↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カース・オブ・エレニア ~蘇りし呪術師の成り上がり復讐劇~  作者: さかさき まる
第四章 凍てついた誓い

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

33/60

第19話「道化師たちの盤上」



 「......予想以上だな」


 王都の別の場所。贅を尽くした調度品が並ぶ薄暗い一室で、フロスト・アイスフェルトは手元の報告書を眺め、芳醇なワインの入ったグラスを傾けていた。


「オズワルドまで切ったか」

「はい」


 息子のヘルマンが、冷ややかに頷く。


「殿下は、一切の情を挟まなかったそうです。あの男は、文字通り例外を作らない」

「情を挟めないのだ」


 フロストは乾いた笑いを漏らした。


「違う。挟まないのではない。......挟めば、自分の正義そのものが崩壊すると恐れているのだよ」


 報告書を、机の上へ無造作に放り投げる。


「あの王子は、本気で世界中のすべてを救おうとしている。だからこそ、自分の身内すら容赦なく犠牲にできる」


 フロストの口元に、底意地の悪い笑みが浮かんだ。


「これほど、利用しがいのある玩具はないな」

「姉君のオーレリア様については?」


 フロストは、机の脇に置かれた別の書類――王女オーレリアの名が記された紙へと視線を落とした。


「予定通り進めろ」

「エリオット殿下をどうこうするのではなく?」


「愚問だな、ヘルマン」


 フロストは首を横に振る。


「エリオットは、勝手に自分で自分を孤立させていく。我々が手を汚す必要など、最初からないのだよ。あの男の正義感は、勝手に周囲から人を遠ざける最上の毒だからな」


「では、オーレリア様を?」

「ああ」


 フロストは冷徹に微笑んだ。


「あの子は、エリオットとは、正義の形が違う」

「違う、と申しますと」


「エリオットは、誰も切り捨てまいとする狂気に囚われている。だが、オーレリアは――自分自身の望みや利益を満たすことこそが、王家のため、この国のためだと、微塵の疑いもなく信じ込んでいる」


 フロストは、グラスの中の赤い液体を、静かに揺らした。


「私利私欲で動いているという自覚すら、あの娘にはないのだよ。自分の欲を満たすことが、そのまま『正義』にすり替わっている。それが、あの娘の恐ろしいところであり――同時に、実に都合の良いところでもある」

「......」


「そういう人間は、こちらが差し出す理屈に、驚くほど素直に絆される。それが、王家のためになると囁いてやりさえすればな」


 人間を、ただの「利害の計算式」としてしか捉えないアイスフェルト家の冷酷さが、部屋の空気を支配する。


「次に王家の中心へ据えるべきなのは――エリオットのような狂気の聖人ではない。自分の歪んだ正義感を、微塵も疑わずに振りかざせる、御しやすい人間だ」


 エリオットが民を救おうと、血を流しながら正義の刃を振れば振るうほど。


 誰かを愛し、誰かを裁けば裁くほど。


 その周囲からは温もりが消え、人が離れ、完全なる孤立の王座へと近づいていく。


 エリオットは今日も、冷たい正義の炎をその身に燃やし続けていた。その残酷な矛盾に気づかずに――。





 氷のように冷ややかな決意を固めるフロスト・アイスフェルトの背後で、王都の闇はさらに深く重く沈み込んでいく。

 そしてその闇は、エレニア王国の頂点――王宮の奥深き執務室にまで静かに浸食していた。


「......オズワルドまで、か」


 重厚な執務机に置かれた報告書を前に、国王の唇から漏れたのは、低く乾いた吐息だった。


 仕立ての良い白い王衣に身を包み肘をつくその姿には、我が子への悲哀など一切存在しない。ただ己の権力と王国の平穏だけを冷徹に計算する、どこまでも執着深く不気味な瞳が、暗闇の中で濁った光を放っている。


「はい」


 傍らに控える側近が、畏怖を込めて頭を垂れた。


「エリオット殿下は、例外を認められませんでした。長年後ろ盾となってきたオズワルド卿であっても、容赦なく追放の処分を下されました」


 国王の指先が、机の上をトントンと不規則に叩く。


「あの子は......実に綺麗な目をしているな」


 国王の口元が、わずかに歪んだ。


「その綺麗な目で、周囲の汚れを一つ残らず見つけ出し、己の手で一つずつ排除していく。まるで、自ら首を絞める縄を丁寧に編み上げているようだ」


「......陛下?」


「壊れる様を見るのは、実に愉しい」


 側近がぞっと首筋を寒くした瞬間、国王は静かに手元を片付け、背もたれに体を預けた。


「エリオットには、そのまま走らせておけ。誰一人切り捨てないという理想に押し潰され、大切な者たちを自分の手で殺し尽くすまで......な」


 国王が冷たく言い捨て、怯える側近を下がらせた、その直後のことだった。


 執務室の深々とした影――太い石柱の裏側から、鈴の音すら立てずに一つの影が滑り出した。

 派手な衣装を纏った宮廷道化師トールが、壁の暗がりに身を寄せたまま、嘲笑を浮かべて国王の背中を見つめている。


「......くすくす。偉そうに。見限った顔をしているよ、あの王様は」


 トールの囁きは、風の音よりも微かだった。


 国王は部屋に一人きりだと思い込み、深い満足感と共に書類に目を戻している。己が誰かに監視されていることにも、思考そのものを誘導されていることにも、全く気づいていない。


