第28話「偽りの協力者」
闇市の奥、街灯の明かりも届かない湿った路地裏。
崩れかけたレンガ造りの倉庫の陰で、一人の男がしきりに辺りを見回していた。潮風に焼けた浅黒い肌に、節くれ立った太い指。着古した麻の外套には、まだ魚の匂いがかすかに残っている。元は漁師だったのだろう。がっしりした体つきが、日陰の暮らしにはどうにも不釣り合いだった。物音がするたびに肩が跳ね、指先が小刻みに震えている。
「ガルトさん、で間違いないか」
押し殺した声だった。
「情報屋のガルトってのは、あんたのことだろう」
「さあな。誰に聞いた」
路地の暗がりから、ガルトが足音も立てずに姿を現した。帽子を目深にかぶったまま、男の頭から爪先までを眺める。
「知り合いの、そのまた知り合いだ。あんたなら、まともに話を聞いてくれるってな」
ガルトは名乗りもせず、問い詰めもしなかった。顎をしゃくる。
「で、用件は」
男は一度、喉を鳴らして唾を飲んだ。それから、堰を切ったように話し出した。
「名前はモリス。この街の外れで漁師をやってた。不漁が続いて借金がかさんで......気づいたら、裏の仕事に足を突っ込んでた」
「裏の仕事ってのは」
「人を運ぶ仕事だ」
帽子の陰で、ガルトの目が細くなった。
「人身売買か」
「ああ。最初はただの口入れだと思ってた。田舎の食い詰めた連中を、他国の農場や鉱山に送り込む。金にはなるが後ろめたい、それだけの仕事だった」
モリスはそこで言葉を切った。乾いた唇を舐め、袖で額の脂汗を拭う。
「だが、ここ半年で運ぶ荷が変わった」
「どう変わった」
「前は力仕事のできる大人の男がほとんどだった。それが、今は子どもばかりだ。身寄りのない、十にもならねえような小さい子が、やたらと集められてる」
ガルトは黙って先を待った。
「そんなちびを働き手に買う物好きなんざ、そうはいねえ。俺は船の手配をしてるだけだが、帳面の行き先は相変わらず鉱山だの農場だのになってる。なのに、そこに着いた形跡がねえんだ。途中のどこかで消えてる」
「消えてる?」
「行き先は、俺たち下っ端にも教えられない。指定された港で荷を渡したら、あとは知らんふりをしろ。それだけだ」
モリスの肩がすくんだ。
「俺はもう深入りしすぎた。抜けようとした奴がどうなったか、知ってる。それに......」
目をきつく閉じ、絞り出すように続けた。
「女房と娘を押さえられてる。俺が余計な真似をすりゃ、真っ先にあいつらが消される」
「なら、なぜ俺に話す」
「このままじゃ、いずれ俺も家族も消される側に回る。だったら――全部ぶっ壊してくれる誰かに賭けてみたい」
モリスは膝を折り、泥に額がつくほど頭を下げた。
「このルートと元締めを潰してくれ。俺にできることなら、なんでもする」
ガルトはしばらく影の中に立ったまま動かなかった。
「知ってることを、全部話せ」
モリスは何度も頷くとしゃがみ込み、震える指で泥の地面に線を引き始めた。
「荷の集め場は、闇市の裏手にある崩れた聖堂の地下だ。そこから月に二度、決まった夜に船が出る。船着き場は東の岸壁の、使われなくなった桟橋だ」
「元締めは」
「顔を見たことはねえ。指示は全部、代理の人間を通して来る。ただ......一つだけ聞いた話がある。桟橋で働いてた男が、酔った勢いで漏らしたんだ」
モリスの声がさらに低くなった。
「運ばれてく子どもの一人の胸に、光る石が埋まってるのを見たってな。無理やり縫い合わせた傷があったらしい。働かせるための処置じゃねえ、って言ってた。そいつは、その話をした何日か後に姿を消した」
ガルトの頬がわずかに強張った。
「光る石、か」
「俺には何のことだかさっぱりだ。だが、まともなもんじゃねえ。それだけはわかる」
ガルトは泥に描かれた地図を見下ろしたまま、しばらく口を開かなかった。
「わかった。預かっておく」
「頼む。俺にできることがあれば」
「そのときは、こっちから連絡する」
モリスは深く頭を下げると、何度も振り返りながら路地の奥へ消えていった。足音が聞こえなくなってから、ガルトはもう一度、泥の地図に目を落とした。
「光る石、な」
帽子の陰の横顔から、いつもの軽さが消えていた。
風通しのいい質素な宿の一室に、四人が集まっていた。テーブルの真ん中に置いたランプが、それぞれの顔を下から照らしている。
「――というわけだ」
ガルトはモリスから聞いた話を一通り伝え終えた。
「集め場の場所、船の出る日。それから......光る石の話だ」
「光る石」
カースがその言葉を繰り返した。
「ガルト、心当たりは」
「ねえな。だが、あの一族が噛んでるとなりゃ、ただの噂じゃ済まねえ気がする」
