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カース・オブ・エレニア ~蘇りし呪術師の成り上がり復讐劇~  作者: さかさき まる
第四章 凍てついた誓い

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第20話-3「凍える宮廷」


 翌朝。

 一行は再び北へ向かった。


 ミトは宿に置いていくという選択肢もあった。けれど、地下施設の場所を知っているのはミト自身だ。そして何より、仲間たちを残したまま、自分だけ安全な場所で待つことを、彼は頑として望まなかった。

 何度説得しても、首を横に振る。結局、カースたちはミトを連れて行くことにした。


 北へ進むにつれ、世界は少しずつ白に染まっていった。

 褐色だった大地は白く覆われ、道の轍には薄い氷が張る。やがて雪は深くなり、馬車の車輪が軋むたび、乾いた音が静かな大地へ吸い込まれていった。隙間から入り込む冷気が、容赦なく肌を刺す。


 車内で吐いた息は白く濁り、すぐに消えていった。街道の両脇には、凍てついた湿原がどこまでも続いている。その先には、幾筋もの河川が網の目のように大地を走っていた。流れる水さえ、その多くが薄青い氷に閉じ込められている。水面の縁には白い霜が幾重にも張りつき、朝の光を受けて、かすかに銀色に煌めいていた。


「風向きが変わったな......北の氷原から直接冷気が降りてきやがった」


 ガルトが厚手の外套の襟を立て、吐く息を激しく白ませながら呟いた。その視線の先には、雪煙の向こう側、地平線の上に異様な都市のシルエットが不気味に浮かび上がる。


 氷の平原と、凍てついた網の目の運河の上に築かれた、極北の白銀都市――アイスフェルト。


 荒々しい岩山がそびえ立っていたグルントハルトの景観とは、まるで対照的だった。そこには整然とした古典様式の巨大な石造建築群が、凍りついた水路を挟んで見渡す限り並んでいる。

 薄水色や淡い黄色の外壁、聳え立つ巨大な円柱群、そして猛吹雪の中で鈍い光を放つ金色のドーム屋根。

 その姿は、これまで目にしてきたどんな街よりも、美しかった。氷と光が織りなす、精緻な芸術品のような都市。けれど、その美しさには妙な静けさがあった。人の暮らしがあるはずなのに、街そのものが息をしていない。