「自分が一番賢いと思っている人間ほど、転がしやすいものはないねぇ」


 トールが歪んだ笑みを深めた、そのすぐ背後。


 暗闇のさらに奥から、寸分違わぬ声と顔を持ったもう一人の道化師――トーリスが、ぬっと顔を出した。


 同じ顔、同じ歪んだ笑み。


「そうだね、トール」


 トーリスが声を出さずに肩を揺らす。


「貴族には『王が血も涙もなく身内を切る王子を裏で煽っている』と思わせる。国王には『王子が勝手に狂って自滅している』と思わせる......」


「そうすれば、貴族は王家に絶望し、王家は自縄自縛で勝手に崩れていく」


 二人の道化師が左右から顔を寄せ合い、闇の中で不気味に共鳴する。


 一人の道化師「トール」として城内を徘徊するその存在が、実は「決して二人が同時に表に出ることのない双子」であることなど、目の前で知った顔をしている国王すら夢にも思っていない。


 七大貴族も、そしてこの高慢で不気味な国王すらも。


 トールとトーリスが撒き散らした小さな密告、疑心暗鬼の種、そして巧みな情報の歪みによって、自分たちが「自らの意思で判断している」と錯覚させられたまま、王国ごと破滅への坂道を転げ落ちているのだ。


「誰も切り捨てないために、すべてを壊していく王子様」

「息子の破滅を面白がりながら、自分の足元が腐っていることに気づかない国王様」


「ねえ......どっちが最高の道化かな?」


 二人の道化師は、何も知らぬ国王の背中を見つめながら、闇の中で深く嗤った。


 王国の権力者も、王位を狙う七大貴族も、そして民を救おうと血を流す王子すらも――彼らが仕掛けた歪んだ盤の上で、踊らされている舞台役者に過ぎない。


「ねえ、トール」

「なんだい、トーリス」


「この国が中からぐちゃぐちゃに腐って、完全に弾け飛ぶとき......あの王子様は、どんな顔で泣くんだろうね?」


「決まっているじゃないか」


 二人の双子は互いに顔を寄せ合い、寸分違わぬ三日月の笑みを闇の中で深めた。


「『誰も切り捨てたくなかった』って、最後まで自分の正義に殺されながら笑うのさ」


 クスクス、と忍び笑う声が影の奥底へと吸い込まれていく。


 柱の向こうでは、何も知らない国王が、息子の破滅と己の権力維持を確信した顔で冷たく書類をめくっていた。


 自分が握っているつもりの糸が、すでに双子の道化師の手によって首元へ巻きつけられていることにも気づかずに。


 正義に狂う王子。

 傲慢に腐敗する国王。


 そして、暗躍する二人の無名の道化。


 エレニア王国の命運は、狂気と嘲笑の渦の中、ついに引き返せない破滅の坂道を転がり始めたのだった。





 二人の道化師が闇へと溶け去り、執務室には再び重苦しい静寂が戻っていた。

 国王は書類の上に冷たい視線を落としたまま、己の足元で王国の土台が音を立てて崩れ始めていることなど、露ほども気づいていない。


 ――そして、同じ夜。


 静まり返った自室で、エリオットは一人、机に置かれた羊皮紙にペンを走らせていた。


 その指先はまだ微かに震えている。


 先ほど引き出しの奥底へ封印した、かつての温もりの記憶――不格好な木彫りの馬の感触が、脳裏を焼き払うように疼いて離れない。


「......レイフ」


 エリオットが低く呟くと、部屋の隅の影からレイフが静かに姿を現した。


「......ここに」


「明日、配給所の運営体制を完全に刷新する。不正に関与した可能性のある役人は全員更迭し、余剰となった王家の備蓄をすべて開放してくれるか」

「......承知いたしました」


「それから」


 エリオットは一度ペンの動きを止め、深く、冷たい息を吐き出した。


「オズワルドの追放に関して、各派閥の貴族たちから反発や過剰な反応が出るはず。僕が『身内すら容赦なく切り捨てる狂人』に見えているだろうからね」

「......殿下、それは......」


「構わない」


 エリオットの瞳には、一切の迷いがなかった。


 そこにあるのは、自らの犠牲すら当然の代償として受け入れた、覚悟を決めた光だった。


「誰にどれほど恐れられ、憎まれようとも......民が飢え、路地裏で命を落とす悲劇を止められるのなら、僕は喜んで悪徳の王にる。誰一人切り捨てない国を作るために、僕は僕自身の心すら捨ててみせる」


 レイフは、目の前の若き王子を見つめたまま、言葉を失っていた。


 その言葉の正しさが、そしてその美しすぎる理想が、どれほど残酷に彼自身を苛み、周囲を巻き込んでいくのかを思うと、胸が引き裂かれそうになる。


(......この方は、どこまで行ってしまうのだ)


 エリオットが己の正義を突き詰めて走れば走るほど、七大貴族は恐怖し、国王は冷たく切り捨て、トールとトーリスの張り巡らした狂気の罠へと自らハマっていく。

 誰も切り捨てたくないという純粋な願いが、皮肉にもすべてを破滅へと導く歯車となって噛み合っていく。


 冷たい夜風が王宮の窓を揺らし、鉛色の雲が月を覆い隠していった。

 エレニア王国を包み込む暗雲は、もう二度と晴れることのない深淵へと、ゆっくりと、確実に落ちていく――。



(第20話「凍える宮廷」へ続く)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。