第83話 歪んだ願望
9月1日、火曜日――
晴明女子高の後期授業開始日。
その日の午前中、全校集会では水泳部の県大会入賞者が表彰された。
2年生の斉藤恵梨香は、県大会3位という成績を収め、壇上で賞状を受け取った。
拍手を浴びた放課後。
その斉藤恵梨香は、生徒会室にいた。
呼び出したのは、生徒会長・甲斐瑠璃子。
室内には瑠璃子の他に、数人の生徒会役員もいた。
県大会3位に至るまでの経緯を取材したい――
それが表向きの理由だった。
だが、恵梨香は最初から気づいていた。
ここに呼ばれた本当の理由は、そんなものではないと。
今回で3回目だ。
表向きの理由は、毎回違った。
生徒会室には、甘ったるい香水の匂いが満ちていた。
その匂いだけで、頭がぼんやりする。
恵梨香は壁際に立ったまま、強張った表情を崩せなかった。
瑠璃子が、ゆっくりと近づいてくる。
音を立てない足取り。
微笑んでいるのに、目だけは少しも笑っていない。
そして瑠璃子は、何気ない仕草のように、恵梨香のスカートの裾へ指先を触れさせた。
「ひっ……」
恵梨香の喉から、短い悲鳴が漏れる。
だが、瑠璃子の表情は変わらない。
いや――
わずかに、愉しんでいるように見えた。
*
瑠璃子のお気に入りは、恵梨香だけではなかった。
3年生の佐野里穂と三田村安奈。
2年生の中林梓沙と城戸谷留美。
そして、目の前にいる斉藤恵梨香。
彼女たち5人には、共通点があった。
全員が中学時代、“T塾”に通っていたこと。
そして、全員が晴明女子高を目指していたこと。
佐野里穂と三田村安奈は、同学年の生徒として、比較的早い段階から瑠璃子の視界に入っていた。
斉藤恵梨香、中林梓沙、城戸谷留美については、違う曜日に塾へ足を運んだり、夏季や冬季の限定講習にも顔を出しながら、わざわざ物陰から観察した。
時間をかけて、顔と名前を覚えた。
誰がどんな顔で笑うのか。
誰が誰と親しいのか。
制服の着こなしはどう違うのか。
スカートの丈は、歩くとどんなふうに揺れるのか。
瑠璃子は、そういうことを、ずっと見ていた。
抜群のITスキルを持つ彼女にとって、T塾の簡易な名簿データへ不正アクセスすることは、たいした障害ではなかった。
名前も、住所も、在籍クラスも、すぐにわかった。
彼女たちを支配したい。
その願望は、最初は漠然とした憧れのようなものだった。
だが、見れば見るほど、知れば知るほど、形を変えて膨れ上がっていった。
近づきたい、ではない。
仲良くなりたい、でもない。
自分の手の中で怯えさせ、その反応ごと確かめたい。
それはもう、願望というより衝動でもあった。
目の前の恵梨香のスカートに触れる。
その下から伸びる、引き締まった脚が小刻みに震えていた。
その震えが指先から伝わった瞬間――
瑠璃子の頭の奥で、何かが弾けた。
*
その日の夜。
瑠璃子は自室の照明を落とし、ノートパソコンを開いた。
静まり返った部屋の中で、画面の青白い光だけが、机と指先を照らしている。
彼女は半ば無意識のまま、アンダーグラウンド系の掲示板や、都市伝説めいた個人サイトを巡った。
自分でも理由はわからなかった。
ただ、どこかに“答え”がある気がした。
やがて、ひとつのサイトに目が留まる。
【リリスの部屋 ~あなたの願望を叶えます~】
いかにも胡散臭い。
最初は、そう思った。
黒背景に赤い文字。
装飾過多のデザイン。
古びたオカルトサイトのような造り。
だが、なぜか閉じる気にはならなかった。
案内は簡潔だった。
ハンドルネームを添え、リンク先のメールアドレスに“願望”を書いて送信してください――
それだけ。
瑠璃子は少し考え、ハンドルネームを“RK”と打ち込んだ。
そして、短く願望を記した。
5人のスカートが欲しい――
送信した直後、自分でも薄く笑ってしまった。
何をやっているんだろう、と。
だが翌日、帰宅してパソコンを立ち上げると、新着メールが1件届いていた。
差出人名は、リリス。
瑠璃子の喉がわずかに鳴る。
本文には、こう記されていた。
RKさまへ。
私はリリスです。次の通り行動するだけで、あなたの願望は叶います。
1.あなたにとって“思い入れのある風景”の写真を用意し、添付のアプリで加工してください。対象となる5人に関係する風景であれば、なお効果があります。
2.対象となる5人の名前をアルファベット表記にし、それぞれの名前の冒頭の“音”を抜き出してください。
3.その5つの“音”を並べたものを、差出人名として使用してください。
4.毎週金曜日の16時13分に、1人ずつ、その差出人名で加工済みの写真を送信してください。
5.そうすれば、翌々週の月曜日17時に、あなたの願望をお届けします。
瑠璃子は、しばらく画面を見つめていた。
馬鹿げている。
まともな人間なら、そう切り捨てるはずだった。
だが彼女は、疑い深い性格でありながら、同時に一度興味を持つと最後まで確かめたくなる性格でもあった。
しかも、この指示通りに動いても、自分に直接的な不利益はなさそうに思えた。
なら、試してみればいい。
その程度の軽さで、彼女は実行を決めた。
写真に選んだのは、中学時代にT塾のベランダから撮った風景だった。
何ということのない街並み。
だが、その構図が妙に気に入っていて、ずっとデータを残していた。
しかも都合がよかった。
対象となる5人は、全員T塾に関係している。
瑠璃子は添付されていたアプリを起動し、画像を読み込ませた。
数秒後――
画面に現れたのは、元の景色とは思えないほど深く、異様な青に沈んだ風景だった。
まるで海の底から地上を見上げているような青。
生きた世界の色ではない。
冷たく、湿っていて、どこか“向こう側”の気配を帯びた青。
その写真を見た瞬間、瑠璃子の腕に鳥肌が立った。
気味が悪い。
そう感じたはずなのに、目が逸らせなかった。
見ているうちに、その不気味さは次第に別の感覚へ変わっていく。
肌の内側をゆっくり撫でられるような、ぞくりとした快感。
瑠璃子は、小さく息を吐いた。
次に、5人の名前をアルファベット表記にしていく。
ERIKA
ANNA
RIHO
AZUSA
RUMI
そこから、冒頭の“音”を抜き出して並べる。
E
A
RI
A
RU
E-A-RI-A-RU
瑠璃子は、その文字列を声に出さず、頭の中でゆっくり読んだ。
――エアリアル。
不思議な響きだった。
いくつもの並びの中から自分で選んで作ったはずなのに、最初からそこにあった名前のようにも思えた。
少しだけ、背筋が粟立つ。
メールの末尾には、短い追伸が添えられていた。
「私は、すぐ近くであなたを見守っています」
その一文だけが、他の文章より妙に生々しかった。
瑠璃子は反射的に、部屋のドアの方を振り返った。
誰もいない。
それでも、すぐには画面へ視線を戻せなかった。




