第12話-1「北への道」
骨の街を発ってから、三日が過ぎていた。
四人は、旅の商人に扮していた。
カースとシークは、幼い顔立ちや尋常ならざる気配を隠すために、深くフードのついた無地の粗末な旅外套を纏う。ウォルターは、長年使い慣れた大剣を目立たぬよう麻布で厳重に包んで荷物に紛れさせながら、それでも研ぎ澄まされた隙のない身のこなしで、絶えず周囲の死角を警戒し続けていた。
ガルトは、使い込まれた渋い革の外套に、あちこち継ぎの当たった褪せたズボンという、いかにも場慣れした気さくな行商人らしい出で立ちだった。
ガルトが裏社会の深い伝手で手配した古い荷馬車に揺られながら、木製の車輪が擦れ合う固い音とともに、カースたちは、王都から北へと延々と続く街道を進んでいた。
王都を離れるにつれ、車窓からの風景は、少しずつ、しかし確実に、殺伐としたものへと様変わりしていった。堅牢な石畳の道は、やがて乾燥した土がむき出しの荒れた道へと変わり、緑豊かだった平野も、次第に、痩せた赤茶けた岩肌の目立つ荒涼とした荒野へと姿を変えていく。乾いた風が吹き抜けるたび、砂埃が舞い上がり、馬車の幌をカサカサと鳴らした。
「なあ、坊主。グルントハルト領がどんな場所か、大まかにでも頭に入れとけ」
荷馬車の激しい揺れに身を任せながら、ガルトが、手垢で汚れた羊皮紙の地図を広げて言った。
「あそこは、人口だけで見りゃ、数万を抱える大領地だ。だが、その大半は、当主のゴリアテが直接治めてるわけじゃねえ。傘下に、幾つもの中小貴族――男爵だ、准男爵だってのを従えていて、そいつらが、それぞれの村や町を治めてる」
「つまり、あちこちに、目を光らせてる連中がいるってこと?」
カースが、深く被ったフードの奥から、地図を覗き込みながら言った。
「そういうこった。正面から街道を進めば、どこかしらの領主の目に留まる。だが、幸い、この辺りの山岳地帯には、昔の商人や密輸業者が使ってた裏道が、幾つも残っててな。多少遠回りにはなるが、そっちを使えば、余計な詮索を避けられる」
「お前、そんな道まで知ってるのか」
ウォルターが、あきれたように、しかし感心したように言った。
「情報屋を舐めるなよ。飯の種は、足で稼いでこそだ」
荒野の只中、痩せた草地の急斜面に、一群のたくましい山羊が、ゴツゴツとした岩から岩へと軽やかに跳び移りながら、わずかに生えた硬い草を喰んでいるのが見えた。
人の手など一切入っていないような、苛烈で荒涼とした土地であっても、命は、しっかりと根を張っているらしい。カースは、荷馬車の荷台の隙間から、遠ざかるその光景を、しばらくの間、言葉もなく黙って見つめていた。
馬車がさらに奥へと進み、道の脇の覆い繁る不気味な茂みが不自然にガサガサと揺れた、その時だった。
「うおっ、なんだこりゃ!」
ウォルターが、思わずギョッとした声を上げて後ずさった。
茂みの暗がりからぬっと現れたのは、見たこともないほど巨大な、禍々しい漆黒の百足だった。数えきれないほどの赤黒い脚をワシャワシャと蠢かせながら、列をなすようにして、硬い地面を這い進んでいく。優に、大人の腕ほどの太さはあった。
「うげ……こういう手合いは、勘弁してほしいもんだな」
ウォルターが、心底気持ち悪そうに顔をしかめながら、腰の剣の柄に強く手をかけたまま、大きく距離を取った。
「ただの虫だろ」
シークが、無表情のまま、気にした様子もなく言った。
「ただの虫にしちゃ、デカすぎるんだよ! この辺りの土地は、一体どうなってやがるんだ」
「北の荒れ地には、こういう化け物じみた生き物が多いって話は、聞いたことがあるな」
ガルトが、喉を鳴らして笑いを堪えながら、馬車を先へと進めた。
その後も、見渡す限りの荒野は延々と続いた。西の空が橙色に染まり、日が傾き始めた頃、一行は、ようやく、目的の異形な岩塔地帯――「フェルゼンクローネ」と呼ばれる、グルントハルト家の中枢地帯へと差し掛かった。
