↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カース・オブ・エレニア ~蘇りし呪術師の成り上がり復讐劇~  作者: さかさき まる
第二章 張り巡らされた運命

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/60

第8話-2「闇の覇権とスラムの影」




 その日の午後、カースは一人ガルトが手配した療養所へと足を運んだ。ヴァルクライン家の地下から助け出した子どもたちが、静かに身を寄せている場所だった。


 シークは何も言わずに、その後ろをついてきていた。


 療養所は、骨の街の外れにある古い教会堂を改装したもので、日当たりだけは、やけに良かった。木漏れ日の差し込む部屋の隅、五人の子どもたちが、それぞれの寝床に身を横たえていた。


 その中の一人、まだ十歳にも満たない少女の傍らに、カースは静かに膝をついた。彼女は、両足を膝の少し上から失っていた。あの日、ガラス瓶の中で標本のように保存されていた腕や足の持ち主が、まだ辛うじて生きていた者たちの、成れの果てだった。


「具合は、どう?」


 カースは、努めて優しい声で問いかけた。

 少女は最初、怯えたように体を強張らせた。だが、カースの顔をじっと見つめるうちに、少しずつ、その緊張が緩んでいった。


「痛いのは、もう、ない」


 少女は、消え入りそうな声で答えた。


「そう」


「でも……もう、走れない」


 その一言に、カースは一瞬、言葉を失った。


 自分がもう少し早く、あの屋敷に踏み込んでいれば。もう少し早く、あの悪趣味な実験室を見つけていれば、失われずに済んだものが、あったのかもしれない。そう思うと、胸の奥が締め付けられるように痛んだ。


 カースは伸ばした手を一瞬躊躇させ、それからそっと、少女の薄い色の髪の上に温かい手を置いた。


「リンは、生きてる。それだけで……十分だよ」


 少女、リンは、その言葉の本当の重さをまだ理解できていないようだった。けれど、頭頂から伝わる手触りと体温に安らいだように、小さな唇の端を微かに綻ばせた。


 カースはそれから一人ひとりの寝床を回り、同じように視線を合わせて声をかけていった。片腕を失った少年には、これから覚えられる新しい生業の話を。声を失った子には言葉を求めず、ただその小さな手を包み込むように握った。

 シークは壁際に身を寄せ、その一部始終を感情の窺えないアイスバイオレットの瞳で見つめていた。手助けをするでもなく、口を挟むでもなく、ただカースの背中に自分の存在を重ねるように寄り添っていた。


 療養所を出る頃には、外の景色は茜色から紫紺へと移り変わり、夕暮れが迫っていた。


 古い教会堂の重厚な木造扉が、ギイと音を立てて閉まりかける。


 その直前。


「……カース」


  隙間から、鈴を転がすような小さな声が届いた。振り返ると、リンが手で体を支え、扉の隙間からひょっこりと顔を覗かせていた。


「なに」


「また、来る?」


 カースは夕闇の中に視線を泳がせ、少しだけ目を伏せた。


「……うん」


「明日も?」


「明日は――」


 カースは言葉を途切れさせ、一瞬思案した。

 頭の中に、山積みにされた仕事が浮かぶ。流血の末に手に入れた賭博場の整理、途絶えかけた密輸ルートの再編、金貸し業の引き継ぎ。どれも一刻を争うものばかりだ。


 それでも。


「……時間があれば、来るね」


 少女の表情が一気に華やぎ、嬉しそうにパッと弾けた笑みを浮かべた。


「約束?」


「……約束だ」


 ゆっくりと扉が閉まり、静寂が二人を包み込む。カースは去り難そうに、しばらくその場に佇んでいた。


「約束したな」


 影の中からぬっと現れたシークが、ぽつりと呟いた。


「聞いていたの?」


「聞こえた」


「……そう」


「カースは、約束を破るのか?」


「破らない」


「なら、明日も来るんだな」


「……うん」


 シークはそれ以上追求せず、カースの歩調に合わせて静かに隣を歩き始めた。







 翌日。


 カースが再び療養所を訪れると、室内の空気は昨日よりもわずかに柔らかく、弾んでいた。隙間風が運ぶ微かな薬品の匂いの中で、子どもたちの表情から、刺すような緊張が少しずつ解け始めていた。


