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カース・オブ・エレニア ~蘇りし呪術師の成り上がり復讐劇~  作者: さかさき まる
第四章 凍てついた誓い

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第16話「紫電、来る」


 グルントハルト家の城を脱出した三人は、深い傷を負ったカースを背負い、冷たい夜風が吹き抜ける北の荒野を駆け抜けていた。カースの傷は、ガルトが応急処置として最低限の止血を施しただけだった。


「......まずいな」


 ガルトが、背中に預けたカースの重みを感じながら、苦しげに呟く。カースは意識を失ったまま、ぐったりとガルトの背に身を預け、掠れた呼吸を繰り返していた。二の腕の裂傷からは、まだ生暖かい血がダラダラと垂れ落ちている。


「宿まで戻れば、ちゃんとした手当てができる。それまで持たせるしかない」

「わかってる」


 シークが短く答え、闇夜の先へと鋭い視線を巡らせる。


 ――バチッ。


 夜の静寂を切り裂くような、乾いた放電音が響いた。


「――止まれ」


 シークが咄嗟に両足を止める。目の前の暗い空間に、不気味な紫色の雷が走った。


 一本。


 二本。


 やがて幾筋もの乱れ飛ぶ雷光が絡み合い、闇夜の中に、一人の男の姿を浮かび上がらせる。


「......誰だ」


 ウォルターが、一歩前に出て片手で巨大な大剣の柄を固く握りしめた。男は答えなかった。ただ、面白そうに唇を歪めて笑っているだけだ。


 シークが懐から鋭い投針を抜き、間髪入れずに放った。


 ――ヒュッ。


 闇を突く閃光のような投針が、男の眉間へと正確に迫る。だが、男の身体は、まるでそよ風に揺れる花びらのように、ほんの僅かに傾いただけだった。


 それだけだった。投針は虚しく夜空を切り裂き、背後の岩壁へと深く突き刺さる。



 ――バチッ!


耳を刺すような紫電が弾けた。


「――ッ!」


 シークが反射的に短刀を構え直す。

 だが、既に遅かった。男は、ほんの一瞬の隙すらなかったかのように、シークの目の前へと優雅にすべり込んでいた。


「それが、噂の呪術師?」


 男は、目の前のシークではなく、その後方でカースを背負うガルトへと興味深そうに視線を向けた。そして、ガルトの背にぐったりと預けられたカースを覗き込む。


 意識を失ったままの少年。返り血で黒く染まった衣服。その細い腕に残る、異質な呪具の痕跡。男の瞳が、歓喜に満ちた熱を帯びて面白そうに細められた。


「へえ......」


 シークが鋭く踏み込み、痛みを知らぬ肉体に鞭打って短刀を容赦なく振り抜く。しかし男は、まるでその軌道が最初から見えていたかのように、あらかじめ身体を逃がすように流した。

 鋭い刃が、紫がかった銀髪の毛先をかすめる。そのまま、くるりと軽やかに身体を回す。追撃とばかりに、ウォルターが渾身の力で大剣を横薙ぎに叩き込んだ。


「そこをどけ!」


 轟音が夜の荒野に響く。だが男は、大剣の斬撃軌道に吸い込まれるように身を滑らせ、紙一重の差でそれをかわしきった。その動きには、殺伐とした戦闘の焦りなど一切なく、まるで優雅な舞踏会の一幕のようだった。

 大剣をかわした勢いのまま、男は地面を軽く蹴った。再び紫電が激しく爆ぜる。


 次の瞬間には三人の攻撃範囲を完全に抜け出し、少し離れた巨大な大岩の上に、猫のように軽々と飛び乗っていた。

 男は岩の上から、息を荒らげる三人を見下ろす。そして、ふと視線を横の闇へと向けた。遠くから、無数の硬質な鎧がすれ違う音が近づいてくる。精霊騎士団の捜索隊だ。


 その旗印を確認すると、男は小さく楽しげに肩をすくめた。


「なるほどね」


 軽やかな声だった。


「ボクはただ、グルントハルトがヴェルガリアに見捨てられて、無様に落ちぶれた姿を見に来ただけなんだけど......」


 男の視線が、再びガルトの背に揺れるカースへと熱っぽく固定される。


「それよりずっと、面白いものを見つけちゃったね」


 ウォルターが大剣を構え直し、殺気を漲らせる。


「......何者だ、お前は」


「ん?」


 男は首をコテンと傾げた。


「まだ名乗っていなかったっけ?」


 紫色の雷が、男の纏う漆黒のコートを這う。その表情には敵意らしい敵意など微塵もなく、ただ未知の珍しい玩具を見つけた子供のような、純粋な好奇心だけが爛々と浮かんでいた。


