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カース・オブ・エレニア ~蘇りし呪術師の成り上がり復讐劇~  作者: さかさき まる
第三章 土に埋もれた忠誠

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第13話「岩山の裁定」



 グルントハルト家の居城は、断崖のそり立つ岩肌に直接刻み込まれるようにして築かれた、あまりにも巨大で不骨な要塞だった。


 灰色の無骨な石壁が幾重にも強固に積み重なり、貴族の館らしい華やかな装飾などは、どこを探しても一切見当たらない。「絶対に何者にも崩されない」という一族の質実剛健な気風そのものを、そのまま岩山として体現したかのような不気味な佇まいだった。


 谷底から吹き上げる寒風が、固い石壁の隙間を抜けてヒューヒューと不吉な音を立てている。


 その厳粛な謁見の間では、当主ゴリアテが、届いたばかりの一通の書状を前に、青筋を立てた大きな握り拳をワナワナと震わせていた。


「これは、本当に、エアハルト家の紋章か」


「はい。間違いございません。うちの間者が、シルヴァンの使者から、直接、力ずくで押収したものです」


 冷たい石畳の上に恭しく跪いた家臣が、緊張で額に冷や汗を浮かべた面持ちで答えた。


 その上質な紙に記された書状には、シルヴァンの流麗な筆跡を巧みに模した嫌みのある文字で、こう記されていた。


『グルントハルト家の禁忌の力とやら、いずれ王家に密告し、あの成金田舎貴族どもを、根こそぎ叩き潰してくれよう』


「許さん」


 ゴリアテの太い声が、これまでにない殺気立った猛烈な怒気を帯びて大気を震わせた。


 その日のうちに、重厚な居城の広間には、跡取りである巨漢ガイアをはじめとする主だった重臣たちが、緊急で招集された。燭台の火がゆらゆらと揺れ、男たちの厳めしい陰影を壁に映し出している。


「エアハルト家め、随分と舐めた真似をしてくれる」


 ガイアが、その見上げるような巨躯に見合った低い地鳴りのような声で、卓上の書状を睨みつけながら吐き捨てた。


「奴らの陰湿さは、今に始まったことではありません、父上。数年前、我が家の鉱山利権を巡る交渉でも、裏で価格を不当に吊り上げるよう、他家に汚い手を回していたと聞きます」


「それだけではない」


 白髪の交じる年老いた家臣の一人が、憤懣やるかたない様子で胸を強く叩いて口を挟んだ。


「先の大飢饉の折には、あの一族、余剰の食料を、我が領地に足元を見て高値で売りつけようとしたのです。民が飢えて死にかけているというのに、あの薄ら笑いを浮かべながらの卑劣な取引でしたよ」


「戦を仕掛けるでもなく、ただ、裏から、じわじわと他家の首を絞める。それが、あの一族のやり口だ」


 ゴリアテが、髭を蓄えた口元から低く唸るように言った。


「力で正面から立ち向かう我が家とは、根本から性質が違う。あの二枚舌どもは、正々堂々とした戦いというものを知らん。だからこそ、余計にたちが悪い」


 その場に集った無骨な家臣たちの間に、静かな、しかし確かな義憤がみるみる広がっていった。長年、水面下で鬱積し積み重ねられてきたエアハルト家への強い不信と憎悪が、この一通の不吉な密書によって、堰を切ったように一気に噴き出したのだった。


「陰で我が家を陥れようとする卑劣者に、いつまでも大人しく付き合ってやる義理はない」


 ゴリアテは、重い腰を上げて立ち上がると、地の底から地鳴りのように響く迫力ある声で命じた。


「私兵団の主力を、エアハルト領との国境へ直ちに集結させよ。奴らがコソコソと動く前に、こちらから先手を打つ。あの二枚舌の一族に、力による真の秩序というものを、思い知らせてやる」


「――御意!」


 その日を境に、静もり返っていたグルントハルト領は、殺伐とした慌ただしい戦支度の様相を呈し始めた。




 断崖の合間に荒々しく切り開かれた広い練兵場には、招集された私兵団の兵士たちが、靴音を響かせて続々と集結していった。その数、実に数千。黒ずんだ重厚な鎧を纏った歩兵の隊列が、幾重にも不気味に連なり、削れた荒野を隙間なく埋め尽くしていく。


