第7話-3「第一の惨劇」
【注意】
本作品はダークファンタジー・復讐劇です。
物語の性質上、流血・殺傷・暴力・虐待・拷問・人体実験・死亡・差別・残酷な描写などが含まれます。
また、子どもや動物が被害に遭う描写、主人公による復讐・報復描写があります。
作中の非道な行為や思想はフィクション上の表現であり、現実における行為や価値観を肯定・推奨するものではありません。
苦手な方は閲覧にご注意ください。
その夜、離宮を包む夜霧の中、四人は静かに行動を開始した。
離宮を囲む鉄柵の外、闇に紛れて身を潜めながら、ガルトが最後にもう一度、手筈を確認した。
「門番は四人。庭園の巡回が二組。夜会の最中は、警備の意識が屋敷の内側――招待客の方に向きがちになる。そこが付け入る隙だ」
「わかってる」
カースが、短く答えた。
シークが真っ先に動いた。鉄柵の隙間から音もなく忍び込むと、庭園の暗がりを縫うように移動し、巡回中の兵の背後に音もなく回り込む。首筋への一撃で、兵は声を上げる間もなく崩れ落ちた。もう一人の巡回兵も、続けて同じように沈黙させられる。
続いて、正門の門番四人の前に、ウォルターが悠然と歩み出た。
「――誰だ!」
だれかの声が響くと同時に、ウォルターの重剣が、月明かりの下で煌めいた。
「悪いが、道を空けてもらうぜ」
一人目の武器を弾き飛ばし、返す刀で二人目の胴を薙ぎ払う。残る二人が態勢を立て直す間もなく、ウォルターの剣がそれぞれの得物を叩き落とし、峰打ちで意識を刈り取った。
「こんなもんか」
彼は剣についた汚れを軽く払いながら、離宮の正面扉へと視線を向けた。
ガルトは離宮の裏手に回り、召使い用の通用口の錠を慣れた手つきでこじ開けていた。逃げ道になり得る経路を、一つ、また一つと、静かに塞いでいく。
「これで、退路は絶たれた。あとは、正面突破だけだ」
四人は、離宮の大扉の前に集った。扉の向こうから、弦楽器の優雅な音色と、招待客たちの談笑が、かすかに漏れ聞こえてくる。何も知らない者たちの、平穏な夜。
カースは、その音を、しばらくの間、じっと聞いていた。
(この向こうに、あいつがいるんだ。)
右腕に絡む呪鎖が、その気配を感じ取ったかのように、微かに震えた。
「行くぞ」
カースは短くそう告げると、扉に向かって呪力を纏った拳を叩きつけた。
重厚な木製の大扉が、蝶番ごと吹き飛び、けたたましい音を立てて広間の中へと倒れ込んだ。
「な、なんだ貴様は……!」
夜会の最中だった広間は、一瞬にして混乱に包まれた。着飾った招待客たちが悲鳴を上げて逃げ惑う中、カースは呪鎖を纏った腕を一振りし、迫る警備の兵を薙ぎ払っていく。
その光景の中心に、あの男はいた。
アルベルト・フォン・ライハルト。茶金色の髪、白い肌、記憶の中と何一つ変わらぬ優雅な佇まい。彼は突然の襲撃に驚きながらも、傍らの精霊銀の剣を手に取り、余裕の笑みを浮かべていた。
「お前はだれだ? ――、その鎖……。僕の夜会を邪魔するとは、いい度胸だ」
その言葉を聞いた瞬間、カースの中であの日の記憶が鮮明に蘇った。
「不快だ」と呟いた顔。
「虫けららしく死んだだけ」と嘲笑った声。
「僕の名を、聞いたことがある?」
カースの声は、静かで、けれど地の底から響くように重かった。
「カース、と言う。少しは覚えておいてもらえたかな」
「ああ、噂の呪術師か。まあ、いい。どうせ死体は残らないんだ、名前なんぞ意味はないね」
アルベルトは薄ら笑いを浮かべたまま、精霊銀の剣を構えた。
その周囲では、広間になだれ込んできた私兵団の精鋭が、次々とウォルターとシークへと襲いかかっていた。
「数えてる暇はなさそうだな!」
ウォルターが、重剣で二人分の斬撃を同時に弾きながら叫んだ。額には玉のような汗が浮かび、腕には既にいくつもの浅傷が刻まれている。