「初めまして。呪術師くんの仲間たち」


 男は、大岩の上からふわりと軽やかに飛び降りた。着地と同時に、足元の地面を紫電が激しく這う。


「ボクの名前は――アズ」


 そして、まるで舞踏会の紳士のように、美しく優雅に一礼した。


「アズラエル・フォン・ドンナーハルト」


 顔を上げたアズラエルは、底知れぬ笑みを浮かべる。


「よろしくね」


 シークが短刀を構え、ウォルターが巨体を沈め、ガルトがカースを庇うように一歩前へ出る。

 三人とも、既に立っているのが奇跡のような満身創痍の状態だった。それでも、目の前の男がこれまでの敵とは次元の違う怪物だということだけは、本能で理解していた。


 紫色の雷を纏いながら、アズラエルはそんな三人の姿を愛おしそうに眺め――最後に、再びカースへと視線を戻した。


「......それで?」


 口元が、さらに愉快そうに、歪に吊り上がる。


「ボク、その呪術師くんにすごく興味が湧いちゃったなあ」


 パチパチと、紫電が耳障りな音を立てて弾けた。


「――とてもね!」


 その宣言と同時に、アズラエルの姿がふっと夜の闇に消えた。


「来る!」


 シークが反射的に叫ぶ。直後、真横で紫電が爆発した。空間を裂くような閃光とともに、アズラエルの拳が襲いかかる。


 シークは条件反射で二本の短刀を十字に交差させ、致命傷を防ぐ。


 ――ガァンッ!!


