第9話-1「無垢なる光、第一王子」
王都の外れライハルト領に、火山の裾野に建つライハルト家の菩提寺は、黒々とした火山岩を積み上げただけの、武骨な建造物だった。
中央には、絶えず赤い炎を灯し続ける巨大な聖火台が据えられ、その炎の揺らめきが参列する喪服姿の貴族たちの顔を不気味な赤に染め上げていた。
棺の周囲には、生前のアルベルトが好んだという、精霊石をあしらった装飾品の数々が並べられている。だが、その豪奢な飾りつけも、今この場に漂う空気を和らげることはできなかった。
棺の前に立つ当主イグニスは、能面のように無表情な顔を崩さなかった。息子の死を悼む涙は、一滴も見せなかった。ただ、その目の奥には、これまで誰も見たことのないほどの、昏く煮えたぎるような怒りが、静かに渦を巻いていた。
聖火台の傍らでは、精霊教会から遣わされた神父が、白と金の法衣を纏い、厳かな声で祈祷の言葉を唱え続けていた。
「炎の精霊よ、彼の魂を、汚れなき光の御許へと導きたまえ。この世を騒がす邪悪なる呪いより、我らをお守りくださいますように」
その言葉には、暗に、この惨劇の元凶――呪術師への呪詛が込められていた。参列する貴族たちは、神父の祈りに合わせて、一斉に頭を垂れた。だが、その所作の合間にも、隣人へと向けられる囁くような声は、絶えることがなかった。
「離宮が、一晩で灰になったというのは、本当なのか」
参列していた貴族の一人が、隣の者に、声を潜めて囁いた。
「本当らしい。しかも、壁一面に、血で名前が刻まれていたと」
「カース……とかいう、呪術師の名だと聞いたが」
「呪術師だと? まさか、あの根絶やしにされたはずの……」
その言葉に、周囲の貴族たちの間に、目に見えて動揺が広がった。
この国で語り継がれる呪術師の姿は、絵本に描かれるような醜く歪んだ怪物だった。爛れた皮膚、獣のような牙、理性の欠片もない、ただ憎悪だけを撒き散らす化け物。それが、幼い頃から誰もが教え込まれてきた、呪術師という存在のイメージだった。
だが、実際に離宮を灰にしたという「カース」は、そんな絵空事の怪物ではなかった。単身で夜会に踏み込み、精鋭の私兵団を退け、七大貴族の跡取りを正面から討ち取ったという。
絵本の怪物よりも、遥かに、現実的で、遥かに、恐ろしい存在だった。
「アルベルト様ほどのお方が、一体どうして……」
「聞くところによると、私兵団の精鋭ですら、まともに抗えなかったとか」
「末恐ろしいことだ」
誰もが口では悼みの言葉を並べながらも、その内心では、まったく別の感情に支配されていた。
恐怖。
自分たちの足元にあると信じていた、絶対的な秩序そのものが音を立てて揺らぎ始めているという、拭いようのない恐怖だった。
葬儀が終わった夜、王宮の一室に、七大貴族の当主たち――あるいはその名代が、密かに顔を揃えていた。
「このまま、放っておくわけにはいかんでしょう」
口火を切ったのは、水を司るタラッサ家の当主、オケアノスだった。青みがかった白髪を後ろに撫でつけ、波の刺繍が施された深い藍色の礼服を纏っている。落ち着き払った物腰の裏に、常に何かを値踏みしているような、油断ならない光を目に宿していた。
「呪術師が、七大貴族の一角を、たった一晩で焼き払った。この機に乗じて、貴族間の力の均衡そのものが、崩れかねません」
その言い分の裏に、他家の弱体化を好機と見る、隠しきれない打算が滲んでいた。
「同感だ」
氷のように冷たい声で応じたのは、アイスフェルト家の当主、フロストだった。青白い肌、霜を思わせる真っ白な髪を短く刈り込み、感情の色を一切映さない灰色の瞳をしている。表情筋がほとんど動かないその顔は、生きた人間というより精巧な彫像を思わせた。
「損害の確率で言えば、この呪術師の存在を放置する方が、遥かに危険だ。私からは、王家に対し追加の配給を要求したい。相応の対策には相応の資源が要る」
誰よりも先に、自家の利益を確保しようとする、あからさまな要求だった。
「対策、というと、アイスフェルト殿は何をお考えでしょう」
風を司るエアハルト家の当主、シルヴァンが、にこやかな笑みを浮かべながら口を挟んだ。細身で小柄な体躯に、仕立ての良い明るい色の礼服をまとい、常に人当たりの良い微笑みを絶やさない。だが、その柔らかな笑みの奥にある目だけは、決して笑っていなかった。
「まあ、討伐隊を組織するのが、最も手っ取り早いでしょうな。もっとも……我が家は、直接手を汚す趣味はございません。情報収集程度でお力になれれば幸いですが」