「精霊騎士団のやつまで出張ってきてやがる。噂通り、この屋敷は本気だぜ!」
シークもまた、感情の薄い顔のまま、しかし息を切らしながら、幾人もの敵を同時に相手取っていた。
「数が、多いな」
珍しく、その声には焦りに似た響きが滲んでいた。彼らの標的は、あくまでアルベルト本人。だがそのアルベルトへ辿り着く前に、精鋭たちの壁が二人の前に厚く立ちはだかっていた。
「カース、こっちは俺たちに任せろ! お前は、あいつだけを見ていろ!」
ウォルターの怒声が響く。
カースは短く頷くと、視線をアルベルト一人に据え直した。
「聖炎の光輪」
アルベルトが静かに唱えると、彼を中心に、ボッ、ボボッ、ボボボボッ――と、幾つもの火球が、まるで意思を持った生き物のように、周囲の空間に次々と生まれ落ちた。
炎の輪が、瞬く間に広間全体を取り囲んでいく。
「散れ!」
ウォルターが叫ぶと同時に、シークとカース、ウォルターの三人が、それぞれ別方向へと跳んだ。だが、炎の勢いは、それを許さないほど速かった。
「――くっ!」
ウォルターの袖口が、赤々と燃え上がる。とっさに払い落としたが、腕には既に、赤く爛れた火傷の跡が残っていた。
「熱っ……!」
シークもまた、頬を掠めた炎に、僅かに顔を歪めた。痛みは感じないはずのその肌に、じりじりと肉の焼ける匂いだけが、確かに立ち上っていた。
燃え盛る炎は、まるで無数の紅い花びらが宙を舞うように、広間の暗闇を鮮やかに染め上げていた。それは、これから殺し合う者たちの間に生まれたとは思えないほど、皮肉なまでに美しい光景だった。
「はは……! いいだろう、その怯えた顔! 僕の炎は、いつだって、こんなにも美しいのだから!」
アルベルトは燃え盛る炎の中心で優雅に片手を広げながら、勝ち誇ったように笑った。茶金色の髪が、紅い炎の照り返しを受けて、まるでそれ自体が発光しているかのように輝いている。
「望むところだ」
カースは迫る火柱を避けるため、呪鎖を近くの柱へと投げ放った。鎖の先端が石造りの装飾に絡みつくと同時に、その反動を使って炎の海の上を大きく飛び越える。
「シーク!」
「わかってる」
シークは素早く体勢を低くしながら、袖口に仕込んだ投擲針を、次々とアルベルトへ向けて放った。
だが、アルベルトは、その全てを涼しい顔でかわしていく。まるで舞踏でも踊っているかのような、無駄のない優雅な身のこなしだった。
「残念だったね」
アルベルトは宙を舞う針の一本一本を、まるで羽虫でも払うかのように、優雅な手つきで軽く払った。
その瞬間だった。
彼が払った手の軌跡に沿って、炎がまるで津波のように、ぼわぁっ、と広間全体へと押し寄せた。
「――ッ、伏せろ!」
ウォルターの叫びと共に、炎の奔流が広間の壁際に飾られていた精霊石の窓を、次々と呑み込んでいく。バリバリッ、ガシャン、と、けたたましい音を立てて窓ガラスが粉々に砕け散った。
カースは呪鎖を振るい、炎の中を突き進んだ。皮膚が焼ける激痛が走るが、その痛みすらも今のカースにとっては、失われたものたちを思い出させるある種の道標だった。
「蠱毒の刻印」
カースが低く呟くと、腕から放たれた黒い靄が、アルベルトの精霊の加護――あの美しい防御の膜へと襲いかかった。
だが。
「甘いな」
アルベルトの防御は、これまで倒してきた騎士たちとは、まるで比較にならなかった。黒い靄は膜の表面をわずかに侵食しただけで、内側から放たれた眩い光によって瞬く間に焼き払われてしまう。
「僕の加護は、あの程度の小細工で崩れるほど、安っぽくはできていないんでね」
アルベルトの剣が、光を纏って一閃した。カースは咄嗟に呪鎖でそれを受けたが、衝撃で体が大きく後方へ弾き飛ばされる。
