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カース・オブ・エレニア ~蘇りし呪術師の成り上がり復讐劇~  作者: さかさき まる
第五章 風に舞う偽りの絆

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第28話「偽りの協力者」



 闇市の奥、街灯の明かりも届かない湿った路地裏。

 崩れかけたレンガ造りの倉庫の陰で、一人の男がしきりに辺りを見回していた。潮風に焼けた浅黒い肌に、節くれ立った太い指。着古した麻の外套には、まだ魚の匂いがかすかに残っている。元は漁師だったのだろう。がっしりした体つきが、日陰の暮らしにはどうにも不釣り合いだった。物音がするたびに肩が跳ね、指先が小刻みに震えている。


「ガルトさん、で間違いないか」


 押し殺した声だった。


「情報屋のガルトってのは、あんたのことだろう」

「さあな。誰に聞いた」


 路地の暗がりから、ガルトが足音も立てずに姿を現した。帽子を目深にかぶったまま、男の頭から爪先までを眺める。


「知り合いの、そのまた知り合いだ。あんたなら、まともに話を聞いてくれるってな」


 ガルトは名乗りもせず、問い詰めもしなかった。顎をしゃくる。


「で、用件は」


 男は一度、喉を鳴らして唾を飲んだ。それから、堰を切ったように話し出した。


「名前はモリス。この街の外れで漁師をやってた。不漁が続いて借金がかさんで......気づいたら、裏の仕事に足を突っ込んでた」

「裏の仕事ってのは」

「人を運ぶ仕事だ」


 帽子の陰で、ガルトの目が細くなった。


「人身売買か」

「ああ。最初はただの口入れだと思ってた。田舎の食い詰めた連中を、他国の農場や鉱山に送り込む。金にはなるが後ろめたい、それだけの仕事だった」


 モリスはそこで言葉を切った。乾いた唇を舐め、袖で額の脂汗を拭う。


「だが、ここ半年で運ぶ荷が変わった」

「どう変わった」

「前は力仕事のできる大人の男がほとんどだった。それが、今は子どもばかりだ。身寄りのない、十にもならねえような小さい子が、やたらと集められてる」


 ガルトは黙って先を待った。


「そんなちびを働き手に買う物好きなんざ、そうはいねえ。俺は船の手配をしてるだけだが、帳面の行き先は相変わらず鉱山だの農場だのになってる。なのに、そこに着いた形跡がねえんだ。途中のどこかで消えてる」

「消えてる?」

「行き先は、俺たち下っ端にも教えられない。指定された港で荷を渡したら、あとは知らんふりをしろ。それだけだ」


 モリスの肩がすくんだ。


「俺はもう深入りしすぎた。抜けようとした奴がどうなったか、知ってる。それに......」


 目をきつく閉じ、絞り出すように続けた。


「女房と娘を押さえられてる。俺が余計な真似をすりゃ、真っ先にあいつらが消される」

「なら、なぜ俺に話す」

「このままじゃ、いずれ俺も家族も消される側に回る。だったら――全部ぶっ壊してくれる誰かに賭けてみたい」


 モリスは膝を折り、泥に額がつくほど頭を下げた。


「このルートと元締めを潰してくれ。俺にできることなら、なんでもする」


 ガルトはしばらく影の中に立ったまま動かなかった。


「知ってることを、全部話せ」


 モリスは何度も頷くとしゃがみ込み、震える指で泥の地面に線を引き始めた。


「荷の集め場は、闇市の裏手にある崩れた聖堂の地下だ。そこから月に二度、決まった夜に船が出る。船着き場は東の岸壁の、使われなくなった桟橋だ」


「元締めは」

「顔を見たことはねえ。指示は全部、代理の人間を通して来る。ただ......一つだけ聞いた話がある。桟橋で働いてた男が、酔った勢いで漏らしたんだ」


 モリスの声がさらに低くなった。


「運ばれてく子どもの一人の胸に、光る石が埋まってるのを見たってな。無理やり縫い合わせた傷があったらしい。働かせるための処置じゃねえ、って言ってた。そいつは、その話をした何日か後に姿を消した」