 骨が砕けそうなほど凄まじい衝撃が両腕を貫き、シークの歯から微かな悲鳴が漏れる。


「――ぐっ......!」


 シークの小さな身体はそのまま地面を激しく滑り、土煙を上げた。


「シーク!」


 ウォルターが叫び、大剣を振るって割って入る。だが、アズラエルは軽やかにその刃をかわし、次の標的へと移動していた。


「次は君だ」


 ウォルターの視界のど真ん中に、紫色の閃光が走る。


「――ッ!」


 反射的に大剣を振り上げるウォルター。しかし、アズラエルは、その巨大な刃の死角へと、まるで水に溶けるように滑り込んだ。


「遅いなあ」


 容赦なく突き出された肘が、ウォルターの無防備な脇腹へ深くめり込む。


「ぐ――ッ!」


 巨体が宙に浮いた。

 そのまま数メートルも吹き飛ばされ、硬い瓦礫の山へと盛大に叩きつけられる。


「ウォルター!」


 ガルトがカースを背負ったまま、庇うように一歩前へ踏み出す。


「......?」


 アズラエルは不思議そうに首を傾げ、ガルトを見据えた。


「君、後ろに大事なものを背負ったままなのに、戦う気?」

「......カースを、渡すわけにはいかない」


「へえ」


 アズラエルの視線が、ガルトの背で意識を失うカースへと向けられる。


「そんなに大事なんだ、その子が」


「......当然だ。俺たちの仲間だからな」

「そっか」


 アズラエルは楽しげに笑った。


「じゃあ――邪魔な君から排除しようか」


 足元の紫電が一段と膨れ上がる。


「――ッ!」


  ガルトが咄嗟に横へ身をかわそうとした。しかし、次の瞬間には雷撃が直撃し、身体が軋む。


「ぐあっ......!」


 耐えきれず、ガルトはカースを庇いながらも弾き飛ばされ、硬い石肌に身体を打ちつけて膝をついた。


「ガルト......!」


 シークが歯をくいしばって立ち上がる。土と血で汚れた口元から鮮血が垂れている。それでも、震える手で短刀を再び強く握り直した。


 アズラエルはそれを見て、いっそう嬉しそうに目を細める。


「いいねえ」


 紫電が、白い指先でパチパチと弾ける。


「まだそんなに立てるんだ」


「......うるさい、黙れ」


 シークが消えた。僅かばかりの風の加護を全身に纏い、一瞬でゼロ距離へと肉薄する。左右から二本の短刀が、冷たい弧を描いて閃いた。


 アズラエルはその刃の嵐の中を、まるで散歩でもするかのように歩く。


 一歩。


 二歩。


 三歩。


 まるでシークの必死の殺意をダンスのステップのように楽しみながら、すべての攻撃を紙一重で、美しくかわしていく。


「速いね、君の技は」


 シークの眉がわずかに動揺で揺れた。


「でも――」


 アズラエルの手が、シークの振るう手首を正確に掴み取った。


「動きが、綺麗すぎて退屈だ」


 ――バチィッ!!


 ゼロ距離で紫電が炸裂する。


「――があっ......!」


 シークの身体が大きく弾き飛ばされ、地面に叩きつけられた。しばらく、その小さな身体はピクリとも動かなかった。


「シーク!」


 ウォルターが這うように立ち上がる。愛用の大剣を引きずりながら、再びアズラエルへ向かっていく。


「お前......ふざけるな......!」

「まだやるの?」

「当たり前だ......!」


 ウォルターが全霊の力を振り絞り、大剣を上段から叩き下ろす。アズラエルは優雅に避ける。横薙ぎの斬撃を身体を反らしてかわし、渾身の突きを僅かな捻りでやり過ごす。重い大剣が、何度も何度も地面を深く抉っていく。


「ははっ!」


 アズラエルが心底楽しそうに声を上げて笑った。


「君も本当に面白いね!」

「笑ってんじゃねえよ......!」


 ウォルターが最後の力を振り絞り、渾身の斬撃を放つ。アズラエルは大きく後ろへ跳んだ。

 そのまま空中で華麗に身体をひねり、離れた岩の上へとふわりと着地する


「でもさ――」


 アズラエルの笑みが、わずかに深くなる。


「そろそろ限界でしょ、みんな?」


 ウォルターは答えなかった。いや、答えるだけの余力がもう残っていなかった。荒い呼吸が、夜の冷気の中で白く白濁する。両腕は恐怖と疲労で激しく震えている。ガルトもシークも、まともに立っているのが奇跡のような状態だった。


 そして、その満身創痍の男たちの中心には――


 ガルトの背にぐったりと預けられたまま、意識を手放したカースがいる。アズラエルは岩の上から、そのボロボロになった三人を見渡した。


「その状態になってまで、まだその呪術師くんを守るわけ?」

「......当たり前だ」


 ウォルターが血を吐き捨てるように言う。


「俺たちの......大事な仲間だからな」

「仲間......」


アズラエルは、その馴染みの薄い言葉を口の中でゆっくりと転がした。


 そして――


「ふうん」


 まるで、この世で最も興味深いものを見つけた子供のように、顔をほころばせた。


「じゃあ、もう少しだけ一緒に遊んであげようか」


 放たれる紫電が、先ほどよりも一層激しく膨れ上がる。


 ――その時だった。


「......降ろして、ガルト」


 微かな、しかし芯のある声が響いた。三人がハッとして振り返る。

 ガルトの背に預けられていたはずのカースが、自力で足を下ろし、土まみれの身体をゆっくりと起こし

ていた。


「カース......!?  無理をするな!」


 ガルトが制止しようとするが、カースは冷たい地面に片膝をつき、揺るぎない瞳で前を睨みつける。顔面は失血で青白く、二の腕の傷からはまだ生暖かい血がダラダラと流れ落ちている。


