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第90話 留美と隼人

最寄りの地下鉄・西新駅から、福岡タワーまでは徒歩で約20分。


城戸谷留美は、海風の混じる夕方の道を歩きながら、ずっと隼人のことを考えていた。


なぜ今日、この時間帯に自分を呼び出したのか。

先週の水曜日、梓沙を呼び出したのは本当に隼人なのか。

そして、一連の連続殺人と何か関係があるのか。


同じ問いが、頭の中を何度も巡る。


少し離れた場所に、小早川たち刑事4人の気配があった。

人の流れに紛れ、距離を保ちながら、こちらを見ている。


最初は、警察に相談したことへの罪悪感もあった。


隼人を疑うようなことを、自分がしている。

その感覚は、たしかに苦かった。


だが、福岡タワーが近づくにつれて、その苦さは少しずつ別のものに押し出されていく。


不安。

苛立ち。

怒り。


なぜ、今さら。

なぜ、水曜日の夕方に。

なぜ、何も説明しないまま呼び出したのか。


留美の胸の中で、それらが静かに渦を巻いていた。



福岡タワーに着いたのは、午後6時を少し過ぎてからだった。


電車の待ち時間が長かったこともある。

そして、足取りが自然に遅くなっていたこともある。


会いたい。

でも、会いたくない。


そんな矛盾した気持ちが、知らないうちに歩幅を鈍らせていた。


空は、もうかなり暗くなりかけていた。

タワーの周囲ではイルミネーションが灯り始め、人工的な光が夕暮れを押し返している。


留美は1階のロビーへ入ると、周囲を見渡した。


その時だった。


背後に、人の気配が近づく。


「……留美」


聞き覚えのある、少し掠れた声。


留美は弾かれたように振り返った。


隼人だった。


「呼び出して悪かった」


隼人は低く言った。


「それに……ずっと連絡しなくて、ごめん」


顔色は悪く、頬も少しこけて見えた。

ここしばらく会わなかっただけなのに、別人みたいに疲れ切っている。


声を出すたび、喉のどこかが擦れるみたいだった。


一瞬、留美は言葉を失った。


会えた。

本当に来た。

無事だった。


そんな安堵が胸をよぎった次の瞬間――


「バカ!」


留美の口から、感情が先に飛び出していた。


「どうして今まで連絡くれなかったの? それに、水曜日のこんな時間に呼び出すなんて……!」


会えた嬉しさより、溜まっていた怒りの方が先に噴き出した。


本当は、もっと違うことを言うつもりだった。

心配した、とか。

何があったの、とか。


けれど、実際に隼人の顔を見た瞬間、先に出たのは責める言葉だった。


隼人は俯いたまま、すぐには答えなかった。


数秒の沈黙。


周囲では観光客の声が響いている。

だが、留美にはその喧騒がひどく遠く感じられた。


「……どうしても、留美に話しておきたいことがある」


隼人は、ようやくそう言った。


声は低く、重かった。


「ここじゃ話しにくい」


隼人はガラス越しの外を見た。


「あそこのベンチで話さないか」


指差した先には、建物の外、入口近くのベンチが見えた。


小早川たちは、建物の内外に分かれて待機している。

留美の胸ポケットには小型マイクが仕込まれていて、会話は刑事たちにも聞こえるようになっていた。


留美は言葉を返さず、小さく頷いた。


隼人が先に歩き出す。

留美は少しだけ距離を空けて、その後を追った。



2人は、入口近くのベンチに並んで座った。


留美は無意識のうちに、隼人との間に少し距離を取った。

隼人も、その意味をわかっているようだった。


少し離れた別のベンチには、清水と矢野がカップルを装って座っている。

その姿が視界に入っただけで、留美はわずかに呼吸を整えることができた。


数秒の沈黙。


やがて隼人が、大きく息を吐いた。


「もう気づいてると思う」


視線は足元に落としたままだった。


「先週の水曜日、梓沙と電話していたのは……俺だ」


留美は何も言わなかった。


そうかもしれない、と薄々思っていた。

けれど、実際に隼人の口から聞かされると、胸の奥がぎゅっと縮む。


「あの日、梓沙に電話して、博多駅近くの立体駐車場まで呼び出した――」


その瞬間、留美は反射的に口を開いていた。


「じゃあ……あなたが梓沙を殺したの?」


自分でも驚くほど、声が強かった。


隼人が顔を上げる。

一瞬だけ留美を見る。


「俺じゃない!」


今度は隼人の方が、声を荒げた。


留美の肩がびくりと震える。


周囲の空気が、一気に張り詰めた。

少し離れた場所にいる清水たちの視線も、確実に鋭くなるのがわかった。


隼人はすぐに自分の声の大きさを悔いるように、再び視線を地面へ落とした。

肩で息をする。


「……たしかに俺は、梓沙を呼び出した」


苦しそうに言う。


「それに……梓沙の死体を、“指示された場所”に置きに行ったのも俺だ……」


留美の指先から、すっと血の気が引いた。


口の中が乾く。

喉がうまく動かない。


信じたくない。

でも、次の言葉を待ってしまう。


隼人は小さく息を吐いた。


「これだけは……留美にだけは言っておきたかった。だから、先週の木曜日にメールしたんだけど……もうそこからは、話す気力がだんだんなくなっていったんだ」


その言葉が、かえって留美を追い詰めた。


数秒の後、今度は留美が絞り出すように言う。


「じゃあ……梓沙を殺したのは、誰?」


隼人は目を閉じ、ゆっくりと顔を上げた。


「殺したのは――」


そこまでだった。


「動くな」


低い男の声が、すぐ背後で響いた。


同時に、留美の背中に硬いものが押し当てられる。


冷たい。

金属だと、すぐにわかった。


隼人の目が、わずかに留美の背後へ動く。


その表情を見た瞬間、留美は理解した。


拳銃だ。


少し離れたベンチの清水と矢野が、立ち上がりかける。

だが、まだ飛び込めない。

空気が一気に変わった。


「ゆっくり立て」


背後の男が言う。


「そして、この先の駐車場まで歩くんだ」


背中から、冷たい感触が離れない。


夜気は冷えているはずなのに、留美の全身から汗が噴き出していた。


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