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カース・オブ・エレニア ~蘇りし呪術師の成り上がり復讐劇~  作者: さかさき まる
第三章 土に埋もれた忠誠

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第14話「金剛の岩壁」

【注意】

本作品はダークファンタジー・復讐劇です。

物語の性質上、流血・殺傷・暴力・虐待・拷問・人体実験・死亡・差別・残酷な描写などが含まれます。

また、子どもや動物が被害に遭う描写、主人公による復讐・報復描写があります。

作中の非道な行為や思想はフィクション上の表現であり、現実における行為や価値観を肯定・推奨するものではありません。

苦手な方は閲覧にご注意ください。


 夜半、月明かりだけを頼りに四人はグルントハルト家の居城――断崖に張り付くように築かれた要塞の裏門へ静かに近づいていった。

 シークが数日かけて見極めた通り、東の裏門には僅か二人の見張りしか配置されていなかった。かつての厳戒態勢が嘘のような、拍子抜けするほどの手薄さだった。


「行こう」


 カースが短く合図すると、シークの姿が闇に溶けるようにして消えた。

 次の瞬間、詰所の内側からくぐもった呻き声が一度だけ響き、そのまま静寂が戻った。シークが音もなく戻ってくる。


「片付けた。中は空だ」

「相変わらず仕事が早いな」


 ウォルターが剣を軽く担ぎながら裏門をくぐった。

 城の内部は外観に違わず無骨な石造りの通路が迷路のように入り組んでいた。断崖を削って築かれたその構造ゆえか、天井のあちこちから染み出した水が絶え間なく滴り落ちていた。


 ぽたりと落ちた雫が静寂の中でやけに大きく反響する。


 四人が足を踏み出すたび、石畳を打つ足音までもが狭い通路に幾重にも重なるように響いた。それはまるでこの巨大な建造物そのものが侵入者の存在を絶えず囁き伝えているかのようだった。


「足音抑えろ」


 シークが低く囁いた。


「この石造りはやけに音が響く。少しの油断が命取りになる」


 四人はそれぞれ呼吸すら殺すようにして慎重に歩みを進めていった。だがシークが繰り返し偵察した情報のおかげで、迷うことなく最短のルートを辿っていくことができた。


「静かすぎる」


 ガルトが周囲を警戒しながら小声で呟いた。


「軍の大半が出払った分、城の中も随分と閑散として――」


 その言葉が終わるより早く、前方の広間からけたたましい警鐘が鳴り響いた。


「侵入者だ! 迎撃しろ!」


 城内に残っていた留守居役の私兵たちが次々と広間へとなだれ込んでくる。その数は優に二百を下らなかった。数千の主力こそ国境に去ったものの、居城そのものを空にするわけにもいかず、それなりの兵力が、なおこの場所に留め置かれていたのだった。


「囲まれたか」


 ウォルターが剣を構えながら舌打ちした。


「さすがにこの数を相手に四人で真正面から渡り合うのは分が悪いぜ」


「なら」


 カースは静かに右腕の呪鎖を掲げた。


「数には数で応じる」


 その言葉と共にカースはこれまでの戦いで倒れ伏していた敵兵の亡骸――先ほど無力化されたばかりの見張りたちの体へ黒い糸を幾筋も伸ばした。


「屍傀儡の糸(しくぐつのいと)」


 糸が絡みついた亡骸がぎこちなく、しかし確かな意思を持ったかのようにむくりと起き上がった。虚ろな目をしたまま、それでも剣を握る手だけは生前と変わらぬ確かさを取り戻していく。


「――なっ、なんだあれは……!」


 押し寄せていた兵士たちの間に動揺が走った。


 自分たちの仲間だったはずの亡骸が糸に操られるまま次々と生きている兵士たちへと斬りかかっていく。その光景はあまりにも悍ましく、そして悪夢のように現実離れしていた。


 カースは操り人形の糸を握る指先にさらに力を込めた。


「もっとだ」


 新たに斬り伏せられた兵士の亡骸にも次々と糸が絡みつき、傀儡の数は瞬く間に十、二十と膨れ上がっていく。まるで死者の軍勢そのものが、生ける者たちの戦列を内側から食い破っていくかのようだった。