練兵場の一角では、精霊術の荒々しい鍛錬に励む一団の姿もあった。土を司る一族の強力な加護を受けた猛者たちが、ゴツゴツとした地面に力強く手をつき、低い呪文を唱えると、周囲の荒々しい岩肌が、まるで命を得て意思を持ったかのようにドゴゴと盛り上がり、巨大な土塊の堅牢な壁を作り出す。


 また別の一角では、強靭な兵士たちが拳を力任せに地面にたたきつけ、放出された強烈な衝撃波が、大きな岩を粉々に打ち砕いていた。土の一族の武力の本領が、見せつけるようにこれでもかと剥き出しにされていた。


「これが、七大貴族の本気、か」


 少し離れた切り立った岩陰の暗がりから、その圧倒的な光景をじっと見つめていたシークが、感情の薄い声で淡々と呟いた。

 彼は、この数日、夜ごと、冷たい暗闇に同化するように紛れて城の周辺の地形や人員を警戒して探り続けていた。かつて暗殺者として仕込まれた冷酷な隠密の技が、今、まったく違う目的のために遺憾なく使われていた。


「今夜も、行くのか」


 カースが、風の音に紛れるように静かに尋ねた。


「ああ。今夜で、大体の警備の交代周期は、確実に把握できるはずだ」


 シークはそう短く言うと、夜になるのを待って、再び闇の中へとすうっと姿を消した。






 その頃、遥か南、王都グラン・ヴェルガリアの豪華絢爛な王宮では、静かな暗躍が着々と進められていた。

 煌びやかな謁見の間のはるか片隅、誰の目にも留まらない太い石柱の深い陰で、派手な道化の衣装を纏った男が二人――トールと、トーリス――が、顔を近づけて静かに言葉を交わしていた。


「さて、こちらの仕込みも、そろそろ仕上げに入ろうか」


 トーリスが懐からそっと取り出した怪しい書状を、器用な指先で弄びながら薄笑いを浮かべて言った。


「グルントハルト家が、王家の許可も得ず、独断で私兵団の主力を勝手に動かした、という報告は、もう陛下のお耳に確実に届いているはずだ」


「うん。あとは、これを添えるだけでいい」


 トールが、もう一枚の怪しい書状を、そっと滑り込ませるように差し出した。


「『ゴリアテ殿が、禁忌の力の実験に手を染めている証拠が見つかった』という、実にもっともらしい報告書だよ。もちろん、僕らの創作だけどね」


 二人は、目を細めて顔を見合わせ、くつくつと、腹の底で声を潜めて意地悪く笑い合った。


「軍を勝手に動かした咎に、禁忌の力の疑惑まで重なれば……」


「陛下は、必ず、ゴリアテ殿を呼びつける。それも、大至急、直々にね」


 トールとトーリスは、それぞれの怪しい書状を懐深く収めると、何事もなかったかのような軽やかな足取りで、その場を後にした。

 二人の姿が消えた荘厳な謁見の間には、これから引き起こされようとしているあまりにも大きな騒動の予兆など、誰も気づいた様子はなかった。






 夜が深く更けた頃、シークは、その日の果敢な偵察の成果を携えて、カースたちの潜む冷たい岩陰へと静かに戻ってきた。


「これが、今夜、確認できたことだ」


 シークは、月明かりを頼りに地面に拾った小枝で簡単な城の図を描きながら、静かに報告を始めた。


「警備兵の交代は、二刻ごと。東の裏門は、他の門に比べて、明らかに見張りの数が少ない。城内の巡回路にも、規則性がある。あと数日確かめれば、完全な穴を見つけられるはずだ」


「さすがだな」


 ウォルターが、感心したように深く頷き、シークの描いた図を身を乗り出して覗き込んだ。


「これだけの情報があれば、正面から無理に力押しする必要はねえ。的を絞れる」


「的を絞る、というと?」


 カースが、首をかしげて尋ねた。


「城全体を制圧しようなんて、端から無理な話だ」


 ウォルターは、地面に描かれた泥の図に、指先で幾つかの印をつけながら力強く続けた。


「俺たちの狙いは、ゴリアテだ。手薄な裏門から、最短距離で、当主の居場所まで一気に辿り着く。騒ぎが大きくなる前に、一瞬で決着をつける。それが、この圧倒的な戦力差を覆す、唯一の現実的な手だ」