 ガルトの頬がわずかに強張った。


「光る石、か」

「俺には何のことだかさっぱりだ。だが、まともなもんじゃねえ。それだけはわかる」


 ガルトは泥に描かれた地図を見下ろしたまま、しばらく口を開かなかった。


「わかった。預かっておく」

「頼む。俺にできることがあれば」

「そのときは、こっちから連絡する」


 モリスは深く頭を下げると、何度も振り返りながら路地の奥へ消えていった。足音が聞こえなくなってから、ガルトはもう一度、泥の地図に目を落とした。


「光る石、な」


 帽子の陰の横顔から、いつもの軽さが消えていた。





 風通しのいい質素な宿の一室に、四人が集まっていた。テーブルの真ん中に置いたランプが、それぞれの顔を下から照らしている。


「――というわけだ」


 ガルトはモリスから聞いた話を一通り伝え終えた。


「集め場の場所、船の出る日。それから......光る石の話だ」

「光る石」


 カースがその言葉を繰り返した。


「ガルト、心当たりは」

「ねえな。だが、あの一族が噛んでるとなりゃ、ただの噂じゃ済まねえ気がする」

 壁にもたれていたウォルターが、太い腕を組んだまま眉を寄せた。


「......精霊石、ってことはないか」


 三人の目がウォルターに向いた。


「精霊の力を石に封じたものだ。貴族なら一度は目にする。光り方が似てる気はする。だが、あれを人の体に埋めるなんて話は聞いたことがねえ」


「どっちにしろ、ただの働き手の売り買いじゃない、ってことだね」


 カースの言葉に、ガルトは「かもな」とだけ返した。


「集め場に直接乗り込めばいい」

「馬鹿を言うな」


 ガルトが手を上げて遮った。


「正面から踏み込んで、証拠も元締めの正体も掴めずに終わるのがオチだ。相手の全体が見えねえうちに外から叩いても、尻尾を切られるだけだ」


「なら、どうする」

「潜り込む」


 ガルトはテーブルに広げた地図の一点、聖堂の地下を指で押さえた。


「カースとシークには悪いが......売られる側をやってもらう」


 部屋の空気が張り詰めた。


「身寄りのない小僧二人のふりをして、わざと連中の網にかかる。中に入って、内側から様子を探ってほしい」

「僕らが囮になる、ということ?」

「そうだ。危ないのは承知の上で頼んでる」


 シークは眉ひとつ動かさずに頷いた。


「構わない。どうせ痛みは感じないしさ」


 カースはシークの横顔に目をやった。ミトを失ってから、シークはときどき、自分を物のように突き放す言い方をする。それでも、以前の平坦な声とはどこかが違っていた。


「シーク」

「なんだ」

「無茶はしないで。痛くなくても、傷は傷だよ」


 シークは目を伏せた。


「......わかってる」

「俺は外だ」


 ウォルターが壁から背を離した。


「売り買いする側の業者を装って近づく。元は貴族だ。ああいう連中の振る舞いなら、嫌ってほど見てきた」


 口の端が皮肉っぽく歪んだ。


「外で話を拾いつつ、いざってときは二人を引っ張り出す」

「俺は周りを張る」


 ガルトが短く言った。


「集め場の出入りを見張って、何かあればすぐ合図を送る」


 カースは三人の顔を順に見た。


「やろう」





 二日後の夕暮れ。

 カースとシークはぼろ布をまとい、髪をぐしゃぐしゃに乱し、顔や手足にわざと泥をなすりつけて、闇市の外れをあてもなくうろついていた。旅の途中で何度も見てきた、行き場のない子どもたちの姿を思い出しながら。

 日が落ちきる前に、声がかかった。


「おい、坊主ども。腹、減ってねえか」


 人の好さそうな笑みを浮かべた中年の男だった。目だけが笑っていない。


「飯と寝床を世話してやる。その代わり、ちいとばかし働いてもらうがな」


 カースとシークは一瞬だけ目を見交わし、怯えたように肩を縮めて頷いた。

 連れて行かれたのは、モリスの話どおり、闇市の裏手に打ち捨てられた古い聖堂だった。外から見ればただの廃墟だ。だが煤けた階段を地下へ降りると、景色が変わった。

 錆びた鉄格子で仕切られた狭い区画が、いくつも並んでいた。泥と藁を敷いただけの床に、痩せた子どもたちが身を寄せ合っている。


 空気は澱み、汗と排泄物の饐えた臭いがこもっていた。与えられているのは、黴の生えたパンの欠片と濁った水だけらしい。ある区画の隅で、髪の乱れた少女が膝を抱えたまま動かなかった。落ち窪んだ目は、どこも見ていない。


「黙ってろ!」


 見回りの男が鉄の棒で格子を叩いた。甲高い音が響き、子どもたちがびくりと縮こまる。奥の区画では、腕に紫色の痣を作った少年が床にうずくまっていた。逆らったのだろう。そばにいる子どもたちは、誰も彼に目を向けなかった。


(――これが)


 カースは掌に爪が食い込むほど拳を握った。


(僕たちが止めなきゃいけないものだ)