 石造りの壁の亀裂からやわらかな光が差し込む入り口近くでは、片腕を失った少年が、冷たい床に転がった木片をぎこちなく一口サイズに並べ替えている。


「何をしているの」


「……家」


「家?」


「うん」


 少年は片手で不器用に木片を持ち上げ、誇らしげに見せた。


「ここが俺の家」


「……ずいぶん小さくて、風が吹き抜けそうだね」


「今はね」


 少年は少しだけ気まずそうに顔を伏せ、伸びかけた前髪の隙間から目を覗かせたが、すぐに瞳を輝かせた。


「もっと大きくする」


 その強い眼差しに、カースはふっと黒目を細めた。右腕に巻きついた冷たい呪鎖が袖口から覗き、動くたびに首元の黒い犬の首のネックレスが胸元でかすかな金属音を立てる。かつての自分と重なる子どもの眼差しに、胸の奥が僅かに疼いた。


「そう」


「カースも手伝う? 」


「僕が? 」


「うん」


 カースは転がっている歪な木片を見つめ、短く息を吐いた。


「……仕方ないな」


 カースは少年の隣に腰を下ろし、膝を折った。


「まず、土台からだよ」


「土台? 」


「ただ積むだけじゃ、風で崩れるから」


 木片を組み替え、噛み合わせを作っていく。少年はその手元を食い入るように見つめていた。


「こう? 」


「そう」


「じゃあ、こっちは? 」


「そこは少し短く削ったほうが収まりがいい」


「どうやって? 」


「ナイフを使って」


 カースは腰から小型のナイフを抜き、木片を少しずつ削り始めた。シャリ、シャリと木片を削る一定の音が室内に静かに響き、木屑が膝の上に落ちる。器用とは言えない手つきだったが、真剣な眼差しで一つひとつ形を整えていく。

 少し離れた日だまりの中から、足のない少女、リンがその様子を興味深そうに眺めていた。


「カース、何作ってるの? 」


「家」


「誰の? 」


「この子の」


 カースがナイフの先で少年を指す。


「じゃあ、私の家も作って」


「……」


「私の家」


 リンが甘えるように、もう一度繰り返す。


「私も住む」


「リンの家なら、この部屋にあるでしょ」


「そうじゃなくて」


 リンはケラケラと笑った。その鈴を転がすような明るい声が、薄暗い部屋にこだまする。


「いつか、大きくなったら自分のお家がほしいの」


 カースはその屈託のない笑顔を見つめ、胸の奥で暖かな火が灯るのを感じた。過酷な運命の中で麻痺していた感情が、じんわりと温かさを取り戻していく感覚。


「……そうだね」


「作ってくれる? 」


「……考えておくね」


「約束? 」


「……また約束か」


 リンが満足そうに笑う。それにつられるように、カースもほんの僅かに口元を緩めた。


「わかった。約束」


 少し離れた薄暗い柱の影で、その光景を壁にもたれながら見ていたシークがボソッと呟いた。その瞳が静かにカースを見つめている。


「お前、約束が増えているな」


「……シークは黙ってて」


 二人が戻ってきた頃、夕刻の風が通り抜けるガルトの店の前では、ウォルターがグレーの瞳に呆れたような、それでいてどこか温かい光を宿した顔で二人を待っていた。


「遅かったな、坊主とガキんちょ」


「ガキんちょとは言うな」


 シークが、珍しく即座に反発した。不満げに眉を寄せる。


「はいはい。それより、二人とも飯は食ったのか」


 ウォルターは、腰に手を当てながら、二人の顔を交互に覗き込んだ。


「まだ」


 カースが、短く答える。


「やっぱりな。お前ら二人とも、自分のことになると、途端に杜撰になるからな」


 ウォルターは、やれやれと肩をすくめると、店の奥から温めておいたスープの入った鍋を運んできた。木製の鍋がテーブルに置かれると、熱い湯気とともに香ばしい野草と肉の匂いがふわりと立ち上る。