「化け物め……!」


 兵士の一人が恐怖に顔を歪めながら後退った。だがその足取りは、四方から迫る傀儡たちによって既に塞がれていた。

 

 ウォルターは押し寄せる兵士の群れへ、大剣を大きく横薙ぎに振るった。刃が空気を裂く重い音と共に二人の兵士がまとめて弾き飛ばされる。


 その足元――シークがあらかじめ、床の際どい高さに張り巡らせていた細く鋭い鋼糸。逃げ惑う別の兵士がそれに気づかぬまま踏み込み、鋭い痛みに絶叫を上げた。


「があああっ! あ、足が……!」


 足首の腱を断たれ兵士がその場に崩れ落ちる。


 シークはその隙を見逃さなかった。腰の投擲針が無駄のない一投で放たれる。針は正確に崩れ落ちた兵士の首筋へと突き刺さった。


 兵士の体がびくりと痙攣し、そのまま力なく地に伏せる。


 その絶命した瞬間だった。


 カースの黒い糸が間髪入れずに、まだ温もりの残るその体へと絡みついていく。虚ろに見開かれたままの目、力を失っていたはずの手足が糸に引かれるままかくんと不自然な角度で持ち上がった。


 命を失ったその直後に、別の意思によって体だけが再び動き出す――その光景は何度目にしても、この世のものとは思えないほどの異様さを孕んでいた。


「――ぐ、あ……」


 周囲の兵士たちの間に言葉にならない戦慄が走った。仲間が目の前で殺され、そして間を置かずに敵として蘇る。その悪夢のような連鎖こそ、が何よりも彼らの戦意を根底から打ち砕いていく。


 だが追い詰められた守備隊の中にも精霊術の心得を持つ者が幾人か紛れていた。


「大地よ崩れよ!」


 一人の兵士が床に手をつき叫んだ。


 次の瞬間、四人の足元の石床が轟音と共に大きく陥没した。長年断崖の岩盤を削り出して築かれたこの城の床は、精霊術による衝撃に対しては思いのほか脆かった。


「――ッ、まずい!」


 ガルトが崩れ落ちる床の感触に体勢を崩した。

その傍らでシークは既に崩落が始まる寸前に、軽やかに宙へと跳んでいた。落ちていく床を蹴り、安全な場所へと着地する無駄のない身のこなしだった。


「ガルト、ウォルター!」


 カースが咄嗟に右腕の呪鎖を二人へと向けて放った。鎖はそれぞれの体に絡みつき、崩れ落ちる寸前で二人の体を宙に引き留める。


「た、助かった……!」


 ガルトが額に浮いた冷や汗を拭いながら、安堵の息を吐いた。鎖に引き寄せられ、崩落を免れた足場にどうにか降り立つ。


「悪いな坊主、世話になった」


 ウォルターも鎖から手を離しながら、苦笑いを浮かべた。

 崩れた床の下からは、暗い空洞が覗いていた。あと僅かでも反応が遅れていれば、二人はそのまま深い闇の底へと落下していたに違いなかった。


「もうその手は通用しないよ」


 カースは術を使った兵士へと鋭い視線を向けた。

 傀儡たちは痛みも恐怖も知らぬまま、ただ主の意思のままに剣を振るい続けた。生者と死者が入り乱れる戦場は瞬く間に凄惨な色に染まっていく。


「えげつねえことしやがる」


 ウォルターが傀儡の合間を縫うようにして剣を振るいながら、感嘆とも呆れともつかない声を漏らした。


「だが正直助かる。この数を俺たち四人だけで相手取るのは、勘弁願いたかったところだ」

「戦力の逆転ってやつだな」


 ガルトも小刀を振るいながら口の端を上げた。


 シークもまた混乱に乗じて敵兵の隙を的確に突いていく。傀儡たちが敵の意識を引きつけている隙に、本命の攻撃を叩き込む――カースの糸と生身の三人の連携が、次第に噛み合い始めていた。