 カースは、その合理的で鋭い言葉を、深く静かに噛み締めた。


 ゴリアテ・フォン・グルントハルト。あの子どもたちを、あたたかかったあの黒猫を、迷いなく踏みにじり手にかけさせた張本人。あの絶望の夜の惨惨たる光景が、今も、消えることなく、カースの脳裏に焼き付いて離れなかった。


「ゴリアテは、僕がやる」


 カースの声には、迷いや躊躇いの色は、微塵もなかった。拳が硬く握りしめられる。


「全軍を相手にするんじゃなく、一点を突く、ってことか」


「ああ。数の上では、絶望的な差がある。だが、狙いを絞れば、話は変わる。向こうが、俺たちの侵入経路にまで、完璧に目を光らせているわけじゃないからな」


 シークが、地面の図に、もう一本、細い線を静かに書き加えた。


「ここに、罠を仕掛けておく」


「罠?」


「城への裏門付近、細い通路がある。鋼糸を張っておけば、追手を足止めできる。逃走経路の確保にもなる」


「抜かりないな、お前」


 ウォルターが、ニヤリと口の端を上げた。


 四人が、それぞれの決死の役割を確認し合っていたその頃。


 北の吹きすさぶ荒野には、既に、巨大な出陣の準備が整いつつあった。


 夜明けの赤い太陽とともに、グルントハルト家の巨大な私兵団は、西のエアハルト領境へ向けて、ズシンズシンと進軍を開始した。

 切り立つ巨大な岩塔の間を、武張った鎧を纏った兵士たちの隊列が、黒い蟻の行列のように延々と連なって進んでいく。


 その数、数千。


 家紋の旗印を高く掲げた歩兵、重装の騎兵、そして、大量の荷駄を引く兵站部隊。それらが織りなす巨大な軍勢は、遠く離れた岩塔の頂からでも、はっきりと目視できるほどの恐ろしい規模だった。




 視点を、さらに遠く、空高く引いていけば――雄大で荒々しいフェルゼンクローネの岩塔群を背景に、地を這うように連なる黒い軍勢の姿は、まるで一枚の壮大な絵画のようにすら見えた。荒々しくも神々しい幾千年変わらぬ自然の造形と、人が蠢き作り出す浅ましい戦の営みとが、皮肉なほど美しい対比を織りなしていた。


 その大軍勢の先頭、ひときわ巨大で禍々しい影が、悠然と地を響かせて進んでいた。


 ゴリアテが誇らしげに騎乗しているのは、ただの馬ではなかった。岩のようにゴツゴツと分厚い甲殻を持つ、巨大な四足の巨獣――ベヒモスの血を引くとされる、グルントハルト家秘蔵の精霊獣だった。そのどっしりとした足取り一つで、周囲の大地がビリビリと微かに震動する。


「エアハルトの奴ら、吠え面をかかせてくれるわ」


 ゴリアテは、巨大な精霊獣の背にどっかと揺られながら、顔を歪めて獰猛な笑みを浮かべていた。長年の鬱憤を一気に晴らすかのような、隠しきれない凶暴な高揚感が、その厳めしい顔に滲み出ていた。


 軍勢が、いよいよ国境近くの荒地まで進んだ、その時だった。


「伝令! 王都より、火急の使者にございます!」


 後方から、激しい砂埃を巻き上げながら、一騎の早馬が死に物狂いで駆けてきた。息を激しく切らした伝令兵が、ゴリアテの前で、慌ただしく馬の手綱を引いて止める。


「なんだ、騒々しい」


 ゴリアテが、苛立ちを隠さず不機嫌そうに振り返った。


「へ、陛下より、直々の勅命にございます……!」


 伝令兵の震える手から、丁重に金色の封蝋がされた重厚な書状が、家臣の手を経て、ゴリアテへと渡された。

 その書状にざっと目を通した瞬間、ゴリアテの凶暴な表情が、みるみる凍りつき強張っていった。


「な……」


 書状には、威厳に満ちた文字でこう記されていた。


『貴殿が、王家の許可を得ぬまま、私兵団の主力を動かした一件、看過し難し。加えて、貴殿が禁忌の力に手を染めているとの重大な報告あり。ついては、これらの真偽を問い質すべく、貴殿自らの参内を命ずる。速やかに、王都へ出頭せよ』