「ほら、座れ。冷めないうちに食っちまえ」


カースとシークは、示された木製の席に並んで腰を下ろした。


「療養所は、どうだった」


ウォルターが、お玉でスープを器によそいながら、さりげなく尋ねた。


「――辛かった」


カースは、右腕の呪鎖の感触を確かめるように小さく指を動かしながら、素直に答えた。胸の奥に遺る子どもの笑顔と、抱えきれない現実の重みが、静かに交錯していた。


「あの子たちの傷は、もう二度と、元には戻らない」


「そうだな」


 ウォルターは、否定しなかった。


「だが、坊主。お前が顔を出すだけで、あの子たちにとっちゃ、大きな意味があるんだよ。忘れられてない、見捨てられてないってことが、伝わるからな」


 彼は、カースとシーク、それぞれの前に、湯気の立つ椀を置いた。


「お前らみたいな、無茶ばっかりする奴らの面倒を見るのが、俺の役目らしいからな。せめて、ちゃんと飯だけは食わせてやらんと」


「誰が、無茶ばかりだ」


 シークが、椀を受け取りながら、僅かに不満げな声を上げた。


「お前らだよ、お前ら」


 ウォルターは、苦笑しながら、自分の分の椀も用意すると、二人の向かいに腰を下ろした。

 三人が囲む食卓には、言葉少なながらも、確かな温もりが満ちていた。






 翌日。



 療養所の外の広場では、ガルトの手配した炊き出しの煙が立ち上っていた。大きな鉄鍋から湧き立つスープの香ばしい匂いが、冷たい空気を温めていく。


「押すな、押すな!」


 ウォルターがお玉を片手に声を張り上げる。


「全員分たっぷりある! 慌てなさんな!」


 それでも子どもたちは、すがるような目付きで鍋を見つめていた。食べられる時に胃袋へ詰め込まなければ次はいつ食えるかわからない――骨の街というスラムで刻み込まれた恐怖の記憶が、彼らの足を進ませていた。


 その喧騒から少し離れた日陰に、一人だけ列に並ぼうとしない少女がいた。


 骨が浮き出るほど痩せた身体。擦り切れて泥がついた服。その小さな手には、何も持っていない。

 それに気づいたカースが近づいた。


「……きみ」


 少女がビクッと肩を跳ねさせる。


「食べないの? 」


「……いらない」


「お腹は減っているでしょ」


「みんなの……妹の分が、なくなっちゃうから」


 少女が弱々しく指さした先には、粗末な布に包まれて横たわる、さらに幼い子供の姿があった。

 カースは遠くの鉄鍋に視線をやり、それから少女の細い首筋に視線を戻した。


「二人分よそって」


 スープを配っていたウォルターが力強く頷いた。


「任せとけ!」


 ウォルターは木椀を二つ重ね、熱々の具だくさんスープを並々と注いだ。


「ほらよ、持っていきな」


「……いいの? 」


「いいに決まってんだろ。遠慮すんな」


 少女は両手で大切そうに椀を受け取った。だが、自分の椀には口をつけず、まっすぐ妹の元へ向かおうとする。


「待って」


 カースがその背中に声をかけた。


「自分の分も食べて」


「でも……」


「ここには二人分ある」


「……」


「妹の分を守るために、きみが腹を空かせて倒れる必要はないんだ」


 少女はしばらく、カースの真摯な目を見つめていた。

 やがて、喉を鳴らして小さく頷いた。


「……うん」


 少女はその場にチョコンと座り込んだ。


 椀に口を付け、一口、スープを飲む。


 ハッと目を丸くした。熱さと、今まで味わったことのない滋味が口いっぱいに広がったのだ。


 それから――


「……おいしい」


 ポロリと、小さな声が漏れた。


 その声を聞きつけたウォルターが、遠くで腕を組んで豪快に笑った。


「だろ! 俺の特製だからな!」


 少女は夢中になって、もう一口、今度は大きくスープを流し込んだ。


 カースはその小さな背中を見守りながら、何も言わなかった。少女が最後の一滴まで飲み干し、息をつくのを見届けるまで、その場を離れようとしなかった。


 シークがそんなカースの横顔をじっと見つめていた。


「……また、あんな顔をしている」


「どんな顔?」

「優しい顔」


「僕は優しくない。ただの気まぐれだよ」


「そっか」


 シークは空の椀を大事そうに抱える少女へと視線を移した。


「あの子は嬉しそうだ」


「……」


 カースは答えなかった。ただ、照れくささを隠すように横を向き、空の椀を抱えて無邪気に微笑む少女の姿を瞳に焼き付けていた。


 夕刻。


 炊き出しが終わり、スープの鍋が空になると、子どもたちは満足そうに自分の寝床へと戻っていった。


「また明日!」


「明日も来てくれる? 」


「スープ、また食べられる? 」


「あるって言ってるだろ! 残さず食えよ!」


 ウォルターのガラガラ声の怒鳴り声に、子どもたちの甲高い笑い声が重なる。カースはその笑い声の渦の中に立っていた。ほんの少し前まで、この場所には絶望と恐怖に歪んだ顔しかなかった。