 押し寄せていた二百の兵士は傀儡と化した仲間たちの猛攻と、四人の的確な攻撃の前に次第にその数を減らしていった。指揮系統を欠いたまま招集された寄せ集めの守備隊に、この悪夢のような戦況を覆すだけの統率力は残っていなかった。

 やがて広間に立っている生者は、カースたち四人だけになっていた。周囲には力を失い、糸の切れた人形のように静かに横たわる亡骸たちの山が、幾重にも積み重なっていた。


「終わったね」


カースは荒い息を吐きながら右腕を下ろした。二の腕の傷からは、これまでにない量の血が滴り落ち続けていた。


「大した力だな、坊主」


 ガルトが感嘆したように辺りを見渡した。


「だが、まだ本命が残ってる」


「わかってるよ」


 カースは崩れ落ちそうになる体を辛うじて支えながら、前方――城の最奥へと続く道を見揃えた。

 巡回する兵の姿も、もはやどこにも見当たらなかった。四人は迷うことなく最短のルートを進んでいった。

 城の最奥、当主の間へと続く階段の前で四人はついにその人物と対面した。


「待っていたぞ」


 重厚な鎧を纏った巨躯の若者――ガイア・フォン・グルントハルトが階段の上、玉座にも似た椅子の傍らに立っていた。その左右には五名ずつ、屈強な精霊術師たちが整然と並んでいる。当主不在の城において、最後まで残された跡取り直属の親衛隊だった。


「随分と好き勝手に我が家の庭を荒らし回ってくれたものだな」


 ガイアが静かに、しかし威圧するように告げた。


「だが、ここから先はそう容易くはないぞ」


 彼が右手を軽く上げると左右に並んだ親衛隊が一斉に地面へと手をついた。


「土塊よ、我らが盾となれ」


 地鳴りと共に広間の床から、幾つもの巨大な土塊の人型――ゴーレムが隆起するように現れた。その数、十体。無機質な岩の巨体が、四人の行く手を完全に塞いだ。


「やってくれるじゃねえか」


 ウォルターが剣を構えながら口の端を上げた。


「だったら遠慮なく先陣を切らせてもらうぜ」


 彼は真っ先に地を蹴ると、最も近いゴーレムへと大剣を叩きつけた。岩の巨体に亀裂が走り、砕けた破片が勢いよく飛び散る。


「こいつは使える」


 ウォルターは砕けた岩の粉塵を両手で掬い上げると、迫り来る親衛隊の一人へと勢いよく浴びせかけた。


「――ぐわっ! 目が……!」


 視界を奪われ怯んだ相手の懐へウォルターは間髪入れずに突っ込み斬りかかった。


「まだまだいくぞ!」


 ガルトも小刀を振るい、シークも影のように敵陣を駆け抜けていく。土のゴーレムと親衛隊の入り乱れる戦場は、瞬く間に混沌とした様相を呈していった。

 その只中、シークが一人の親衛隊員の首筋――防具の隙間、急所の一点を正確に見極めていた。投げ放たれた針が狙い違わず突き刺さる。


 その兵士が糸が切れたように崩れ落ちる、まさにその瞬間。


「――もらう」


 カースの黒い糸が間髪入れずにその体へと絡みついた。

 糸に操られた亡骸は剣を振り上げると、隣で応戦していた別の親衛隊員へと無慈悲に斬りかかった。不意を突かれたその兵士は、深い傷を負い大きくよろめく。


「そこだ!」


 その隙をガルトの小刀が見逃さなかった。よろめいた兵士の喉元へ鋭く小刀が突き立てられる。


 こうして味方であったはずの死者が生きた仲間を屠り、その隙をさらに別の仲間が仕留めていく――地獄のような連鎖が戦場を支配していった。


「情けない」


 ガイアが傀儡と化した部下の一人を冷ややかに見下ろしながら吐き捨てた。


「呪いなどに操られ無様に同胞を手にかけるとは」


 彼は動くことをやめない傀儡の首を片手で無造作に掴み上げると、そのまま容赦なく握り潰した。骨の砕ける鈍い音が響く。


「私の目の前で二度とその醜態を晒すな」


 その冷酷さにウォルターたちですら一瞬動きを止めた。


 だがその隙に、周囲の親衛隊とゴーレムとの戦いは、なおも激しさを増していった。ウォルターとガルト、そしてシークがそれぞれの敵を引き受けるようにして乱戦の中へと散っていく。


