く)



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