 今は違う。


 体に刻まれた傷痕が消えたわけではない。失われた足や腕、声が戻るわけでもない。


 それでも――。


 人は笑うことができる。明日という未来を待つこともできる。カースは静かに天を仰いだ。茜色の空が、ゆっくりと群青色に染まっていく。


「……明日も来るの」


 シークが隣で尋ねた。


「約束したからね」


「そっか」


 シークの口元が、微かに柔らかくほころんだ。二人の背後で、古い教会堂の窓にぽっと温かな灯りが灯る。


 ひとつ、またひとつ。


 その小さくも確かな光は、骨の街の冷たく薄暗い路地を、静かに、優しく照らし出していた。



 噂は、瞬く間に広がっていった。


 「呪術師が、貴族の縄張りを乗っ取った」

 「逆らった者は、皆殺しにされる」

 「カースと名乗る化け物には、決して手を出すな」


 骨の街の共同井戸端では、水を汲みに来た女たちが、声を潜めて囁き合っていた。


「聞いたかい、あの離宮の焼け跡の話。壁一面に、血で名前が刻まれてたってさ」

「ライハルト家のご子息を、たった一晩で灰にしちまったらしいよ。恐ろしい話だ」


 その声には、隠しきれない怯えが滲んでいた。だが同時に、そこには、これまで骨の街の誰も口にしたことのなかった、もう一つの感情も混じっていた。



 夜の酒場では荒くれ者たちが、杯を片手にまことしやかに語り合っていた。


「俺は見たんだ、賭博場に押し入った時のあいつの姿をよ。黒い鎖を纏った化け物みたいな野郎だったが……妙なことに、隅で震えてたガキどもには、指一本触れなかったんだと」


「化け物のくせに、義理堅いってわけか」


「わからねえよ。だが、少なくとも、俺たちみたいな下衆には手を出さねえ。狙うのは、いつも決まって、あの澄まし顔の貴族どもだけだ」


 骨の街の路地裏、崩れかけた壁の前では、痩せた子どもたちが、拾ってきた木の枝で、地面に何やら絵を描いて遊んでいた。


「これが、呪術師のカースだよ」


 一人の少年が鎖を巻いた棒人間を、得意げに指差した。


「貴族をやっつける、正義の味方なんだって」


「正義の味方? 呪いの化け物なんじゃないの」


「うちの母ちゃんが言ってたもん。あいつのおかげで、あの意地悪な取り立て屋が、最近ぱったり来なくなったって」


 子どもたちの無邪気な会話が大人たちの噂よりもずっと率直に、この街に生まれつつある空気の変化を、映し出していた。


 その噂は、恐怖と共に、もう一つの感情を伴って広まっていった。それは――希望、だった。

 骨の街のような下層地区では、これまで貴族の私兵や裏社会の暴力に、ただ怯え、搾取されるだけだった住人たちが、ひそひそと囁き合うようになっていた。


 「あいつは、俺たちの味方かもしれない」

 「貴族どもを、本気で潰す気なのかもしれない」


 その噂を裏付けるように、カースたちが乗っ取った賭博場や闇市場からは、奇妙な変化が起き始めていた。


 「なあ、カース。お前、これはどういうつもりだ」


 ある晩、ガルトが帳簿を片手に、呆れたような、それでいてどこか嬉しそうな顔でカースに詰め寄った。


「賭博場の売上の一部が、勝手にスラムの炊き出しに回されてるんだが」


「問題ある?」


 カースは、平然とした顔で答えた。


「僕らの資金源だ。使い道は僕が決める」


「別に文句を言ってるわけじゃねえよ」


 ガルトは肩をすくめながら、椅子に腰を下ろした。


「ただ、面白いなと思ってな。お前は普段、氷みてえに冷たい顔して、貴族どもを容赦なく叩き潰してるくせに、こういうところじゃ、妙に律儀っつうか……甘っちょろいところがある」


 カースは、何も答えなかった。


 実際のところ、カース自身も、自分のその行動の理由を、はっきりとは言葉にできずにいた。

 貴族を殺す時、自分の中にあるのは、氷のように冷たい憎悪だけのはずだった。それなのに、飢えた子どもたちの姿を見ると、体が勝手に動いてしまう。パンを分け与え、暖かい寝床を用意し、時には自ら怪我をした子を診てやることさえあった。