 その戦場の中心――ただ一人カースだけがガイアの前に立ち続けていた。


「お前が噂の呪術師か」


 ガイアが周囲の喧騒を意に介さず、静かにカースを見揃えた。


「見せてもらおう。父の首を狙い損ねた、その間抜けな力とやらを」

「――お前が僕の話し相手だ」


 カースが静かに右腕を掲げた。


「グルントハルトの跡取り。お前たち一族は、あの日、僕の大切な仲間を何人も手にかけた」

「見せしめの一件か」


 ガイアは眉一つ動かさずに答えた。


「父の判断だ。だが私が父の跡を継ぐ以上、その責も私が負おう」


「ちょうどいい」


 カースの目に昏い光が宿った。


「父親を討ち損ねた分、お前で埋め合わせてもらう」


「はっ、威勢だけは大したものだな」


 ガイアはそう言うと静かに拳を握りしめた。


「金剛の岩壁(グランド・ウォール)」


 その言葉と共にガイアの全身が鈍い光を纏いながら、みるみる変色していった。肌がまるで鋼の鎧そのものへと変質するかのように、灰色の光沢を帯びていく。


「これが絶対防御の異名を持つ我が加護だ。この身に刃も炎も通らぬ」

「試してみるまでだ」


 カースが地を蹴り呪鎖を振るった。だが鋼と化したガイアの肉体に叩きつけられた鎖は、甲高い金属音を立てて弾かれるだけだった。


「無駄だ」


 ガイアの拳が唸りを上げて振り下ろされる。カースは辛うじて飛び退いたが、その拳が叩きつけられた床は、蜘蛛の巣状に亀裂が走り粉々に砕け散った。


「――ッ!」


 ウォルターが加勢するように斬りかかったが、その剣もまた硬化した皮膚に傷一つ残せなかった。


「剣も呪術もこの身には届かん。無駄な足掻きだ」


 ガイアの声には揺るぎない確信があった。


シークが投擲針を次々と放つが、それすらも硬化した皮膚の表面で乾いた音を立てて弾かれるだけだった。


「厄介だなこいつは」


 ウォルターが距離を取りながら忌々しげに舌打ちした。だがその目は既に戦況を冷静に見つめていた。

幾度かの攻防を重ねるうちにウォルターはあることに気づいた。


「待て」


 彼は剣を構え直しながら静かに呟いた。

「あの硬化、四六時中纏ってるわけじゃねえ」


「どういうこと?」


 カースが荒い息の下から尋ねた。


「よく見てみろ。攻撃を放つ瞬間――拳を振りかぶるあの一瞬だけ、体の一部の硬化が僅かに緩む。おそらく、力を拳に集中させるための代償みたいなもんだ」


 ウォルターの観察眼は確かだった。ガイアが大振りの一撃を放つ直前、確かにその肩口の輝きが一瞬だけ鈍く陰っていた。


「そこを突く」


「言うのは容易いが、そのタイミングを見切るのは至難の業だぞ」


「なら俺が隙を作る」


 ウォルターはそう言うと、あえて大振りに剣を振りかぶりガイアの注意を引きつけた。


「――甘い!」


 ガイアがその隙を狙うように、拳を大きく振りかぶる。


 その一瞬。


「――今だ!」


 ウォルターの叫びと同時に、シークが地を還うようにしてガイアの懐へと潜り込んだ。


 僅かに輝きの陰った肩口へシークの投擲針が正確に突き刺さる。


「――ッ!?」


 ガイアが初めて苦悶の声を漏らした。完全な防御ではなかった証だった。


「今のうちに――」


 カースがその隙を逃さず、呪鎖を振るった。狙うは同じく僅かに硬化の緩んだその一点。


「蠱毒の刻印(こどくのこくいん)」


 黒い靄が、ガイアの肩口の傷口から体内へと潜り込んでいく。


「ぐ、ああああああっ!!」


 体内から血が沸騰したように皮膚をボコボコと押し上げる。ガイアの絶叫が石造りの広間に反響した。


 だが――それでもガイアは倒れなかった。