 白銀の壁も、金色の屋根も、凍りついた運河も。


 すべてが精巧に作られた一枚の絵のようで、そのどこにも人間の温もりが見えなかった。カースは、しばらくその街を見つめていた。


 美しい。


 だからこそ、不気味だった。窓の外を見ていたミトが、小さく息を呑んだ。


「......綺麗」


 その声には、素直な驚きがあった。


 けれど――。


 街の端に差しかかったところで、その表情が消えた。白銀の宮殿や石造りの屋敷から少し離れた場所。

そこには、粗末な小屋がひしめいていた。壁には隙間があり、屋根には雪が積もったままになっている。

その前を、痩せた人々が肩を寄せ合うように歩いていた。


 同じ街の中にあるとは思えない。


 片方には、金色の屋根。もう片方には、薪すら満足にない小屋。


 その差は、あまりにも露骨だった。


「これが......アイスフェルト領か」


 ウォルターが霜の降りた窓枠を擦り、氷の都を見下ろす。


「ああ。見た目だけなら、たいしたもんだ。だが――」


 彼は街の奥を見つめる。ガルトの声から、いつもの軽さが消えていた。


「.....この氷の運河の下に、どれだけの屍が沈んでるか分かったもんじゃねえ」


 その言葉に、誰も返事をしなかった。 やがて馬車が街道脇の宿場へ入ると、ガルトが口を開いた。


「……裏の情報屋から、胸くその悪い話が入ってる」


 カースが振り向く。


「......ガルト、何か掴んだの?」


 ガルトが声を潜める。


「この領地じゃ、若い奴らがまるで煙のように消えてるそうだ」

「......消えている?」

「『いい口口がある』だの『徴用だ』だのと役人が連れ出す。だが、そいつらが家族の元へ戻ってきた例は一度もねえ」


 カースの瞳が鋭く光る。


「連れていかれた人たちは、どこへ?」


「それが皆目分からねえ。だが......あの美景の地下に広がる施設へ運ばれているって噂だ」


 ガルトが一枚の折りたたまれた羊皮紙を取り出した。


「俺の伝手で入手したリストだ。まだ確証はねえがな」


 カースは紙を受け取り、広げた。

 そこには、若い男女の名前と、最後に彼らの足取りが途絶えた場所がびっしりと記されていた。ミトが語った仲間たちの名も、その中に含まれているのかもしれない。


 ミトは、恐る恐るその紙を覗き込んだ。


 そして、ある名前を見つけた瞬間、顔から血の気が引いた。


「......この子」


 小さな指が、紙の上を震えながら指差す。


「この名前......僕と一緒に捕まってた子です」


 カースは黙ってその名前を見た。点だった情報が、また一つ繋がった。


「人体、実験」


 ぽつりと、シークが小さな声を漏らした。カースがハッとして振り返る。


「シーク?」

「......なんでもない」


 シークは窓の外へ顔を向けた。横顔はいつもの無表情だった。けれど、唇だけが固く結ばれている。指先も、わずかに強く握り込まれていた。


 ウォルターが酒場で拾ってきた生々しい証言。シークが屋根裏で聞きつけた密談と、そこで出会ったミトの証言。そしてガルトの持つ失踪者リスト。ばらばらだった話が、同じ場所を指していた。


「確かめよう」


 カースが羊皮紙を握った。紙が、くしゃりと鳴る。


「カース」


 ウォルターが低く、制するような声を出す。


「これ以上余計なトラブルに突っ込む必要は――」

「分かってるよ、ウォルター」


 カースは紙を固く握り潰した。


「でも、目の前で人が消えていて、それが僕たちのすぐ近くで行われているなら......見過ごして素通りなんてできない」

「......ハッ、やっぱりそう言うと思ったぜ」


 ウォルターは深く溜息をつき、頭をかきむしった。だが、その口元にはどこか吹っ切れたような笑みが浮かんでいた。


「だったらお供するさ。お前一人で行かせたら、どこで野垂れ死にするか分かったもんじゃねえからな」

「ありがとう、ウォルター」

「礼なんて言うな、不吉だ」


 シークも静かに立ち上がった。


「......俺も、行く」

「お前は待ってろ」


 ウォルターが即座にシークの額を指で小突く。


「自分の痛みに疎い奴ほど、こういう場所じゃ真っ先に壊れるんだよ」

「......俺だって役に立つだろ」

「知ってるさ。だから余計に心配なんだよ」


 シークは少しだけ眉を寄せ、ウォルターの手を払いのけた。


「......過保護」

「何とでも言え」


 ウォルターは短く笑った。


 そのやり取りを、ミトは黙って見つめていた。自分がいた地下施設では、誰かを心配する声なんて聞いたことがなかった。怒る声。命令する声。泣き叫ぶ声。

 聞こえてくるのは、そればかりだった。

 だからこそ、ウォルターの「だから余計に心配なんだよ」という言葉が、妙に温かく聞こえた。




 その夜。


 吹雪が宿屋の窓を叩いていた。他の者たちが眠りについた頃、シークは静かに布団を抜け出した。足音を立てずに木窓へ近づき、ラッチを外す。


 隙間から流れ込んできた冷気が、頬を撫でた。外は一面の白だった。街も、屋根も、道も。


 降り積もった雪がすべてを覆い、月明かりを受けた粉雪が、暗闇の中で小さな光の欠片のように舞っている。


「......綺麗だ」


 シークは呟くと、吸い寄せられるように窓枠を越え、積雪した屋根へと足を踏み出した。

 サク、と足もとで雪が潰れる。シークは屈み込み、手袋を外した素手で雪をすくい上げた。


 (冷たい。)