その言葉に、他の当主たちの間から微かな失笑と、それ以上の苛立ちが漏れた。誰もがシルヴァンのこの手の物言いに、慣れきっていた。都合の良い時だけ協力を申し出て、危険は決して負おうとしない。それが、エアハルト家のやり方だった。
「貴殿がそう仰るなら、我らが動くまでだ」
土を司るグルントハルト家の当主、ゴリアテが苛立たしげに唸った。岩のように厚い筋肉に覆われた巨躯、日焼けした浅黒い肌に無骨な革の装束を纏っている。手入れのされていない濃い髭が顎を覆い、その佇まいは、貴族というより歴戦の戦士そのものだった。
「力にこそ、秩序は宿る。ライハルト家の面目のためにも、我が家が率先して兵を出そう」
「グルントハルト殿の、その心意気は買いましょう」
シルヴァンが、涼しい顔で応じた。その裏に何を企んでいるのか誰にも読み取れなかった。
「七大貴族の威信のためにも、この呪術師の存在は看過できません」
沈黙を保っていたイグニスが、初めて低く重い声で口を開いた。燃え盛る炭火のような赤髪、鍛え抜かれた長身。焦げ付いたような色合いの礼服に身を包み、その全身から抑えきれない怒りの熱が陽炎のように立ち上っているようだった。
「息子を殺した相手だ。私自身が、必ずや、この手で引導を渡す。他家の助力は無用」
その声には、これ以上ないほどの静かな殺意が込められていた。誰にも頼らず、誰の手柄にもさせない、その執念が、はっきりと伝わってくる。
この場に、雷を司るドンナーハルト家の姿はなかった。代わりに、当主ヴォルケンの名代として、その長女、ヴァレリア・フォン・ドンナーハルトが、末席に静かに腰掛けていた。鋭く切り揃えられた紫がかった銀の髪を一つに結い上げ、静電気を帯びたような、ぴりりとした空気を纏っている。切れ長の紫の瞳は、常に何かを計算しているかのように、油断なく細められていた。
「ドンナーハルト殿は、此度もご欠席か」
オケアノスが、皮肉げに問うた。
「父は、この手の会合を、退屈だと申しております」
ヴァレリアは感情を抑えた、涼やかな声で答えた。冷徹な知性を宿したその目が、この場にいる誰よりも冷静に当主たちの思惑を見透かしているようだった。
「我が家としては、他家の内輪の面目争いに、興味はございません。ただ――」
「ただ?」
「その呪術師とやら、本当に一人でアルベルト様ほどの精霊使いを討ち果たせるものか。もし真実だとすれば、いずれ、我が家にとっても無視できぬ相手になるやもしれません」
その冷静な分析に、場の空気が僅かに張り詰めた。
「王家は、この件について、如何なるお考えを?」
オケアノスが探るような視線を、末席に座す一人の若者へと向けた。
第一王子エリオット。父王の名代として、この密談の場に末席で耳を傾けていた。
「父上は、まず調査団を送り、実態を把握することを望んでおられます」
エリオットは、慎重に言葉を選びながら答えた。
「拙速な討伐は、かえって事態を悪化させかねません。まずは、その呪術師が、何を求めて動いているのかを正確に見極めるべきかと」
「随分と、慎重なことですな、殿下」
シルヴァンが、笑みを浮かべたまま言った。
「まるで、その呪術師とやらに同情でもしておられるかのようだ」
「同情ではありません」
エリオットは、静かに、しかしはっきりと言い返した。
「ただ、敵の正体もわからぬまま闇雲に兵を送れば、無駄な犠牲が増えるだけだと申し上げているのです」
「殿下らしい、ご意見ですな」
ゴリアテが、皮肉とも本心ともつかない口調で呟いた。
密談が終わり、当主たちが三々五々、部屋を辞していくその只中で。
誰にも気づかれることなく、部屋の隅、燭台の陰に控えていた道化師が一人、扉の外でゴリアテの帰りを待っていた初老の従者――グルントハルト家に長く仕える、家臣の一人へと、するりと近づいた。
「もし」
その男、トールが、恭しく一礼しながら、耳打ちするように囁いた。
「余計な口を挟むようで恐縮ですが……小耳に挟んだ話がございまして」
「何用だ、道化風情が」
従者は胡散臭そうに、道化師を一瞥した。
「いえいえ、他意はございません。ただ、ご主君のお耳に入れておいた方がよろしいかと思いましてね」
「なんだ」
「先ほどのエアハルト卿の物言い、控えの間からでも、随分と聞こえておりましたよ。あの、飄々とした態度」
「それが、どうした」