「まるで、あの頃みたいだ」


 ある夜、炊き出しの列に並ぶ子どもたちの様子を、少し離れた場所から見つめながら、カースはぽつりと呟いた。


 誰に聞かせるつもりもない、独り言だった。


 だが、その呟きを、傍らにいたシークが、静かに拾い上げていた。


「あの頃? 」

「なんでもない」


 カースは、それ以上を語らなかった。

 シークは、それ以上を追及しなかった。ただ、じっとカースの横顔を見つめていた。この半月あまりで、シークは少しずつ、人間らしい感情の機微――言葉にされない沈黙の重さのようなものを、理解し始めていた。


「カースは、優しいな」


 シークが、ぽつりと言った。


「僕は、優しくなんかない」


 カースは、即座に否定した。


「僕は、あいつらを一人残らず地獄に落とすと決めた。優しさなんて、とっくに捨てた」


「そっか」


 シークは、それ以上何も言わなかった。ただ、視線をもう一度、炊き出しの列に並ぶ子どもたちのほうへと戻した。


 子どもたちの中に、腹をすかせて震えていた少女が、温かいスープを受け取って、心底嬉しそうに笑う姿があった。その笑顔を見つめるカースの目は、決して復讐鬼のそれではなかった。


「捨てたにしては」


 シークは、静かに続けた。


「ずいぶんと、大事にしてるみたいだけど」


 カースは、何も言い返さなかった。


 その様子を、少し離れた場所で見ていたウォルターとガルトは、顔を見合わせて、小さく笑い合った。


「あの坊主、自分じゃ気づいてねえんだろうな」


 ガルトが、煙管を吹かしながら呟いた。


「自分の中に、まだあんなに深い優しさが残ってることに」


「まあ、それでいいんじゃないか」


 ウォルターが、いつになく穏やかな声で応じた。


「あいつが本当に、憎しみだけの化け物になっちまってたら、俺だってこうして肩を並べちゃいなかっただろうさ」


 彼は、少し遠くを見つめるような目をして、続けた。


「復讐と優しさは、本来なら両立しないもんだ。だがあいつは、その矛盾を抱えたまま、真っ直ぐに立ってる。それがどれだけ、しんどいことか……俺には、痛いほどわかるよ」


 ガルトは、頷きながら、遠くのカースの背中を見つめた。


「あいつの中の優しさは、あいつ自身を苦しめる呪いにもなりかねねえ。だが同時に――あいつを、ただの化け物にしない、最後の綱でもある」


「だから俺たちは」


 ウォルターが、ニヤリと笑いながら締めくくった。


「その綱が切れねえように、そばで見張ってやるってわけだ。まったく、柄にもない役回りだよなあ」


 夜が更けていく中、炊き出しの列は静かに解散していった。子どもたちは、それぞれの寝ぐらへと戻っていく。その背中を見送りながら、カースは懐に収めたネロの呪核に、そっと手を添えた。


「僕は、優しくなんかない」


 彼は、もう一度、誰にともなく呟いた。


 だが、その声は、誰よりも自分自身に言い聞かせているように、どこか頼りなく響いていた。


 こうして、王都の裏社会に、新たな秩序が静かに根付き始めていた。


 貴族への恐怖と、名も知らぬ呪術師への畏怖、そしてスラムの人々の間に密かに芽生え始めた、小さな希望。


 それらすべてを飲み込みながら、カースたちの勢力は、着実に、そして急速に、その版図を広げていくことになる。


「そういや、坊主」


 夜も更けた頃、帳簿を片付けながら、ガルトがふと思い出したように口を開いた。


「最近、貴族街のほうで、妙な噂を耳にしてな」


「妙な噂? 」


「詳しいことはまだわからねえ。だが、いつもは澄まし顔で足並みを揃えてる七大貴族の連中が、ここ最近、やけにピリピリしてるらしい。互いの領地に妙な探りを入れ合ってるとか、王宮への使者の数が急に増えてるとか、な」


 ガルトは、煙管の灰を落としながら、眉根を寄せた。


「俺の勘だがな……あの澄ました連中の足元も、案外、盤石じゃねえのかもしれねえぜ」


 カースはその言葉を、特に気に留める様子もなく聞き流した。煙管の煙が、暗がりに消えていく。




(第9話-1「無垢なる光、第一王子」へ続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。