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カース・オブ・エレニア ~蘇りし呪術師の成り上がり復讐劇~  作者: さかさき まる
第一章 呪術師カースの誕生

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第7話-2「第一の惨劇」


 デュベル邸での一件から、幾日か経った昼下がり。


 廃墟の闘技場では、いつものように鍛錬の音が響いていた。崩れかけた石壁の隙間から吹き抜ける風が、かすかな砂埃を舞い上げている。


「シーク、お前のその鋼糸、どういう仕掛けになってるんだ」


 ウォルターが金髪を風になびかせながら、地面に張り巡らされた極細の糸を興味深そうに眺めて尋ねた。


「触れれば、わかる」


 シークは、素っ気なく答えると、指先を軽く動かした。首元の黒いチョーカーの上で皮膚が微かに動き、張り巡らされていた糸が一斉に緊張して、ぴん、と鋭い音を立てる。


「見た目より、遥かに切れ味が鋭い。精霊術で強化した繊維を、幾重にも編み込んである。それに……」


 シークは、アイスバイオレットの瞳を静かに巡らせ、腕輪のように巻き付けた糸の束から、さらに一本を引き出した。


「わずかな角度の違いだけで、複数の方向から同時に相手を狙える。仕込みさえ終われば、あとは指先一つで、戦場そのものを罠に変えられるってわけ」


「なるほどな。糸細工の暗殺者、ってわけか」


 ウォルターは、感心したように頷いた。


「じゃあ、その針は? この前、俺のふくらはぎに刺さったやつだ」


「あれは、投擲用の細針。毒は仕込んでいないけど、関節や神経の集まる場所を正確に狙えば、一時的に体の自由を奪える」


「毒を仕込まないのは、なぜ?」


 カースが横から尋ねた。長めの黒髪の隙間から覗く目が、シークの手元をとらえている。袖口からは右腕に巻きついた呪鎖が見え、首元には黒い犬の首のネックレスが静かに揺れていた。