「実は、エアハルト家の使いの者が、他家の貴族にこう漏らしていたと聞き及びましてね。グルントハルト家は、近頃、独自に禁忌の力に手を出しているのではないか、と」
「なんだと」
従者の顔色が、みるみる変わっていった。
「もちろん、私が直接聞いたわけではございません。あくまで、噂でございます。ですが……ご主君のお耳には、早めにお伝えしておいた方が、よろしいのではないかと」
トールは、そう付け加えながらも、その口元には、隠しきれない愉悦の笑みが浮かんでいた。
「では、失礼いたします」
トールは、それだけ言うと、何事もなかったかのように、静かに部屋を後にした。
残された従者は、しばらくの間、困惑した様子で立ち尽くしていた。だが、やがて、その顔に、確かな決意が浮かんだ。
(このことは、必ず、旦那様のお耳に入れねば。)
数刻後、王宮の回廊に響く一つの足音があった。
密談の場を辞したエリオットが、王宮の廊下を歩いていた。すると前方から、言い争うような声が聞こえてきた。
白亜の柱が等間隔に並ぶ、天井の高い回廊。壁面には、歴代の国王と精霊王を描いた金箔のフレスコ画が連なり、磨き抜かれた大理石の床には外の光を受けて柱の影が長く伸びていた。
要塞じみたライハルト家の無骨な建築とは対照的な、繊細で洗練された造りが、この王宮の格式を何よりも雄弁に物語っていた。
「口を慎め、グルントハルト」
声の主は、風・エアハルト家の跡取り、ゼフィロスだった。父シルヴァンによく似た細身で優美な体躯。淡い金髪を洒落た形に整え人懐こそうな笑みを浮かべているが、その目の奥には父譲りの計算高さが見え隠れしていた。
「先ほどの父の物言いに、何か文句でも?」
ゼフィロスは人懐こそうな笑みのまま、わざとらしい困り顔で首をかしげる。
対するのは、土・グルントハルト家の跡取り、ガイア。父ゴリアテを凌ぐほどの巨躯に、実戦向きの重厚な鎧を纏っている。日に焼けた浅黒い肌、短く刈り上げた髪、岩を思わせる無骨な顔立ちが、怒りに震えていた。
「文句がないとでも思うか。我が父の忠義を、腰抜けの日和見と嘲笑ったも同然の態度だったぞ」
「事実を申し上げただけだ。危険を冒すのは、いつも貴殿らのような、脳筋の家系と相場が決まっている」
「もう一度、言ってみろ」
ガイアの手が、腰の得物にかかった。ゼフィロスも、余裕の笑みを崩さないまま、僅かに身構える。
一触即発の空気が、廊下に満ちた。
「――そこまでにしてくれないか」
エリオットが二人の間に、静かに割って入った。
「王宮の廊下で、七大貴族の跡取り同士が刃傷沙汰など、笑い話にもならない。それに――」
彼は、二人を交互に見据えながら、続けた。
「今、我々が争うべき相手は、互いではないはずだ」
その静かな、けれど有無を言わせぬ声に、ガイアもゼフィロスも、渋々といった様子で、得物から手を離した。
「殿下の仰る通りです」
ガイアが決まり悪そうに、頭を下げた。
「殿下の顔を立てて、此度は退きましょう」
ゼフィロスも、そう言って肩をすくめた。だが、二人の間に流れる険悪な空気は、完全には消えていなかった。
その様子を、少し離れた場所から、ヴァレリアと、もう一人の若者が、静かに見つめていた。
氷・アイスフェルト家の跡取り、ヘルマン。父フロストに瓜二つの、青白い肌と真っ白な髪。感情の色を映さない灰色の瞳は、目の前の小競り合いを、まるで観察記録でもつけるかのように、淡々と見つめていた。
「損害の割に、得るものが少ない諍いだ」
ヘルマンが感情の読めない声で、ぽつりと呟いた。
「殿下の仲裁がなければ、面倒なことになっていたでしょうね」
ヴァレリアが、エリオットの傍らを通り過ぎる際、そう呟いた。
「七大貴族というのは、傍から見ているより、ずっと脆い」
「脆い、とは?」
「互いに手を組んでいるように見えて、腹の底では誰も彼もを出し抜くことばかり考えている。あの二人の小競り合いも、氷山の一角に過ぎません」
ヴァレリアは、冷ややかな笑みを浮かべたまま、去っていった。
去っていく背中を見つめ、エリオットは苦い息を吐いた。密談の場に満ちていた重苦しさが、いまも肌に張り付いている。七大貴族という均衡。絶対的な力の裏で張り巡らされた、底知れない不信と打算。
だが、その歪みがすでに誰かの手によって暴かれ、静かに動き出していることに、このときのエリオットはまだ思い至っていなかった。
(第9話-2「無垢なる光、第一王子」へ続く)