「馬鹿な……! 一体、誰が、こんな……!」


 ゴリアテの分厚い手の中で、高級な書状が、メリメリと音を立てて握り潰されていく。

 まさか、自分がエアハルト家を力で正当に成敗しようとしている、まさにその最中に、王家からこのような降って湧いた謀反の疑いをかけられるとは、夢にも思っていなかった。


「――父上」


 傍らを並んで進んでいたガイアが、緊張に満ちた固い面持ちで、巨躯の父を見上げた。


「いかがなさいますか」


「くそっ……!」


 ゴリアテは、しばらくの間、歯を食いしばり、憤怒の表情で沈黙していた。

 絶対的な王命に逆らうことは、たとえ七大貴族の当主であろうと許されない。ましてや、既に一度、水面下で謀反の疑いをかけられている身では、なおのこと逆らうわけにはいかなかった。


「軍は、そのまま、この場に留め置く」


 ゴリアテは、歯の隙間から絞り出すように不気味な声で命じた。


「エアハルトとの睨み合いは、そのまま続けさせる。だが、私自身は、直ちに王都へ向かわねばならん」


「父上お一人で……?」


「仕方あるまい。この不当な誤解を、直接、陛下に説明し誤解を解いてくる。ガイア、お前は、城の留守を頼む」


「かしこまりました」


 ガイアは、拳を胸に当てて深く頭を垂れた。


 こうして、ゴリアテは僅かな精鋭の護衛だけを連れ、不満を募らせながら単身、王都へと急ぎ引き返していった。残された数千の大軍勢は、最高指揮官を欠いたまま、エアハルト領との国境付近で宙ぶらりんの重苦しい睨み合いを続けることとなったのだった。





 その一部始終の急展開を、遠く離れた高い岩陰から、シークが鋭い目で見届けていた。彼は影のように身を躍らせると、すぐさま、カースたちの元へと引き返した。


「ゴリアテが王都に召還された」


 シークの淡々とした衝撃の報告に、カースは、しばらくの間、信じられないように言葉を失っていた。


「どういうこと?」


「見た通りだ。軍の大半を置いて、当主本人だけが僅かな護衛と共に、王都へ引き返していった」


「なんで」


 カースは、爪が食い込むほど拳を強く強く握りしめた。


「僕らが、あいつを直接討つ計画を立てていた、まさにその時に……こんな形でいなくなるのか」


 カースの胸の奥から湧き上がるのは、決して安堵などではなく、行き場を失った激しい苛立ちだった。


 絶対にこの手で葬ると誓った復讐すべき宿敵が、自分の手の届かない遥か遠くの場所へ、勝手な都合で連れ去られていく。

 まるで、自分の内に秘めた激しい憎しみそのものが、貴族社会という巨大な仕組みに、軽くあしらわれ馬鹿にされたような屈辱的な感覚だった。


「僕の手で、決着をつけるはずだったのに」


 その絞り出すような呟きには、隠しきれない苦い痛みが滲んでいた。


「カース」


 ウォルターがカースの心情を察し、静かにその細い肩にぽんと手を置いた。


「気持ちはわかる。だが、今は、切り替えるしかねえ」


「わかってる」


 カースは短く重く答えると、溜まった息を深く深く吐き出した。


「ゴリアテがいなくなったなら――残ったガイアと、この不快な土地の全てを、僕らの手で、灰にする。それだけだ」


 その声には、まだ、消えきらない煮え滾る苛立ちが燻っていた。同時に、これもまた、自分が背負うべき過酷な復讐の一部なのだと、静かに自分自身に言い聞かせているようでもあった。


 こうして、断崖に削り出された堅牢な居城には――跡取りガイアと、最低限の留守居役の兵たちだけが、残されることになった。


 その夜シークは、最後の仕込みの偵察のために、再び冷たい闇の中へと静かに姿を消した。

 城の無骨な裏門付近、細く入り組んだ不気味な石造りの通路。

 その深い暗がりの中で、シークは持参した特殊な鋼糸を、音もなく慎重にしかし素早く手慣れた手つきで張り巡らせていく。月光すら弾く目にはほとんど見えぬほどの極細でありながら、ひとたび触れれば、肉を容易く削ぎ切る鋭利な刃と化す、死の蜘蛛の罠だった。


「これで、良し」


 シークは、暗闇の中に完璧に仕上がった罠を、小さく頷いて満足げに見やった。


 


(第14話「金剛の岩壁」へ続く)




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