第7話-1「第一の惨劇」
デュベル邸での一件から、数日が過ぎた。
ガルトの店の裏手には、いつの間にか四人が寝起きするための一角が用意されていた。元々は物置として使われていた部屋を、ガルトが「暇な時にでも使え」と、押し入れの中身を放り出して空けてくれたのだった。
「男四人には狭いな」
ウォルターが運び込まれた粗末な寝台を部屋に並べながら、ぽつりと呟いた。
「寝台で寝られるだけ、ありがたいよ」
カースが寝台に触れながらあっさりと返した。
「シーク、お前はこっちを使え」
ウォルターが示したのは、部屋の中でも一番隙間風の入らない壁際の寝台だった。
「俺は、どこでもいい」
シークは感情の薄い声で答えながらも、示された寝台の縁に、そっと腰を下ろした。
「どこでもいいなら、なおさら体を冷やさない場所に寝ろ。お前この間の戦いで、まだ傷が完全に塞がってねえだろうが」
ウォルターは、シークの頬に残るまだ薄く痕の残る傷を一瞥した。
「痛みは感じないよ」
「痛みを感じなくても、傷は治りが遅くなるんだよ。体の仕組みってのは、そういうもんだ」
ウォルターは懐から取り出した薬草の軟膏を、無造作にシークへと放って寄越した。
「寝る前に、それを塗っとけ。ガルトが裏社会の伝手で仕入れてきた上物の薬草だ」
シークは受け取った小瓶を、しばらくじっと見つめていた。
「なぜ、そこまでするわけ?」
「あ?」
「痛みを感じない道具に、薬なんて意味がない。無駄なことのはずでしょ」
ウォルターは片眉を上げてシークを見た。それから、呆れたように、けれど優しい調子でため息をついた。
「お前な、いい加減、その道具って言い方をやめろ。傷を治すのに、意味も無駄もあるか。人間の体は、そうやって手当てするもんなんだよ」
「俺は」
「道具じゃない。今夜何度目だ、その台詞」
ウォルターは、シークの頭を軽く小突いた。
「いいから、さっさと塗って寝ろ。明日は、飯を作る当番を決めるからな。お前にも、ちゃんと働いてもらうぞ」
シークは小突かれた頭に、僅かに手をやりながら戸惑ったように瞬きをした。その光景を部屋の入り口から眺めていたガルトが、小さく笑った。
「ウォルターの奴、口じゃ厳しいこと言いながら、結局は世話焼きなんだよなあ」
「ガルトもね」
カースが、ぼそりと返す。
「言うなよ、坊主」
ガルトは、苦笑しながら頭を掻いた。
その夜、四人はガルトの店の奥にある小さな厨房で、簡素な夕食を囲んだ。硬いパンと、具の少ないスープ。それでも、湯気の立つ食事を誰かと一緒に食べるということが、カースにはどこか懐かしく、そしてくすぐったいものに感じられた。
「あー、不味い」
シークが、スープを一口啜って、ぼそりと呟いた。
「文句あるなら、明日は自分で作れ」
ウォルターが、すかさず切り返す。
「作る。俺のほうが、うまく作れると思う」
「へえ、暗殺の技術以外にも、料理の腕前があるってか。楽しみにしとくよ」
軽口の応酬を、ガルトが豪快に笑いながら眺めていた。
「いい光景じゃねえか。まるで、家族みたいだ」
その一言に、カースは、スプーンを持つ手を、僅かに止めた。
「家族……」
その言葉が、胸の奥の、まだ塞がりきっていない場所を、そっと撫でていく。
骨の街での日々。ミミの笑い声。トウマの得意げな顔。リタの優しさ。チビの寝息。そして、ネロの温もり。
あの頃の「家族」は、もうどこにもいない。あたたかな灯火はすべて破滅の炎に呑み込まれ、自分の腕の中から溢れ落ちてしまった。
胸の奥がぎゅっと絞られるような痛みが走る。同時に、いま目の前で他愛もない軽口を叩き合う三人の姿が、熱を帯びて網膜に焼きついた。
(また、失うかもしれない。)
自分が関わることで、この温もりもいつか無残に壊れてしまうのではないかという、冷たい恐怖が背筋を撫でる。だが、それ以上に……いまスープの湯気の向こうに見える光景は、暗闇に落ちたカースの心を、赦すように温めていた。あの頃とは違う形だが、これもまた、失いたくない確かな温もりだった。
「どうした、坊主」
ガルトが、カースの立ち止まった様子に気づいて、声をかけた。
「……ううん」
胸の波立つ感情を悟られまいと、カースは小さく首を振ると、溢れそうになる寂しさを押し殺すように、スープを一口、飲み干した。喉を通るスープの温かさが、泣きそうになる胸の奥へじわりと広がっていく。
「なんでもない」
カースは小さく首を振ると、またスープを一口、飲み干した。
食事を終えた後、カースは一人、店の奥の小部屋にこもり、これまでガルトが集めてきた情報を整理していた。
卓の上には、アルベルト・フォン・ライハルトに関する報告書が、幾重にも積み上げられていた。彼の日々の行動、警備の配置、屋敷の見取り図、そして、彼が今夜のような小さな夜会を頻繁に開いているという習性まで。
「随分と、詳しく調べたな」
いつの間にか部屋に入ってきていたウォルターが、卓の上の報告書を覗き込んだ。
「ガルトの情報網は、伊達じゃない」
カースは報告書の一枚を手に取りながら、静かに答えた。
「離宮の警備は、本邸より薄い。夜会が開かれる日は、精霊騎士団の私兵が最低限しか配置されない」
「用意周到だな、坊や」
ウォルターは椅子を引き寄せて腰掛けると、報告書の別の一枚に目を通した。
「憎しみだけで突っ走ってるのかと思ってたが、案外、頭も使うんだな」
「憎しみだけじゃ、また誰かを失うから」
カースは報告書から視線を上げず、静かに呟いた。握りしめた報告書の紙端が、僅かに皺を寄せる。
カースの頭裏には、あの日、無力なまま奪われていった者たちの叫び声が鮮明に残っていた。怒りに任せて敵に飛び込むだけでは、何も守れない。大切なものを奪われた絶望と、二度と立ち上がれないほどの後悔は、もう十分すぎるほど味わったのだ。
「ミミたちを守れなかったのは、僕が弱かったからだ。もう、同じ過ちは繰り返したくない」
その言葉に、ウォルターは、少しの間黙り込んだ。
「そうだな」
彼は静かに頷くと、報告書の束を丁寧に整え直した。
「なら、俺も付き合ってやる。お前の『用意周到』に、もう少しだけ磨きをかけてやろうか」
ウォルターの力強い言葉に、カースは静かに顔を上げた。卓上の蝋燭が揺れ、集まった仲間たちの影を壁に大きく映し出す。
これは、ただの復讐の記録ではない。自分の過去に決着をつけ、そして今、自分に「居場所」をくれた彼らと共に生き残るための、命がけの誓いだった。
その夜、闇の中で灯された蝋燭の明かりを囲みながら、四人は、それぞれの立場で来るべき戦いへの準備を進めていった。
複数人で囲む食卓、他愛のない軽口、そして、共に立てる作戦。
それは、カースがかつて失ったものとは、また違う形をした確かな「居場所」だった。
(第7話-2「第一の惨劇」へ続く)