「毒は、効くまでに時間がかかる。俺は、その場で決着をつける方が性に合っているからね」


 シークは感情の薄い声で、淡々と答えた。


「それに毒でじわじわ苦しませるのは、悪趣味だろ」


「お前が言うと、妙な説得力があるな」


 ウォルターが、苦笑した。


「じゃあ次は、坊やの番だ。その呪術とやら、どういう理屈で動いてるのか、俺にもわかるように教えてくれや」


「理屈、というほどのものは、僕自身にもわかっていないんだ」


 カースは、右腕に絡む呪鎖(じゅさ)に、そっと触れた。


「ただ、憎しみが強まるほど、この鎖が僕の血を求める。血を代償に差し出すたび、新しい力が――まるで、誰かの記憶みたいなものが、流れ込んでくる」


「誰かの記憶?」


「うまく、言葉にできない。ただ、この呪具には、僕以外の、誰かの無念が眠っている気がするんだ。技を使うたびに、その誰かの痛みを、一緒に感じているような……」


 カースはそこで言葉を切った。自分でも、まだ整理しきれていない感覚だった。


「物騒な力だな。だが、お前らしい」


 ウォルターはそう言って、軽く肩をすくめた。


「なあ、シーク。お前、好きな食い物とかあるのか」


 唐突な話題転換に、シークは僅かに眉を寄せた。だが、答えることなく視線をカースへと向けた。


「カースは、何が好きだ」


「……おい、無視すんな」


 ウォルターが心底不満そうな声を上げた。


「僕?  ………パンの耳を、水に浸したやつ、かな」


 何かを思い出しながらカースが答えると、シークは小さく頷いた。


「なら、俺もそれでいい」


「おいおいおい、質問したのは俺なんだが?」


 ウォルターが、両手を広げて抗議した。


「なんで、俺が無視されて、坊やにだけ答えるんだよ」


「お前には、聞かれた覚えがないね」


 シークが、無表情のまま素っ気なく返した。


「聞いたじゃねえか、たった今!」


「聞こえなかった」


「聞こえてただろうが!」


 ガルトが、離れた場所からその様子を眺めながら声を上げて笑った。


「ウォルター、お前、すっかり弟分にナメられてるじゃねえか」


「うるせえよ、ガルト」


 ウォルターは、がっくりと肩を落としながら、崩れた石壁にもたれかかった。


「まったく……こういう時ばっかり、態度がでかいんだよなあ、こいつら」


「元貴族のお前が言うと、皮肉が効いてるな」


 ガルトが、からかうように言った。


「貴族、か」


 ウォルターは、忌々しげに鼻を鳴らした。グレーの瞳に苦い影が過る。


「あいつらのクソったれなところを、一つ話してやろうか。俺の従兄弟の家でな、精霊の加護が弱いってだけの理由で、生まれたばかりの子どもを不出来な血として、田舎の遠縁に厄介払いした話がある。まだ、乳飲み子だぞ。血の繋がりよりも加護の強さの方が大事だっていう、あの連中の本性が、よく出た話さ」


「ひどい話だな」


 自分に投影したのだろうか。シークが、珍しく感情の滲んだ声で呟いた。


「ひどいなんてもんじゃねえよ。あいつらにとっちゃ、家族すら、家の格を維持するための道具でしかないのさ。俺が告発した人体実験だって、根っこは同じだ。人間を、人間として見てない」


 ウォルターは、乾いた笑いを漏らした。


「だからこそ、俺は、お前らみたいな連中に、肩入れしたくなるんだろうなあ。皮肉なもんだ」


 シークはその言葉を、しばらく黙って聞いていた。


「なあ、ウォルター」


「なんだ」


「さっきの質問、答えてあげてもいいよ」


「あ?」


「好きな食い物。強いて言うなら、甘いもの。前に、市場の隅で盗み食いした、なにかの菓子の味が、忘れられないんだ」


 ウォルターは一瞬、呆気に取られたようにシークを見つめた。それから、大きく笑い出した。


「なんだ、ちゃんと答えられるんじゃねえか! 今度、奢ってやるよ、その菓子とやらを」


「別に、期待してない」


 シークはそう言いながらも、僅かに口の端を緩めていた。


「ついでに聞くけどよ、お前ら、歳はいくつなんだ」


 ウォルターが、思い出したように尋ねた。


「十七歳だよ」


 カースが、短く答えた。


「俺は、十五くらい」


 シークも、続けて答える。


「へえ、そんなに若かったのか。お前らの纏ってる空気が、あんまりにも殺伐としてるから、実際の歳より、ずっと上に見えてたぜ」


「ウオルター、いくつなの?」


 カースが、逆に尋ねた。


「俺か? 二十代半ばってとこだ。まあ、貴族の家名を捨ててからは、歳なんぞ、数えるのも馬鹿らしくなっちまったがな」


 ウォルターはそう言って、乾いた笑いを漏らした。


「なあ、坊主ども。復讐が終わったら、何をしたい、とか考えたことはあるか」


 その問いに、カースもシークも、しばらくの間、沈黙した。風の音だけが周囲を通り抜けていく。


「考えたことは、ないよ」


 カースが、静かに答えた。


「復讐を終えた先のことなんて、想像したこともなかった。ただ、目の前の敵を、一つずつ潰すことしか、考えてこなかった」


「俺も、同じだ」


 シークも、感情の薄い声で頷いた。


「未来なんてものを、思い描く習慣が、そもそもなかったね」


「そうかよ」


 ウォルターは、少し困ったように頭を掻いた。

 二人の暗い横顔を、――そもそもそれが不幸とも思っていない顔を交互に見つめ、諦めたように大きなため息をつく。それから、呆れつつも愛おしそうに苦笑を浮かべると、横にいたカースとシークの頭へ乱暴に手を伸ばし、ワシワシと頭を撫で回した。