 けれど――痛くはない。


 シークは不思議そうに、何度も、何度もその白い粉を握りしめた。


「......こんなの、初めて見た」


 夢中になって雪の冷たさを確かめているうちに、彼の白い指先は徐々に赤く腫れ上がっていく。

「シーク」

「......!」


 背後からの声に、シークは跳ね起きるように振り返った。羽織りを引っかけたカースが、心配そうな目でそこに立っていた。


「こんなところで、何してるの?」

「......雪触ってんの」

「見れば分かるよ」


 カースは歩み寄り、シークの赤くなった手を両手で優しく包み込んだ。


「すごく冷たくなってる......」

「別に。痛くない」

「だから駄目なんだよ」


 カースは眉をひそめ、自分の温もりを分けるようにシークの手を握りしめた。


「体が凍えて風邪をひいちゃう。中に入ろう」

「......でも」

「戻ろう?」


 シークはカースの真剣な瞳に押され、渋々頷いた。部屋へ戻る最中も、カースはシークの赤く染まった指先から目を離さなかった。


「シーク」

「......何?」

「君は、無茶をしすぎる」

「痛くないから」

「うん」


カースは少し困ったように笑った。


「でもね、僕には痛みがあるんだ」


 カースは自分の手のひらを見つめた。


「だから......僕を使ってよ」

「......え?」


「僕は痛みを感じる。君の痛みの代わりになれる」


 そこで一度、言葉を切る。


「でも君は痛みを感じにくいから、気づかないうちに傷ついて壊れてしまう」


 シークの顔から感情が消え、硬直した。


「違う」


 シークが遮った。カースは首を横に振る。


「君が無茶をして傷つくくらいなら、僕が身代わりになるってことだよ」

「......嫌だ」


 シークは即答した。


「どうして?」

「あのさ.....カースが痛いほうが、嫌に決まってるじゃん」


 吐き捨てるように言ってから、シークは気まずそうに視線を床へ落とした。


「......だから、俺がやる」


 カースは驚きに目を見開いた。


「シーク......」

「カースは、すぐ怪我するだろ。弱いくせに」


「僕だって気をつけてるつもりだよ」

「嘘」


「嘘じゃないって」

「嘘。いつも傷だらけだ」


 シークは弱々しく眉を寄せ、自分の手のひらを握りしめた。


「......俺は痛くないから。俺を使えばいい」

「でも――」

「いいから!」


 それは絞り出すような、乱暴な声だった。ただ、乱暴な言葉とは裏腹に、その表情には隠しきれないものが滲んでいた。


「カースが傷つくくらいなら、俺が傷つく方がいいんだよ」


 カースは返す言葉を失った。胸の奥が締め付けられるような気持になり、困ったように口を歪める。遠い日の、幼い弟妹達が自分を心配してくれた光景が重なった。


「......分かった。でも、お願いだから無茶だけはしないで」

「カースも」

「うん、約束する」

「絶対」

「絶対だよ」


 シークは気恥ずかしそうにそっぽを向いた。


「......なら、いいけどさ」




 翌日。

 アイスフェルト領の市街地へと続く氷結した街道で、前方を歩いていたシークが急に足を止めた。


「......?」


 カースが立ち止まり、振り返る。


「どうしたの、シーク?」

「風が......」


 シークの足元で、突風が巻いた。積もった粉雪が舞い上がり、彼の身体を包み込む。


 次の瞬間――。


 シークの姿が消えた。残されたのは、舞い上がった雪だけ。音もない。踏み込みの跡すら、ほとんど残っていない。風に身体を預けるように、シークは雪原を滑っていた。


 馬車の屋根からそれを見ていたアズラエルが、目を細める。


「......へえ」


 数十メートル先で静止したシークが振り返る。


「何」

「君、やっぱり面白いねぇ」


「......何が」

「君、貴族の血筋じゃないのに、体内に精霊の回路が無理やり開かれてる」


 シークの表情が瞬時に強張った。


「これは......俺の力だ」

「違うよ」


 アズラエルは木の上から飛び降り、軽やかに着地した。雪の上に着地しても、ほとんど音がしない。


「君の身体に、他人の精霊を強引に叩き込んだ痕跡さ」


 シークは唇を噛み締め、沈黙した。


「でも、破裂せずに馴染んでるのが凄いね。普通の人間なら一瞬で狂って肉体が崩壊するのに」

「......別に」


「もっと上手く使いたい?」

「......必要ない」


 即答だった。


 けれど、その目が一瞬だけカースへ向く。カースは、黙ってシークを見つめていた。


「.ただ.....カースを守るためなら、必要かも」


 シークは誰にも聞こえないほどの小声で呟いた。


「もっと、強くならないと」


 アズラエルはその呟きを見逃さず、嬉しそうに口角を上げた。


「じゃあ、コツを教えてあげるよ」