 隣でシークが、格子の向こうを一つずつ目で追っていた。まばたきもせずに。






 四日後の夜。

 カースとシークを含む十数人の子どもが一列に並ばされ、地下のさらに奥へ連れて行かれた。

 粗末な木の壇が一つ据えられていた。壇を囲むように椅子が並び、上等な外套のフードを目深にかぶった者たちが腰かけている。


「さて、本日の品でございます」


 壇の脇に立った痩せた男が、帳面を読み上げるような調子で口上を始めた。


「まずはこちらの少年。年の頃は十五、六。体は丈夫。いくらか反抗的ではございますが、しつけ次第でどうとでも」


 背中を突かれ、シークが壇上に押し出された。暗がりから、いくつもの視線が一斉に注がれる。

 カースはこれまで、数えきれないほどの敵意を向けられてきた。だがこの目は、そのどれとも違った。値札を付ける目だった。


「いかがでしょう」

「体つきは悪くない。だが目つきが気に食わん」


 影の中の一人が、つまらなそうに首を振った。


「ああいう目をした奴は扱いにくい。とくに、あちらの用途には向かん」


(あちらの用途?)


 競りは淡々と進んだ。子どもが一人ずつ壇に上げられ、値を付けられ、落札されていく。


「次は、こちらの少年を」


 今度はカースが押し出された。フードの奥から、湿った視線が這い寄ってくる。


「顔立ちは悪くない。だが、これもあちらには向かんな」

「なぜだ」

「目に力がありすぎる。あの処置は、もっと従順で、空っぽの目をした子でないとうまくいかん」


 別の一人が、得心したように頷いた。


「ああ、確かに。心が折れきった子でなければ、術式が安定しないと聞く」


 術式。カースは表情を崩さないまま、その言葉を胸に刻んだ。




 競りが終わり、買い手のつかなかった子どもたちは元の区画へ追い立てられた。

 狭い廊下の途中、壁のくぼみで、二人の買い手が声を落として話していた。子どもの列がすぐ脇を通っても、話をやめる気配はない。売り物に耳があることなど、気にも留めていないのだろう。カースとシークは足取りを緩めた。


「今夜の分は、いつ運ぶ」

「三日後の船だ。今夜は五人に処置をする」

「相変わらず、持たんのか」

「体が耐えられん子が多い。埋めた直後に拒絶を起こして死ぬのも珍しくない。だが、うまくいけばあれほど便利な兵器もない」


 シークの肩がかすかに動いた。


「離れた場所から、狙った相手を確実に仕留められる。しかも跡は何も残らん。あの方々が目をつけるのも頷ける」

「口外はするなよ。エアハルト家が独自に進めている研究だ。他家に知られれば面倒なことになる」


 それで十分だった。


 ただの人身売買ではない。エアハルト家が裏で進めている兵器づくりだった。材料は、子どもの体だ。




 その夜更け。

 地下のいちばん奥、いつもは分厚い扉で閉ざされている一角から、かすかな悲鳴が漏れてきた。

 カースとシークは格子の隙間に顔を押しつけた。廊下の突き当たり、半開きになった扉の向こうが、わずかに見える。

 木の寝台に、幼い少年が革のベルトで縛りつけられていた。そばに立つ白い上衣の男が、小刀のような器具で少年の胸を切り開いていく。暴れる体を助手が押さえつけ、傷口の奥へ何かが押し込まれた。青白く光る、小さな石だった。

 少年の悲鳴はだんだん掠れ、途切れ、聞こえなくなった。


「今度のは持ちそうだな」


 男は血を拭いながら言った。靴の底でも繕い終えたような口ぶりだった。

 カースの拳の中で、爪が皮膚を破っていた。血が指の間から滲んでも、力を緩められなかった。


(何が復讐だ)

(七大貴族を討つだの何だのと言いながら、僕はこれを知らずにいた)


 隣のシークは、瞳孔を大きく開いたまま扉の向こうを見つめていた。噛みしめた唇から、血が一筋、顎へ伝っている。本人はきっと気づいていない。


「シーク」


 カースは血の味のする口の中で囁いた。


「今は動けない。ここで暴れたら、ほかの子たちが巻き込まれる。船の日まで待つ。......でも、必ず終わらせる」


 シークは返事の代わりに、一度だけ小さく頷いた。

 そのとき、足元の石壁を伝って、低い震えが届いた。遠くで何か重いものが動いたような、鈍い響きだった。

 それが何を意味するのか、このときの二人はまだ知らなかった。



(第29話「二枚舌の宮廷」へ続く)



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