第79話 同じ構図
11月2日、月曜日――
品川のホテルに宿泊した真田は、朝のうちに身支度を整え、JR横須賀線と東京メトロ丸ノ内線を乗り継いで霞が関へ向かった。
月曜日の朝の霞が関は、相変わらず乾いた緊張感に包まれている。
背広姿の男たちが、ほとんど表情を変えずに庁舎の間を行き交っていた。
真田にとっては、見慣れた景色だった。
だが、今日はどこか違って見える。
今の自分は休暇中の身だ。
しかも福岡の連続殺人を追う県警の人間として、警視庁の地下に眠る過去を確かめに来ている。
ただの懐かしさでは済まない朝だった。
本郷貞樹は、すでに庁舎の入口近くで真田を待っていた。
「来たか」
「おはようございます。本郷さん」
短い挨拶を交わし、2人は並んで庁舎の中へ入る。
手続きは、驚くほど静かに進んだ。
本郷が事前に話を通していたおかげだろう。
受付の担当者も、余計なことは聞かなかった。
エレベーターを乗り継ぎ、さらに一段暗い通路へ入る。
地下の空気は少し冷たい。
蛍光灯の白さが硬く、音まで吸い込まれていくようだった。
ここに来ると、真田は情報管理課にいた頃を思い出す。
ネットには決して出てこない資料。
処理しきれず、しかし捨てることもできず、地下に積み重ねられた記録の山。
事件の死骸、とでも呼ぶべきものが、この場所には眠っている。
本郷が、厚い扉の前で足を止めた。
「ここだ。“特別保管室”」
係員が解錠する。
重い金属音。
中へ入ると、空気が一段ひんやりとした。
可動式の棚が整然と並び、古い紙の匂いが薄く漂っている。
ただの倉庫ではない。
過去そのものを封じ込めた場所だった。
「少し待っていなさい」
本郷は担当者と短く言葉を交わし、やがて目的のファイル群を受け取った。
厚みのある紙束。
表紙には古い字体で事件番号が書かれている。
その中のひとつが、机の上へ置かれた。
「カスミソウ事件」
発生したのは昭和2年の夏。
真田は、無意識に息を詰めた。
本郷が椅子に腰を下ろし、真田にも向かいの席を勧める。
「見てみるといい。だが、君が想像している以上に嫌なものかもしれん」
真田は小さく頷いた。
資料を開く。
古い捜査報告書。
検視記録。
目撃証言。
関係者の聴取メモ。
ひとつひとつを追ううちに、昨夜までの“似ているかもしれない”が、ゆっくりと別の手触りへ変わっていった。
まず、被害者は5人。
高倉寛一。
瀬戸純夫。
下田美智雄。
和田宗一。
西郷宇喜治。
「……5人」
真田が、ほとんど独り言のように呟く。
本郷は何も言わない。
真田は、そのまま先を読む。
被害者たちは、それぞれ異なる時期に、異なる場所で死んでいる。
上着だけが奪われ、上半身は裸の状態で発見される。
だが、その少し前に“カスミソウ”と名乗る存在から、青い絵の具を使用した手描きの風景画を受け取っていたという記録が残っている。
青い風景画。
写真ではない。
そこは違う。
だが、“風景”が先に届き、その後に着ていたものを奪われて死が来る構図は、今の福岡の事件とあまりに近かった。
さらにページをめくる。
容疑者として浮かんだ旧華族の娘・九条花江。
そして九条花江の供述に出てくる、自称祈祷師――“莉莉須”。
真田の指先が止まる。
「莉莉須……リリス?」
その名前を口にした瞬間、高瀬千草の顔が脳裏に浮かんだ。
今の事件で現れた“リリス”という名。
そして、この過去事件にも関与していたと思われる“莉莉須”。
ここまで来ると、もう“印象が似ている”では済まない。
さらに資料を読み進めるうち、真田の視線が一箇所で止まった。
当時の警察は、被害者たちの周辺を洗う過程で、ある男を重要参考人として浮上させていた。
日露戦争に従軍経験のある元軍人。
だが、その男は本格的な事情聴取が行われる直前、下宿先の階段から転落して死亡したと記録されている。
事故として処理されたものの、当時の捜査官の手書きメモには短く、こう残されていた。
――実行犯の可能性あり。
真田は思わず息を止めた。
その男の名前が記されているはずの箇所だけが、黒く塗り潰されていた。
乱暴ではない。
むしろ、後から意図的に、そこだけを読めなくしたような塗り方だった。
ただの怪異譚ではない。
当時の捜査もまた、事件の背後に“手を動かした誰か”がいたと見ていたのだ。
しかも、その名前だけが消されている。
その不自然さが、真田の背筋をゆっくりと冷やしていった。
本郷がそこで初めて、低く言った。
「当時も、全部を“怪談”では済ませなかった人間がいたということだ」
さらに――
莉莉須は九条花江に、祈祷師らしいことを言っていた記録がある。
“思い入れのある場所の風景を青い絵の具で描き、それを彼らのもとへ送れば、欲しいものが手に入る”と。
その一文を見た瞬間、真田の指先が、膝の上でわずかに震えた。
青い風景写真。
真田は、ゆっくりと被害者5人の名前に視線を戻した。
高倉寛一。
瀬戸純夫。
下田美智雄。
和田宗一。
西郷宇喜治。
カ。
ス。
ミ。
ソ。
ウ。
“カスミソウ”。
そして今の福岡。
ERIKA。
ANNA。
RIHO。
AZUSA。
RUMI。
E-A-RI-A-RU。
エアリアル。
真田の喉が、静かに動いた。
最初は、“似ている”だけだと思った。
5人。
名乗り。
風景。
奪われた衣類。
それだけなら、まだ偶然の一致として逃げられたかもしれない。
だが違う。
リリス。
欲しいものを得るための手順。
実行犯を疑われた人物の存在。
しかも、その名前が黒く消されている。
そこまで揃ってしまえば、もう表面の一致ではなかった。
真田は顔を上げ、本郷を見た。
「……ここまで来ると」
声が、わずかに掠れる。
本郷は黙って真田を見返した。
真田は、自分の中で最後のためらいが剥がれていくのを感じながら、ゆっくりと言った。
「これは、同じ構図です」
地下資料室の冷たい空気が、その一言を静かに受け止めた。
本郷は、否定しなかった。
「再演……かもしれんな」
低い声だった。
その言葉を聞いた瞬間、真田の中の曖昧さが完全に消えた。
本郷が問う。
「複写は必要か?」
「はい。必要です」
即答だった。
もう迷いはない。
本郷は係員へ声をかけた。
複写の手配が進む間、真田は時計を見た。
まだ正午を少し過ぎたくらいだった。
地下資料室を出る時、真田は一度だけ振り返った。
無数の棚。
眠り続ける古い事件たち。
そのどこかに、まだ自分たちの知らない別の型も埋もれているのかもしれない。
だが今は、これで十分だった。
真田は資料の複写を受け取り、本郷と並んで地下通路を歩き出した。
足音は小さく響いた。
地上へ戻る光は遠くない。
だが、その光の中へ戻った時には、見える景色が少し変わってしまっているはずだった。