壁にもたれていたウォルターが、太い腕を組んだまま眉を寄せた。
「......精霊石、ってことはないか」
三人の目がウォルターに向いた。
「精霊の力を石に封じたものだ。貴族なら一度は目にする。光り方が似てる気はする。だが、あれを人の体に埋めるなんて話は聞いたことがねえ」
「どっちにしろ、ただの働き手の売り買いじゃない、ってことだね」
カースの言葉に、ガルトは「かもな」とだけ返した。
「集め場に直接乗り込めばいい」
「馬鹿を言うな」
ガルトが手を上げて遮った。
「正面から踏み込んで、証拠も元締めの正体も掴めずに終わるのがオチだ。相手の全体が見えねえうちに外から叩いても、尻尾を切られるだけだ」
「なら、どうする」
「潜り込む」
ガルトはテーブルに広げた地図の一点、聖堂の地下を指で押さえた。
「カースとシークには悪いが......売られる側をやってもらう」
部屋の空気が張り詰めた。
「身寄りのない小僧二人のふりをして、わざと連中の網にかかる。中に入って、内側から様子を探ってほしい」
「僕らが囮になる、ということ?」
「そうだ。危ないのは承知の上で頼んでる」
シークは眉ひとつ動かさずに頷いた。
「構わない。どうせ痛みは感じないしさ」
カースはシークの横顔に目をやった。ミトを失ってから、シークはときどき、自分を物のように突き放す言い方をする。それでも、以前の平坦な声とはどこかが違っていた。
「シーク」
「なんだ」
「無茶はしないで。痛くなくても、傷は傷だよ」
シークは目を伏せた。
「......わかってる」
「俺は外だ」
ウォルターが壁から背を離した。
「売り買いする側の業者を装って近づく。元は貴族だ。ああいう連中の振る舞いなら、嫌ってほど見てきた」
口の端が皮肉っぽく歪んだ。
「外で話を拾いつつ、いざってときは二人を引っ張り出す」
「俺は周りを張る」
ガルトが短く言った。
「集め場の出入りを見張って、何かあればすぐ合図を送る」
カースは三人の顔を順に見た。
「やろう」
二日後の夕暮れ。
カースとシークはぼろ布をまとい、髪をぐしゃぐしゃに乱し、顔や手足にわざと泥をなすりつけて、闇市の外れをあてもなくうろついていた。旅の途中で何度も見てきた、行き場のない子どもたちの姿を思い出しながら。
日が落ちきる前に、声がかかった。
「おい、坊主ども。腹、減ってねえか」
人の好さそうな笑みを浮かべた中年の男だった。目だけが笑っていない。
「飯と寝床を世話してやる。その代わり、ちいとばかし働いてもらうがな」
カースとシークは一瞬だけ目を見交わし、怯えたように肩を縮めて頷いた。
連れて行かれたのは、モリスの話どおり、闇市の裏手に打ち捨てられた古い聖堂だった。外から見ればただの廃墟だ。だが煤けた階段を地下へ降りると、景色が変わった。
錆びた鉄格子で仕切られた狭い区画が、いくつも並んでいた。泥と藁を敷いただけの床に、痩せた子どもたちが身を寄せ合っている。
空気は澱み、汗と排泄物の饐えた臭いがこもっていた。与えられているのは、黴の生えたパンの欠片と濁った水だけらしい。ある区画の隅で、髪の乱れた少女が膝を抱えたまま動かなかった。落ち窪んだ目は、どこも見ていない。
「黙ってろ!」
見回りの男が鉄の棒で格子を叩いた。甲高い音が響き、子どもたちがびくりと縮こまる。奥の区画では、腕に紫色の痣を作った少年が床にうずくまっていた。逆らったのだろう。そばにいる子どもたちは、誰も彼に目を向けなかった。
(――これが)
カースは掌に爪が食い込むほど拳を握った。
(僕たちが止めなきゃいけないものだ)
隣でシークが、格子の向こうを一つずつ目で追っていた。まばたきもせずに。
四日後の夜。
カースとシークを含む十数人の子どもが一列に並ばされ、地下のさらに奥へ連れて行かれた。
粗末な木の壇が一つ据えられていた。壇を囲むように椅子が並び、上等な外套のフードを目深にかぶった者たちが腰かけている。
「さて、本日の品でございます」
壇の脇に立った痩せた男が、帳面を読み上げるような調子で口上を始めた。
「まずはこちらの少年。年の頃は十五、六。体は丈夫。いくらか反抗的ではございますが、しつけ次第でどうとでも」
背中を突かれ、シークが壇上に押し出された。暗がりから、いくつもの視線が一斉に注がれる。
カースはこれまで、数えきれないほどの敵意を向けられてきた。だがこの目は、そのどれとも違った。値札を付ける目だった。
「いかがでしょう」
「体つきは悪くない。だが目つきが気に食わん」
影の中の一人が、つまらなそうに首を振った。
「ああいう目をした奴は扱いにくい。とくに、あちらの用途には向かん」
(あちらの用途?)
