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カース・オブ・エレニア ~蘇りし呪術師の成り上がり復讐劇~  作者: さかさき まる
第三章 土に埋もれた忠誠

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第15話-2「裂けた加護」(第3章完結)


 同じ頃――王都の深く閉ざされた一室。


 王宮の厳かな玉座の間には、北部から早馬で届けられたばかりの、生々しい報告書の束が整然と並べられていた。


「――報告いたします。グルントハルト家当主ゴリアテ・フォン・グルントハルトの身柄を無事に拘束。北部の領地、および一切の財産につきましては、王家直属軍による接収をただちに開始しております」


 淡々と報告を読み上げる文官の声が、高い天井を持つ広い謁見の間に冷たく響き渡る。

 玉座に深く腰掛けた国王アーサーは、目を閉じたまま黙ってその報告を受け止めていた。その閉じた瞼の奥で何を思っているのか、傍らに控える誰にも窺い知ることはできなかった。


「……そうか」


 発せられたのは、たったそれだけの短い言葉だった。


 その玉座の、すぐ傍らに控えていた第一王子エリオットは。微かに眉をひそめ王である父の横顔をじっと見つめた。


「父上」

「なんだ」


「グルントハルト家の、今回の処分について少しお話ししておきたいことがございます」


 アーサーは、ゆっくりとその重たいまぶたを開け、息子へと冷徹な視線を向けた。


「申してみよ」


「グルントハルト家を、国家の不祥事として処分すること自体には、私も異論はございません」


 周囲に控えていた側近や貴族たちが、わずかにざわめきを見せる。エリオットは、公の場に相応しい抑えた声音を保ったまま、言葉を続けた。


「ですが、……あまりにも、処断の速度が早すぎます」


「何故そう思う?」


「北部の防衛の要である軍事力を一つ完全に潰すのであれば、その後に起こる統治の空白まで見据える必要がございます」


 エリオットは、机上に置かれた報告書へと険しい視線を落とした。


「グルントハルト家が北部で保有していた、広大な領地と騎士団を一体誰に引き継がせるのか。既存の残された家臣や、周囲に目を光らせる周辺貴族たちがどう動くのか。そこまでの道筋を決めずに、当主だけを処断すれば北部に致命的な空白が生まれます」


 その脳裏には、これから処罰を受けるであろうガイアの姿が一瞬過った。アルベルトの葬儀の後、王宮の回廊で一度だけ言葉を交わしたことのある相手だった。ゼフィロスとの諍いの間に割って入った、あの日。


 多くは語らぬ、実直な男だという印象だけが記憶に残っていた。


 その者もまた、この決定によって命そのものをあっけなく奪われていくのだろう。そのことへの、名状しがたい重苦しさを感じながらも、エリオットはその感情をあえて言葉には乗せなかった。今ここで求められているのは感傷ではなく、この国の統治者としての現実的な視座だった。


「続けよ」

「その空白を埋めるために、王都から新たに兵力を派遣すれば、王家の財政と兵への負担は跳ね上がります。逆に、現地の有力貴族へ統治権をそのまま委ねれば、今度は別の家門が過剰な力を持ちすぎる危険性がございます」


 エリオットは玉座に座る父を、真っ直ぐに見据えた。


「国を統治する者として、罪を裁くことと、自ら新たな火種を増やすことは、決して同じ意味ではございません」


しばしの間、謁見の間を重苦しい沈黙が支配した。


 やがて国王アーサーはその引き締まった口元を、ほんのわずかに緩めた。だがその笑みは目元までは決して届かなかった。


「なるほど」


「……」

「お前はなかなかに先のことまでよく考えている」

エリオットの険しかった表情が、父の意外な肯定によってわずかに和らいだ。


「ありがとうございます、父上」


 だがその安堵は、次の瞬間かき消されることになる。


「では、エリオット」

「はい」


「仮に、グルントハルト家を完全には潰さず残した場合、お前なら王国のどこを削ってその帳尻を合わせる」


「……え」


 意表を突かれたエリオットに、アーサーは机上の報告書を指先で軽く叩きながら淡々と告げる。


「北部の軍をそのまま温存する。で、あれば当然、その維持費や統治の負担はどこか別の場所にそのまま移ることになる」


「……」

「それはこの王都の民から搾り取るのか」


「……」

「それとも南部の潤った交易都市からか」


 アーサーの声は少しも荒げられることなく、むしろ穏やかですらあった。だがその静けさこそが、聞く者の背筋をじわりと冷やしていく。


「それとも――さらに過酷に飢えた民からか」


 玉座の間が、先ほどとは違う、凍りつくような静寂に包まれた。


 エリオットは息を呑み、目の前に座る父を見つめた。


 何かが根本的に狂っている。そんな感覚に襲われた。

 自分は今、現実的な政治の統治について話しているはずだった。軍事力の再編。領地の管理。貴族間の勢力の均衡。そういう具体的な国家経営の話をしていたはずなのだ。


 なのに父は、そのすべての複雑な現実をまるで一枚の巨大なボードの上で数字を一つ動かすかのような、冷徹なゲームの駒のように扱っている。その口調に迷いも痛みも一切滲んでいなかった。まるでこの国に生きる無数の民の命が、最初から彼にとって意味を持つ数字でしかないかのように。


