表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
91/105

第91話 闇を纏った男

男は留美の背中に拳銃を押し当てたまま、ゆっくりと歩を進めた。


「少しでも妙な真似をしたら……撃つ」


低い声だった。

その言葉と同時に、背中に当たる硬い感触がいっそう強くなる。


留美は息を詰めた。


隼人もまた、留美の歩幅に合わせるように、すぐ隣を歩いていた。

顔は強張り、視線は前に固定されたままだ。


少し離れた場所では、小早川たちも無線越しに状況を把握していた。


「迂闊に手を出すな……」


低く抑えた小早川の声。


「了解」


清水が短く返す。


須賀、矢野、清水、小早川。

4人はそれぞれ距離を取り、人の流れや車の陰に紛れながら、留美たちの動きを追っていた。



およそ5分後――


建物から少し離れた駐車場に着いた。


出入口の奥のスペースは薄暗く、停まっている車も疎らだ。

人の気配は、ほとんどない。


その一角に、黒のミニバンが停まっていた。


男はようやく立ち止まり、拳銃を留美へ向けたまま、2人の正面へ回り込む。


黒いキャップ。

黒のジャンパー。

黒いパンツ。


全身を黒で固めた姿は、駐車場の薄闇にほとんど溶け込んでいた。


キャップのつばの下から覗く顔には、縁なし眼鏡。

レンズが、離れた街灯の光を鈍く反射している。


隼人の喉がひくりと動いた。


「……宇都宮さん」


その一言で、空気が変わった。


宇都宮浩太郎警視正。

一連の事件の捜査本部責任者。


留美の胸ポケットに仕込まれたマイク越しに、その名前を聞いた小早川たちも息を呑んだ。


宇都宮は表情を動かさない。

ただ、その目には、追い詰められた人間の焦りより、邪魔された人間の苛立ちの方が濃く見えた。


「乗れ」


黒いミニバンを顎で示す。


「最後の仕上げだ」


留美の脚が、がたがたと震えた。

立っているだけで精一杯だった。


この男が。

梓沙を殺したのか。


そう思った瞬間、心臓がさらに速く打ち始める。


その時だった。


バンッ!


乾いた破裂音が、駐車場の空気を切り裂いた。


「……っ!」


宇都宮の顔がわずかに歪む。

短い呻きが漏れた。


次の瞬間、宇都宮の手から拳銃が落ち、アスファルトの上を短く滑った。


右手の甲から血が滲んでいる。


小早川の一発だった。


離れた位置から、宇都宮の手元だけを正確に撃ち抜いたのだ。


留美は考えるより先に反応していた。


ほとんど無意識だった。


転がった拳銃を、後ろへ思い切り蹴り飛ばす。


カラカラ、と乾いた音を立てながら、拳銃は10メートル近く先まで滑っていく。


それを見逃さなかったのは、いちばん近くの車両の陰で待機していた矢野だった。


矢野は一気に飛び出し、拳銃を拾い上げる。

そのまま宇都宮へ銃口を向けた。


だが、宇都宮の反応は速かった。


傷ついた右手を押さえながら、咄嗟にミニバンのドアを開ける。

運転席へ滑り込み、エンジンをかけた。


「まずい!」


清水が叫ぶ。


ミニバンは急発進し、その場で乱暴に切り返す。

タイヤがアスファルトを噛み、甲高い音が響いた。


そして次の瞬間――

車体が、留美と隼人のいる方へ真っすぐ突っ込んできた。


エンジンの轟音。

タイヤの軋み。

薄闇の静寂が、一気に破られる。


「危ない!」


清水が飛び込んだ。


留美と隼人の体を、まとめて横へ突き飛ばす。


3人はもつれ合うようにアスファルトへ転がった。


息が詰まる。

肩に激痛が走る。

だが、立ち上がるより先に、ミニバンは目の前を掠めるように通り過ぎていった。


「大丈夫か!」


小早川が駆け寄る。


須賀と矢野は逃走するミニバンを追おうとしたが、車の加速が速すぎた。


黒い車体は駐車場を抜け、そのまま市街地の方へ走り去っていく。


小早川は、まず留美、隼人、清水の無事を目で確認した。

それから即座に無線を取る。


「女子高生連続殺人事件の被疑者が、福岡タワー駐車場から西新方面へ逃走中! 車種は黒のミニバン、ナンバーは福岡▲の■■■■――」


一呼吸置き、さらに続ける。


「被疑者は、宇都宮浩太郎警視正。至急、緊急配備を要請する!」



騒然とした空気の中、小早川はようやく留美の方へ向き直った。


「……よくやった」


低く言う。


「咄嗟の判断で、あそこまで動ける人間はそういない」


小早川は一度言葉を切り、それから小さく頭を下げた。


「だが、怖い思いをさせてしまった。本当にすまない」


留美は、すぐには何も言えなかった。

まだ呼吸が整わない。


足も、腕も、震えたままだった。


その一方で、小早川はすぐ隣に立つ隼人へ視線を移す。


「大塚隼人くん――だね?」


隼人は黙って頷いた。


「聞きたいことがある。署まで一緒に来てもらう」


小早川の声は静かだったが、拒否を許さない硬さがあった。


隼人はもう一度、小さく頷いた。


その顔には、先ほどまでの狼狽とは違うものが浮かんでいた。


逃げることをやめた人間の顔だった。


戻ってきた須賀と矢野が隼人を促す。


隼人は2人に挟まれるようにして、先へ歩き始めた。


「隼人!」


留美は一度だけ、大きく呼んだ。


隼人は振り返らない。


そのまま、駐車場の薄闇の向こうへ消えていった。


留美は立ち尽くしたまま、その背中が見えなくなるまで視線を送っていた。


さっきまで、たしかに目の前にいたはずなのに、もう届かない場所へ行ってしまった気がした。


見上げた夜空には、細い三日月の輪郭がかすかに沈んでいた。


そのどこかから、青い光だけが、ひっそりと地上を見下ろしているように思えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