「くっ――。なるほど。攻撃の瞬間を狙ってきたか」


 ガイアは片膝をつきながらも、すぐに意識を切り替えていた。荒い息の下から冷静に状況を分析する目を失っていなかった。


「ならば」


 ガイアはゆっくりと立ち上がると、これまでとは異なる構えを取った。拳を大きく振りかぶることをやめ、代わりに体を捻るようにして小刻みな連撃へと戦法を切り替えていく。


「小さく速く。これならば隙は生まれん」


 その変化にウォルターが舌打ちした。


「くそ、学習が早いな、この野郎」


 小刻みな拳撃が、四方八方から絶え間なく繰り出される。硬化の緩む瞬間はあるはずだったが、その間隔はあまりにも短く、先ほどのように狙いを定める余裕はもはやなかった。


「――ぐっ!」


 カースの脇腹に一撃が浅く掠める。避けきれなかった拳の余波だけで、体が大きく吹き飛ばされた。


「カース!」


 シークが咄嗟に駆け寄ろうとしたが、その進路にもガイアの拳が容赦なく迫る。


「退け、シーク!」


 ウォルターが大剣を横に薙ぎ、辛うじてその一撃を受け止めた。だが刃を通して伝わる衝撃に彼の腕は痺れるように震えていた。


「くっ……! 硬化してなくても、馬鹿力には変わりねえのか、この野郎……!」


 ガイアの一族は精霊術の加護に頼らずとも、生来の膂力そのものが常軌を逸していた。硬化を解いた状態であっても、その一撃は並の兵士なら一撃で骨を砕くだけの威力を秘めていた。


「私は、この一族の名を、背負っている」


 ガイアの声には揺るぎない誇りが滲んでいた。


「父が道を誤ろうとも――私だけは、この家門を簡単に明け渡すわけにはいかん」


 その言葉と共に、ガイアは再び全身に硬化を纏わせた。

 四人は傷だらけの体で、なおもその巨躯へと立ち向かい続けた。シークの針は、既に幾度となく打ち込まれていたが、それでもガイアの闘志は尽きる気配を見せなかった。


「化け物じみた粘りだな、まったく」


 ウォルターが荒い息を吐きながら忌々しげに呟いた。


「あと少しで崩せる……はずなんだが」


 カースは荒い息を吐きながら、懐に提げたネロの呪核へとそっと手を添えた。


「ネロ。力を貸してくれ」


 その呼びかけに応じるように、黒い犬の首を象った呪核から闇そのものが染み出すように影が伸び上がっていく。影は瞬く間に膨れ上がり巨大な黒い狼の姿を象っていった。


「犬神の怨牙(いぬがみのえんが)」


 幻の狼は低く唸ると、地を蹴りガイアへと真っ直ぐに飛びかかった。


「――ッ、これが」


 ガイアは僅かに目を見張ったが、怯むことはなかった。


 迫る狼の顎を、彼は硬化した腕で正面から受け止めると、そのまま力任せに大きく振り払った。


「まだこの程度か!」


 弾き飛ばされた狼の幻影は宙で霧散し、再びネロの呪核へと吸い込まれるように消えていった。


「――くっ……!」


 カースはその反動に片膝をついた。まだ決定打には至らない。だがその一撃を放ったことで、ガイアの纏う硬化の輝きが、これまでよりも、僅かに鈍くなっていることに――カースだけが気づいていた。

 カースもまた脇腹の痛みに顔をしかめながら、それでも呪鎖を握る手を緩めない。

 蠱毒の毒は確実にガイアの体を内側から蝕み続けている。だが、その進行を彼の並外れた体力と気力が、辛うじて押し留めていた。


 四人と一人の消耗戦は、まだ終わりが見えなかった。


 そして、その均衡を決定的に崩すことになる、もう一つの力が――カースの懐で静かにその時を待っていた。


(第15話-1「裂けた加護」へ続く)

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