「……それは」


 エリオットは、喉の奥から慎重に言葉を探し出した。


「そんな簡単に、どれか一つを選べるような問題ではございません」


「そうだな」


 アーサーは、驚くほどあっさりとそれを肯定した。


「だからこそ、今お前の口で無理に答える必要はない」

「……」


「まだ、その時ではないということだ」


 その意味深な言葉が、妙にエリオットの耳の奥に残り続ける。

 エリオットは父の表情を必死に観察した。驚くほど穏やかだった。怒っているわけでもなければ、自分の未熟さを嘲笑っているわけでもない。むしろ父は、今の息子の考え方を一定以上、評価しているようにさえ見える。


 それなのに、なぜこれほどまでに冷え冷えとした恐怖を覚えるのか。


「エリオット」

「はい」


「もし本当に、すべてをお前に預けたなら――お前なら誰の首を切る」


 エリオットの表情が、完全に凍りついた。

 アーサーは優しげにさえ見える笑みを浮かべていた。その笑みには、怒りも嘲りも、慈悲すらなかった。ただ純粋に息子の口から出る「次の一手」の答えを、静かに待っているだけだった。その底の見えない眼差しは、まるで我が子の内側にある器そのものを値踏みしているかのようだった。


「……僕、は……」


 思わず零れた一人称に、エリオットは自ら僅かに息を呑んだ。父と、この王宮の玉座の間という公の場で相対する時には、決して使わないはずの言葉だった。それほどまでに、今自分が動揺しているのだとその一言が雄弁に物語っていた。


 彼は静かに言い直した。


「……私は」


 長い沈黙の後、エリオットは苦悶するように静かに首を横に振った。


「今はまだお答えできません」

「そうか」


 アーサーはそれ以上、息子を追及しようとはしなかった。


「ならば、お前はまだ、真の王にはなれんな」


 その言葉に、エリオットは僅かに目を見開き息を呑んだ。


「……父上」

「だがな」


 アーサーは、穏やかな声音のまま言葉を紡ぐ。


「いつかお前は、良い王になるかもしれん」


 その誉め言葉とも、呪いともつかない言葉に、エリオットはもはや何も返すことができなかった。ただ目の前に座る、父の底の見えない瞳を見つめたままゆっくりと深く一礼する。


「……失礼いたします」


 エリオットは背筋を真っ直ぐに伸ばし、重い足取りで玉座の間を後にした。




 バタンと、背後で大きな扉が重く閉ざされる。


 静寂の戻った謁見の間で、しばらくしてから、傍らにピタリと控えていた側近が恐る恐る口を開いた。


「陛下」

「なんだ」


「……殿下のことを、お疑いになられているのですか」


 アーサーは、すぐには答えなかった。ただ、目の前で閉ざされたままの、重い扉を静かに見つめている。


「疑っているわけではない」


やがて静かな呟きが零れた。


「ただ測っているだけだ」

「……」


「エリオットは私が思っていた以上に優秀だ」


 側近は黙って国王の次の言葉を息を殺して待った。


「貴族たちの思惑も、軍の論理も、民の生活の痛みさえも、すべて考慮しようとする」


 アーサーは、玉座の背もたれにゆっくりと身体を預けた。


「しかも人望が厚く、周囲の者に自然と好かれる」


 その口元に、ほんの微かな皮肉ともとれる笑みが浮かぶ。それは、我が子への誇りとは明らかに異質な色をしていた。


「……一国の君主としては実に結構なことだ、まったく」


「では――」

「まだ早い」


 側近の問いかけを、アーサーは冷たく遮った。


「何をするにもまだ早い」

「……はい」


「まずはじっくりと見てみよう」


 アーサーは、閉ざされた扉からゆっくりと視線を外した。


「あいつがこれから、どこまで周囲に人を集められるのか……どこまで、この国のかたちを変えようとするのか」


 その声は、空気のように静かで、底知れなかった。


「そして――」


 その最後の呟きだけは、傍らに控える側近の耳にもほとんど聞き取れないほど、小さく闇の中に消えていった。



「どこまで私の邪魔になるのか」


 広大な玉座の間に、冷たい空気だけを残し、再び完全な静寂が戻っていった。


(第16話「紫電、来たる」へ続く)

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