平原の只中に、まるで神々の悪戯のように、切り立った巨大な岩の塔が、幾つも幾つも、不気味に天へと突き上げていた。
高さは、優に百メートルを超えるものもある。その削ぎ落とされたような頂には、いつの時代に、どうやって築いたのかもわからない、石造りの小さな砦や見張り台が、まるで岩と一体化するようにして頑丈に張り付いていた。
「なんだ、あれは」
ウォルターが、荷馬車の隙間から、圧倒されて呆然とその光景を見上げた。
「大地そのものが、人を寄せ付けまいとしてるみたいだ」
「グルントハルト家は、ああいう岩塔を、代々、砦や修練場として使ってきたらしい」
ガルトが、手元の地図を広げ直しながら説明した。
「切り立った崖に囲まれてるおかげで、攻め落とすには、まず、あの岩を登り切らなきゃならねえ。天然の要害ってわけだ」
ちょうどその時、西の空に沈みゆく強い夕陽が、無数の岩塔の頂を、燃えるような鮮やかな朱色に染め上げ始めた。
切り立った荒々しい岩肌の一つ一つに、深い陰影が刻まれ、まるで、大地そのものが赤く発光しているかのような、壮大で圧倒的な光景が、四人の目の前に広がる。
風の音だけが吹き抜ける中、誰も、しばらくの間、言葉を発しなかった。
ウォルターも、ガルトも、そして普段は感興を示さないシークでさえも、ただ、その荘厳な夕景に、息をのんで無言で見入っていた。
「綺麗だね」
やがて、カースが、ぽつりと呟いた。
「ああ」
シークも、短く同意した。それ以上、誰も、言葉を続けようとはしなかった。この圧倒的な自然の光景を前にしては、余計な言葉は、かえって邪魔になるとでも言うように。
やがて完全に夕闇が降りる頃、一行は、街道沿いにひっそりと佇む小さな村に辿り着いた。
「ここの宿の親父とは、古い付き合いでな」
ガルトが、慣れた様子で年季の入った宿の厚い木扉を叩くと、奥から木床を鳴らして恰幅の良い主人が、驚いたように顔を出した。
「おお、ガルトじゃねえか! 生きてたのか、この野郎!」
「おかげさまでな。今夜、四人分、頼めるか」
主人は、二つ返事で快く頷くと、奥から上等な酒瓶まで取り出してきた。裏社会の鋭い情報屋として、各地に深い顔が利くというガルトの言葉に、どうやら嘘はないらしかった。
「お前、こんな辺鄙な場所にまで、知り合いがいるのか」
「伊達に長く裏稼業やってねえよ」
その夜宿の薄暗い食堂で、村の古老がこの地方に古くから伝わる古い遺跡の話を持ち出すと、ウォルターが思いのほか詳しい知識を披露して見せた。
「その遺跡なら、確か、聖呪大戦以前の、初期の精霊信仰の祭祀場だったはずだ。この一帯の地層や、街道の敷き方を見ても、その時代の名残がよく残ってる」
「兄さん、ずいぶんと詳しいんだねえ」
古老が感心したように、皺の深い目を丸くしてウォルターを見つめた。
「あ、いや……」
ウォルターの動きがピタリと止まる。ハッと正気に戻ったように口を半開きにしたまま固まり、視線をどこへ泳がせるべきか迷うように、泳ぐ目元を指先でポリポリと掻いた。
「……まあ、なんだ。その、昔……たまたま、耳にしたことがあってな。ほんの、かじり倒した程度の雑学だ。大した話じゃない」
先ほどまでの滑らかで洗練された語り口とは打って変わり、あからさまに語尾を濁らせながら、ゴソゴソと身を縮める。
柄にもなく肘を叩きつけるようにテーブルへ突き、酒の入った木の杯をぐっと引き寄せると、中身を喉へ流し込んだ。豪快に飲んで誤魔化そうとしているものの、杯を掴む指の添え方や背筋の伸びには、長年叩き込まれた貴族としての育ちの良さが隠しきれずに残っている。
「隠さなくていいのに」
カースが少しだけ口元を緩め、からかうように覗き込む。
「隠してねえよ」
ウォルターはあからさまに不機嫌な顔を作ってそっぽを向き、ガツンと音を立てて杯を置いた。だが、耳の先端がほんのりと赤くなっているのを隠すように、粗末な旅外套の襟ぐりを無駄にぐっと引き上げている。
(第12話-2「北への道」へ続く)