「......嫌だ」


「えっ」

「お前に教わるのは、不愉快だ」

「ちょっと待ってよ、強くなりたいんでしょ?」


「......」


 シークはこれ以上ないほど渋い顔をして葛藤していたが、やがて小さく息を吐いた。


「教えろ」

「素直じゃないなぁ!」

「うるさい」


 アズラエルはくすくす笑いながら、シークの足元へ視線の焦点を合わせた。


「君の力は、生まれ持った精霊の加護じゃない」


 雪の上を指先で軽くなぞる。


「だからこそ、型に嵌まった貴族の精霊使いには真似できない動きができる」

「......どうすればいい」


「自分の中の力を搾り出すんじゃない」


 アズラエルの指先で、紫色の放電が弾けた。


「流すんだよ」


「……流す?」


「風を足に集めようとするから重くなる。君自身が、風の通り道になるんだ」


 シークは不機嫌そうな顔のまま、集中するように目を閉じた。身体の奥にある、歪な力へ意識を向ける。押し込めるのではなく、掴むのでもなく、ただ、流す。


 カースを守るために。二度と、誰も失わないために。


 シークは、もう一度力を練り上げた。先ほどよりも深く、そして、静かに。


 次の瞬間、身体が滑った。


 雪を蹴ったはずなのに、足元が沈まない。風が身体を押し出し、そのまま白い大地を駆け抜けていく。

残された足跡はわずかだったが、吹き抜けた風が、その痕跡さえすぐに消していく。


「……そう!」


 アズラエルが、楽しそうに手を叩いた。


「飲み込みが早いねぇ」


「……」


「君、本当に傑作だよ」


「......馬鹿にしてんの?」

「褒めてるんだよ」

「なら、もっと教えろ」


 アズラエルは驚いたように目を丸くした。シークは気まずそうに顔を背け、ぼそりと付け加えた。


「......カースを守るためだ」

「はいはい、分かってるって」

 アズラエルは満足そうに笑った。



 その頃。

 凍りついた大運河を見下ろす、アイスフェルト領の中心に佇む白銀の宮殿。

 巨大な氷の結晶を模した幾何学模様のシャンデリアが天井から吊り下がり磨き上げられた床には暖炉の炎が淡く揺れている。宮殿の中は暖かかった。外では吹雪が荒れ狂っているというのに、ここだけは別世界だ。壁には精霊の加護による温もりの術が施され、床からは冷気が消えている。


 給仕が運ぶ茶器からは白い湯気が立ち上り、暖炉では薪が絶えず燃えていた。

 その壁一枚向こうでは、薪を求めて彷徨う人々がいる。凍った運河のほとりで、身を寄せ合って寒さに耐える者もいる。けれど、この宮殿の中まで、その寒さが届くことはない。紅茶は温かく、床も暖かく、暖炉の火は消えない。

 この場所だけは、冬そのものから切り離されたかのようだった。


「......グルントハルト家が潰れたか」


 アイスフェルト家当主、フロスト・アイスフェルトは、氷の結晶が張り付いた高窓から白銀の街並みを見下ろし、届いたばかりの報告書を冷淡に暖炉へ投げ入れた。紙の端が赤く染まり、文字が黒く縮れていく。


「険しい岩山に逃げ込んでいただけの野蛮な男だ。精霊光の供給削減に焦り、感情に任せて動くから足元をすくわれる」


「ですが、父上」


 背後に控えていた息子、ヘルマンが静かに口を開いた。


「我がアイスフェルト領におきましても、王家からの供給減により、実験に必要な新鮮な検体が著しく不足しております」


 ヘルマンが慇懃に頭を下げて告げると、フロストは氷のように冷たい瞳で、舞い散る吹雪を見つめた。


「他領から流れ込んできた難民でも何でもかき集めろ」


 声に感情はなかった。


「必要な数は、何としてでも揃えよ」


「承知いたしました」


「この美しき都の繁栄を維持するためだ」


 フロストは、冷めかけた紅茶へ手を伸ばした。


「所詮、人間など消耗品に過ぎん」


「はい」


 ヘルマンは一礼した。

 その声には迷いがない。父親が吐いた言葉にも、眉一つ動かさない。


 人間を物として扱うことが、彼にとってはあまりにも当然のことになっていた。

「それと……」


 フロストが次の書類を手に取る。


「グルントハルトの残党軍が、混乱に乗じて北へ逃れているという報告があったな」


「はい」


「我が領界を侵すようなら、容赦なく処理しろ」


「ハッ」


 フロストは、それ以上興味を示さなかった。冷え切った指先で次の書類を開く。暖炉の火が揺れる。紅茶の湯気が細くほどけていく。窓の外では、白い街を、ゆっくりと覆い隠すように雪が降り続いていた。


 凍てつく白銀の宮廷の中で、フロストは優雅に紅茶へ口をつける。その一杯の温もりが、壁の向こうで凍える者たちには届かないことなど、気にする様子もない。


 フロストは次の報告書へ目を落とした。ただ、雪だけが降り続いていた。


(第21話「凍てつく罠」へ続く)

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