競りは淡々と進んだ。子どもが一人ずつ壇に上げられ、値を付けられ、落札されていく。
「次は、こちらの少年を」
今度はカースが押し出された。フードの奥から、湿った視線が這い寄ってくる。
「顔立ちは悪くない。だが、これもあちらには向かんな」
「なぜだ」
「目に力がありすぎる。あの処置は、もっと従順で、空っぽの目をした子でないとうまくいかん」
別の一人が、得心したように頷いた。
「ああ、確かに。心が折れきった子でなければ、術式が安定しないと聞く」
術式。カースは表情を崩さないまま、その言葉を胸に刻んだ。
競りが終わり、買い手のつかなかった子どもたちは元の区画へ追い立てられた。
狭い廊下の途中、壁のくぼみで、二人の買い手が声を落として話していた。子どもの列がすぐ脇を通っても、話をやめる気配はない。売り物に耳があることなど、気にも留めていないのだろう。カースとシークは足取りを緩めた。
「今夜の分は、いつ運ぶ」
「三日後の船だ。今夜は五人に処置をする」
「相変わらず、持たんのか」
「体が耐えられん子が多い。埋めた直後に拒絶を起こして死ぬのも珍しくない。だが、うまくいけばあれほど便利な兵器もない」
シークの肩がかすかに動いた。
「離れた場所から、狙った相手を確実に仕留められる。しかも跡は何も残らん。あの方々が目をつけるのも頷ける」
「口外はするなよ。エアハルト家が独自に進めている研究だ。他家に知られれば面倒なことになる」
それで十分だった。
ただの人身売買ではない。エアハルト家が裏で進めている兵器づくりだった。材料は、子どもの体だ。
その夜更け。
地下のいちばん奥、いつもは分厚い扉で閉ざされている一角から、かすかな悲鳴が漏れてきた。
カースとシークは格子の隙間に顔を押しつけた。廊下の突き当たり、半開きになった扉の向こうが、わずかに見える。
木の寝台に、幼い少年が革のベルトで縛りつけられていた。そばに立つ白い上衣の男が、小刀のような器具で少年の胸を切り開いていく。暴れる体を助手が押さえつけ、傷口の奥へ何かが押し込まれた。青白く光る、小さな石だった。
少年の悲鳴はだんだん掠れ、途切れ、聞こえなくなった。
「今度のは持ちそうだな」
男は血を拭いながら言った。靴の底でも繕い終えたような口ぶりだった。
カースの拳の中で、爪が皮膚を破っていた。血が指の間から滲んでも、力を緩められなかった。
(何が復讐だ)
(七大貴族を討つだの何だのと言いながら、僕はこれを知らずにいた)
隣のシークは、瞳孔を大きく開いたまま扉の向こうを見つめていた。噛みしめた唇から、血が一筋、顎へ伝っている。本人はきっと気づいていない。
「シーク」
カースは血の味のする口の中で囁いた。
「今は動けない。ここで暴れたら、ほかの子たちが巻き込まれる。船の日まで待つ。......でも、必ず終わらせる」
シークは返事の代わりに、一度だけ小さく頷いた。
そのとき、足元の石壁を伝って、低い震えが届いた。遠くで何か重いものが動いたような、鈍い響きだった。
それが何を意味するのか、このときの二人はまだ知らなかった。
(第29話「二枚舌の宮廷」へ続く)




