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第97話 玉虫色の解決

11月5日、木曜日――


福岡県警の内部は、朝から騒然としていた。


電話のベルが途切れず鳴る。

廊下を走る足音。

別班の怒鳴り声。

コピー機の唸り。


どこを見ても、誰かが何かに追われていた。


捜査本部責任者・宇都宮浩太郎の遺体と思われる焼死体が、井原山の駐車場で発見された。

さらに同じ朝、博多区の高架下では若い女性の変死体が見つかった。


この2つだけでも、県警全体を揺るがすには十分だった。


だが、5班の小早川陽介たちは、それと並行してもう1つの事件を抱えていた。


昨夜、晴明女子高の生徒会室で見つかった女子生徒の遺体である。


被害者は、晴明女子高の生徒会長――甲斐瑠璃子。


城戸谷留美が狙われている。

そこへ全神経を注いでいた読みは、完全に裏をかかれた形だった。


午前10時を回った頃、小早川は自席に腰を下ろしたまま、天井を見上げていた。


考えることが多すぎて、頭の中が妙に静かだった。


その静けさを、甲高い声が切り裂いた。


「小早川くーん!」


香水の匂いを先に運んで現れたのは、監察医の佐伯理香子だった。


小早川はすぐに立ち上がる。


佐伯はヒールの音を響かせながら近づき、数枚の資料を小早川の胸元へ突き出す。


「意外なことがわかったわ」


息を整えながら言う。


「今朝未明、博多区の高架下で見つかった女の遺体だけど――」


そこで一度区切った。

わざと間を作ったようにも見えた。


「着ていた服のポケットから、ロープが見つかったの」


佐伯の目が小早川を射る。


「そのロープから、昨夜、晴明女子で見つかった子のDNAが検出されたわ」


「……何ですって?」


小早川は思わず身を乗り出した。


近くで聞いていた清水楓も立ち上がる。


「それって……」


清水の声も、わずかに上ずる。


「その女が、今回の事件の実行犯だってことですか?」


佐伯は清水を一瞥し、静かに答えた。


「その可能性は、かなり高いわね」


それだけ言い残すと、佐伯は再び香水の匂いを引き連れて去っていった。



残り香が消えた後も、小早川はしばらく立ったままだった。


やがて、ゆっくり椅子へ腰を下ろす。

腕を組み、視線を机の上へ落とす。


たしかに、現時点で“実行犯”と思われる人間たちは見えてきた。


原口和人。

宇都宮浩太郎。

そして、今朝遺体で見つかった女。


普通に考えれば、被疑者死亡のまま事件は終結に向かう。

そう整理することもできる。


だが――


小早川の中には、どうしても拭えないものが残っていた。


事件そのものは、閉じかけている。

なのに、色だけが濁ったままだ。


解決した、と言い切るには、あまりにも手触りが悪い。


玉虫色。


小早川の中では、この事件は未だその色をしていた。


しばらくして、須賀修一と矢野一哉が戻ってきた。


「どうだった?」


小早川が顔を上げる。


2人は小早川のデスクの上に、複写された書類を何枚か置いた。


須賀が先に口を開く。


「原口和人の口座です」


紙の1枚を指で押さえる。


「複数回にわたって、大きな金額が振り込まれていました」


銀行の取引記録だった。


9月30日――100万円。

10月8日――200万円。

10月15日――200万円。


小早川は目を細める。


「なるほどな……」


低く言う。


「最初の100万円は着手金、その後は1件ごとの成功報酬と見るのが自然か。そうすると、5件すべてやれば合計1,100万円になる」


指先で数字を追いながら、さらに続けた。


「送り主は――」


紙面の名義欄に視線を止める。


「“リリス”か。やはりな」


矢野が小さく息を吐いた。


「弟の学費に充てるって話も、全部が嘘ってわけじゃなさそうですね」


「そういうことだろうな」


小早川は紙面から目を離さずに言う。


須賀が眉をひそめる。


「でも、よくこんな大金を用意できましたよね」


首を傾げた。


「普通の個人じゃ、そう簡単には動かせない額ですよ」


その一言に、小早川は即座に反応した。


「そこだ」


顔を上げる。


「振込先の照会を銀行へ依頼してくれ。簡単に尻尾を掴ませるとは思えんが……それでも、やるしかない」


言葉の最後は、自然と沈んだ。


原口和人は、ただの実行犯だったのか。

宇都宮は、ただ狂った警察官だったのか。

そして“リリス”とは、いったい何者だったのか。


目の前には、“解決”と呼べる形の書類が並び始めている。


実行犯の線。

金の流れ。

被疑者死亡。


終結へ向かう条件だけなら、もう十分すぎるほど揃っていた。


それなのに、小早川の中では何ひとつ片づいた感じがしない。


触れた感触だけが、ずっと濁っている。


喉の奥が、じわりと焼けるようにひりついた。


目の前に“解決”の形だけは見えている。

それなのに、その奥にまだ何かがいる。


小早川は、無意識に奥歯を噛みしめていた。


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