「もう......いいよ」


「なに言ってやがる、まだ立てる状態じゃ......!」


「僕が......やるから」


 カースは震え、血に濡れた手で、胸元のネロの呪核をぎゅっと強く握りしめた。その瞬間、アズラエルの紫色の瞳が、信じられないものを見るように大きく見開かれた。


「......あ」


 今までとは空気が違う。カースの小さな身体の周囲から、ドス黒い異質な靄がじわりと滲み出し始めた。地面を這うように広がり、周囲の空間そのものが歪み、きしむ。


「これ......は......」


アズラエルの口元が、興奮でゆっくりと大きく吊り上がる。


「呪術......なのかい?」


 カースの瞳が、狂気と憎悪に満ちた赤黒い色に染め上げられていく。


「――ネロ」


 その声に呼応するように、黒い靄が爆発的に膨れ上がった。少年の背後に、異様で巨大な魔狼の輪郭が浮かび上がる。


 アズラエルは、目の前の圧倒的な脅威を前にして、逃げるどころか――


「すごい......!」


 歓喜に満ちた声を漏らした。


「それが、君の本当の力なの?」


 カースの肉体が限界を迎え、全身の骨が鳴るように激しく震える。


「――犬神の......!」


 意識の混濁したいくつもの声が重なり合って響く。


「――怨牙ッ!!」


 次の瞬間。

 闇を切り裂いて巨大な魔狼が地面を粉々に砕きながら、アズラエルめがけて一直線に飛びかかった。


「――ッ!」


 流石のアズラエルも、その圧倒的な呪いの質量を前に表情をわずかに引き締めた。全身の紫電が爆発的な勢いでスパークする。


 反射的に身体を横へ激しく弾けさせた。


 ガァンッ!


 と、魔狼の巨大な顎が、アズラエルのいた場所の地面をごっそりと噛み砕いた。

 荒野の大地が凄まじい轟音とともに抉られ、黒い呪いの余波が周囲を覆い尽くし、砂塵と瓦礫が天高く吹き飛ぶ。


 しばらくして――


 もうもうと立ち込める土煙の向こうから、アズラエルがゆっくりと姿を現した。左肩口の漆黒のコートが激しく裂けている。


 美しい頬には、一筋の赤い鮮血が流れていた。


 だが――


 その顔に、恐怖の色も、怒りの感情も一切なかった。ただ、心の底から嬉しそうに、彼は笑っていた。


「......危うく、避けきれなくなるところだった」


 アズラエルは、自分の頬についた鮮血を白い指先でそっと拭う。そして、その血のついた指先を目の前でじっと眺めながら――


「すごいなあ、本当に......!」


 視線を、再びカースへと戻した。カースは既にすべてのエネルギーを使い果たし、その場に糸の切れた人形のように崩れ落ち、ピクリとも動かなくなっていた。


「君って子は......」


 アズラエルは、たまらない愛おしさを覚えるかのように、心底楽しそうに声を漏らす。


「どこまでボクの予想を裏切るんだい」


 再び、か細い紫色の雷が、彼の美しい身体を纏い始める。


「呪術師くん」


 その声には、先ほどまでの冷ややかな興味とは違う、確かな執着の熱が籠もっていた。


「ボク、君という人間に――猛烈に興味が湧いちゃったよ」


 アズラエルは、昏倒するカースを見下ろし、陶酔したように笑う。


「――とてもね!」


 崩れ落ちたカースを見下ろしながら、アズラエルは、傍らで気を失いかけている三人にも、ちらりと視線を投げた。


「――さて、と」


 彼は、軽く肩を回すと、無造作にカースの体を、片腕で抱き上げた。


「このまま置いていくのも寝覚めが悪いし」


 言うが早いか、アズラエルの全身に、これまでとは比較にならない密度の紫電が奔った。


「迅雷の瞬身(じんらいのしゅんしん)」


 その言葉と共に、彼の姿が文字通り雷そのものと化して掻き消えた。

 次に、ウォルターたちが景色の変化に気づいた時には、荒れ果てた荒野の岩肌はどこにもなく、代わりに、グルントハルト領の外れ、フェルゼンクローネの岩塔群から少し離れた谷間特有の、ひっそりとした裏路地の気配が辺りを包んでいた。ほんの瞬き一つの間に、半日はかかる距離を、一足飛びに踏破していたのだった。


「――さあ、着いたよ」


 アズラエルは、軽やかにそう告げると、朦朧とする三人を促すように、古びた館の扉へと歩き出した。


(第17話「毒を喰らわば」へ続く)


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