第88話 隼人からのメール
11月3日、火曜日、祝日――
城戸谷留美が、彼氏の大塚隼人からのメール着信に気づいたのは、午前8時ちょうどだった。
留美は朝が弱い。
休日ともなれば、正午近くまで眠っていることも珍しくない。
だがその朝は、眠りの底を一気に引き上げられるように目が覚めた。
隼人からのメールだけに設定してある、特別な着信音。
耳に入った瞬間、留美は反射的に上半身を起こした。
一気に眠気が飛ぶ。
数日ぶりの連絡――
その事実に心が跳ねた。
だが同時に、胸の奥で何かがざらついた。
スマホを開く。
画面に表示されていたのは、短い一文だった。
《話したいことがある。明日の午後6時に、福岡タワーの1階に来てほしい》
留美はすぐに返信した。
《連絡がないんで心配してた。どうしたの?》
送信直後、既読がつく。
その速さに、かえって胸がざわついた。
読んだなら、すぐ返せるはずだ。
そう思った。
1分。
10分。
30分。
だが返信は来ない。
1時間が経っても、画面は静かなままだった。
留美は我慢できずに通話ボタンを押した。
呼び出し音が、やけに長く感じられる。
1分近く鳴らし続けたが、隼人は出なかった。
どうして今になって?
何を話したいのか?
そもそも、この数日、何をしていたのか?
訊きたいことはいくつもあった。
だが留美にとっていちばん大きかったのは、やはりひとつだった。
どうして、今まで返事をくれなかったのか?
その疑問が、胸の奥に刺さったまま抜けない。
それと同時に、別の不安も膨らんでいた。
連続殺人は続いている。
被害者たちは皆、水曜日に殺された。
隼人が指定してきたのは、水曜日の夕方6時。
偶然だろうか?
留美は唇を噛んだ。
あれほど自分のことを心配してくれていた隼人が、なぜ、そんなタイミングを選ぶのか?
考えれば考えるほど、違和感だけが濃くなる。
部屋の中は冷え切っているのに、背中にじっとり汗が滲んでいた。
留美はふと、カーテンの隙間から外を見た。
家の近くの道路脇に、1台の車が停まっている。
私服警官の車両だ。
その姿を認めた瞬間、留美は考えるより先に動いていた。
着替えてから部屋を飛び出し、車の方へ向かう。
中にいたのは、清水楓と矢野一哉だった。
留美の姿に気づいた清水が、すぐに窓を下ろす。
「どうしたの? 何かあった?」
目を見開きながら問いかける。
留美は一度だけ息を飲み込み、小さく言った。
「……相談したいことがあります」
2人はすぐに車を降りた。
留美はそのまま、自宅のリビングへ2人を案内した。
*
リビングのテーブルを挟み、留美と清水たちは向かい合って座った。
留美はスマホをテーブルの上に置く。
画面には、隼人から届いたメールが表示されたままだ。
「ここ数日、連絡が取れなかった彼氏からのメールです」
留美は自分でもわかるくらい硬い声で言った。
「それが、今朝いきなり届いて……」
清水と矢野が画面に目を落とす。
清水の表情が、その一文を読んだ瞬間に少し固くなった。
留美は、その反応を見ながら、胸の奥にある“何か”を言葉にしようとしていた。
ただの恋人同士の行き違い。
そう思いたかった。
だが、どうしても引っかかる。
隼人から急に連絡が来なくなったのは、梓沙が殺された翌日からだった。
それまでは、短くても何かしら返事があった。
その時期の重なりが、今になっていやに気味悪く見え始める。
そして今になって、ふと思う。
梓沙が殺された日の夕方、彼女が電話で話していた相手は、隼人だったのではないのか?
その考えが頭をよぎった瞬間、留美の背中を冷たいものが走った。
自分でも、考えすぎだと思う。
無関係であってほしいとも思う。
けれど、無視できない。
留美は、ぽつりぽつりと説明を始めた。
ここ数日、隼人と音信不通だったこと。
隼人がT塾の先輩であること。
殺された梓沙とも顔見知りだったこと。
そして今になって急に呼び出され、その内容にどうしても強い違和感があること。
話しながら、胸が痛んだ。
隼人のことを警察に話す。
それは裏切りに近い行為のようにも思えた。
だが今の留美にとって、それ以上に嫌だったのは――
自分がどこか危険な方向へ、誰かに静かに誘導されているような感覚だった。