「――ッ!」
背中から広間の柱に叩きつけられ、カースは激しく咳き込んだ。口の端から、赤い血が滲む。
これまでの敵とは、根本的に力の総量が違う。
アルベルトは、七大貴族の跡取りとして、幼い頃から純度の高い精霊契約を結び、最上級の教育と加護を受け続けてきた生粋の強者だった。単純な力比べでは、今のカースでは到底及ばない。
(それでも。)
カースは、震える足で、再び立ち上がった。
「まだ、立つのか。哀れなものだな」
アルベルトが、心底愉快そうに笑った。
「それとも、その虫けらの意地とやらが、そこまでさせるのか?」
「お前に」
カースは、口の端から流れる血を拭いもせず、静かに、しかし確かな怒りを込めて呟いた。
「哀れまれる筋合いは、ない」
カースは地を蹴った。呪鎖を鞭のようにしならせ、四方から同時にアルベルトへと打ち込む。
「無駄だよ」
アルベルトは、優雅な足運びで、その全てを、最小限の動きだけでかわしていく。まるで、格上の舞踏家が、不慣れな踊り手をあしらっているかのようだった。
「聖天の陣風」
アルベルトが軽く指を鳴らすと、彼を中心に、灼熱の風が渦を巻いた。カースは咄嗟に呪鎖を盾のように構えたが、灼風に押し流され、床を何度も転がった。
「――ぐ、あっ……!」
露出していた皮膚が、あちこち赤く爛れている。全身から立ち上る血の匂いに、アルベルトはうっとりと目を細めた。
「いい匂いだ。恐怖と血と、絶望の匂いは、いつだって、僕を満たしてくれる」
その言葉に、カースの中で、何かが軋んだ。
だが、憎しみだけでは、この圧倒的な力の差は、埋まらない。
カースは、呪鎖を放ち、床下から無数に広げて這わせてアルベルトの足元を狙ったが、彼はそれすらも、軽く跳躍しただけで躱してみせた。
「無駄な足掻きだ。呪術なんてものは、所詮精霊に見放された者たちの惨めな悪あがきに過ぎない」
アルベルトの剣が、再び閃いた。今度は避ける間もない速さだった。
「――ッ!」
カースの肩が、深々と斬り裂かれる。鮮血が、宙に舞った。
「カース!」
少し離れた場所で、私兵団の一角を斬り伏せていたウォルターが、悲鳴じみた声を上げた。だが、彼自身もまた、複数の敵に囲まれすぐには駆けつけられない。
「――クソが!」
シークが、標的にしていた敵を強引に切り捨て、カースの方へと走り出そうとした。だが、その進路を新たに現れた精霊騎士の一団が塞ぐ。
「間に合わない……!」
アルベルトは、倒れ伏したカースを見下ろしながら、剣を無造作に振り上げた。
「これで、終わりだ」
その剣が、振り下ろされる。
カースの脳裏に、走馬灯のように、幾つもの光景が過った。
骨の街の陽だまり。ミミの笑い声。ネロの温もり。そして――今、この場所で、まだ何も終わらせていないという焦り。
(――こんなところで、終わってたまるか。)
カースは、最後の力を振り絞り、呪鎖を自らの体に幾重にも巻きつけ、盾のように掲げた。
剣が、鎖に食い込む。骨まで響くような衝撃に、意識が飛びかけた。だが、致命傷だけは辛うじて免れていた。
「ほう。まだ、死んでいないのか」
アルベルトは、僅かに眉を上げた。
「しぶといね、虫けらにしては」
カースは荒い息を吐きながら、それでも剣を握る手を、震える指先で掴んだ。
「ここで、終わるわけには」
「いかない、か? 滑稽だな。お前ごときが、この僕に、何を成し遂げられるというんだ」
アルベルトは嘲るように笑いながら、剣を握る手に、さらに力を込めた。刃が、じりじりと、カースの喉元へと迫っていく。
その瞬間だった。
その光景が――あの日、ゴミ捨て場で、泥の中に倒れ伏していた自分自身の姿と、重なった。
(第7話-4「第一の惨劇」へ続く)