「まあ、いつかでいい。せめて、一つくらいは、復讐以外の楽しみを見つけとけ。じゃないと、全部終わった後に、空っぽになっちまうぞ」


「――? ウォルターには、あるの。復讐以外の楽しみとやら」


 カースが、静かに尋ねた。


「あるさ」


 ウォルターは、少し照れくさそうに笑ってみせた。


「いつか、家名も、過去のしがらみも全部捨てて、どこか静かな田舎町で、酒場でも開いてみたいと思ってる。剣を握らなくていい、平和な暮らしをな」


「らしくないね」


「うるせえ。俺だって、こんな血生臭い生き方を好き好んでるわけじゃねえんだよ」


 ウォルターは、そう言って笑うと、遠い目で崩れた壁の向こうの空を見上げた。


「なあ、シーク。お前は、好きなものってあるか。食い物以外でだ」


「星を見るのが、嫌いじゃないよ」


 シークが、ぽつりと答えた。


「デュベル邸の地下にいた頃は、空なんて見る機会もなかった。夜、こうして外で寝ていると、たまに綺麗な星が見える。それだけで悪くないと思えた」


「意外と、詩的なこと言うじゃねえか」


「茶化すなら、二度と話さない」


「悪い悪い、冗談だよ」


 ウォルターは、笑いながら両手を上げて謝った。


 その日の鍛錬は、いつもよりも長く、そして、どこか穏やかに続いた。




 それから幾日もの日々が、同じように積み重なっていった。


 朝はウォルターの指導で、体さばきと呼吸の読み方を叩き込まれる。日中は、ガルトが集めてくる情報を、カース自らが一枚一枚、丹念に読み解いていく。夜になればシークと組んで、暗殺の連携――誰がどの角度から、どの瞬間に牽制を入れるか――を、幾度となく確認し合った。


 鎖を振るう腕は繰り返す鍛錬の中で、少しずつ無駄のない動きへと磨かれていった。最初はぎこちなかった呼吸の合わせ方も、ウォルターとシーク、二人の呼吸と自然に噛み合うようになっていく。

 時には三人揃って狭い部屋の卓を囲み、集めた情報を突き合わせながら、夜更けまで作戦を練ることもあった。時には根を詰めすぎたシークが、鍛錬の途中で糸が切れたように眠り込み、ウォルターが呆れながらもその体に薄い布をかけてやることもあった。



 そうして、四人が揃ってから半月が過ぎた。


 ガルトが集めた情報網、ウォルターが叩き込んだ戦術、シークが磨いた暗殺の技――それらすべてが、たった一つの標的のために注ぎ込まれていた。


 カースの、最初の――そして最も個人的な標的。


 名を、アルベルト・フォン・ライハルト。


 精霊術『聖炎の光輪(グラディウスイグニス)』を無邪気に振るい、ミミを、トウマを、リタを、チビを、そしてネロを、靴の泥を理由に焼き殺した、あの男。

 ライハルト家は、この国の政治と軍事を裏から支配する「七大貴族」の一角を占める名家だった。歴代当主は皆、精霊との強い契約を誇り、精霊騎士団の要職を独占してきた血筋。アルベルト自身も、若くしてその家の跡取りとして、既に確かな実力を認められた精霊使いだった。


「あいつは、七大貴族の中でも、飛び抜けて精霊術の腕が立つって噂だ。正面切って喧嘩を売る相手じゃない」


 ガルトが地図を広げながら、珍しく真剣な声で告げた。


「七大貴族が抱える私兵団の精鋭とはわけが違う。あの男自身が、下手な部隊よりよっぽど厄介だ」


「わかってる」


 カースは、静かに頷いた。

 これまで討ってきた騎士や兵士たちとは、格が違う。だが、退くつもりは、微塵もなかった。


「今夜だ」


 ガルトが地図を広げながら言った。ライハルト家の別邸――王都の外れにある、警備の薄い離宮。今夜、そこで内輪だけの小さな夜会が開かれるという情報が入っていた。


「本邸に比べりゃ守りは薄い。だが油断はするなよ。精霊騎士団の兵が最低でも十人は詰めてるはずだ」


「問題ない」


 ウォルターが剣を鞘に収めながら、いつもの軽薄な調子で応じた。


「十人程度、俺とシークで十分だろ。なあ?」


「異存はないね」


 シークが、感情の薄い声で頷いた。この半月で、彼の目にはわずかながら人間らしい輝きが戻り始めていたが、戦いに臨む時の静けさだけは変わらなかった。


「カースは正面から行け」


 ガルトが、地図の一点を指差した。


「あいつは、自分が誰にやられたか、はっきり理解した状態で死ぬべきだ。裏からこそこそ殺しても、意味がねえ」


 カースは、無言で頷いた。




(第7話-3「第一の惨劇」へ続く)

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