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第74話 小早川からの連絡

10月31日、土曜日――


福岡県警の5班に大きな動きがあった頃――

真田瑞希は、束の間の休日に身を置いていた。


久しぶりの母親との2人の時間。

自宅の部屋や庭先の掃除を手伝い、カフェで昼食を取り、地元の商店街で買い物をする。


一見すれば、ただの帰省の1日だった。


だが、心は完全には休まらない。


昨日、宿曜神社で見た絵馬。

そこに書かれていたアルファベットの羅列。

“5音の印”。


何かが引っかかる。

胸のざわめきが、どうしても収まらない。


私服で買い物袋を提げながら歩いていても、頭の奥だけがまだ捜査の中に残っていた。



夕食を済ませた後、真田は浴室にいた。


湯気が天井へ上がり、鏡を曇らせていく。


浴槽の縁に置いていたスマホが鳴ったのは、ちょうど午後7時を回った頃だった。


表示は――小早川陽介。


真田はスマホをスピーカーに切り替える。


「もしもし。真田です」


「小早川です。休日は楽しんでいらっしゃいますか? あれっ? やけに声が響きますが」


「お風呂に入ってるんです」


「おっと……これは失礼しました。改めてかけ直しますので――」


「大丈夫です」


真田はすぐに言った。


「浴室なんで、かえって家族の目が気になりません。このまま続けてください――」


少し間が空いた後、小早川の声が戻ってくる。


「電話の趣旨はあくまでプライベートの近況伺いですが、今からうっかり“業務報告”をします」


真田は湯気の中で、小さく笑った。


「うっかり……どうぞ」


だが、その一言の奥で、すでに身体は少し緊張していた。


小早川が“今”連絡してくる時点で、軽い話ではない。


「2つ。1つは、今朝城戸谷留美という晴明女子高に通う生徒が、“例のメール”が送られてきたと母親同伴で相談に来ました」


「城戸谷……留美?」


真田の眉が動く。


「あっ、たしか前に事情聴取をした子ですね」


「ええ。真田さんが“何か隠している”と疑っていた子です。やはり、隠していました。2番目の被害者・三田村安奈に“例のメール”が送られてきたことを知っていたみたいです。証言を拒んだ理由は、自分のスマホを調べられそうになるのが怖かったからだそうです」


真田は小さく息を吐いた。


思春期の少女の心理。

守りたい秘密。

そこへ警察が踏み込もうとしたことへの抵抗。


理解できなかったわけではない。


だが、あの時の自分は“事件を追う側”の論理が先に立ちすぎていたのかもしれない。


後悔が、湯の表面を撫でるように、胸に一度だけ触れた。


浴室の中に一瞬、湯の音だけが残る。


そして、小早川の声が再び続いた。


「――もう1つ」


真田は、言葉を待つ。


「広域の由良管理官と接触しました。彼から真田さんに依頼がありました。東京に行ってほしいと――」


真田は目を見開いた。


「理由は?」


短く問う。


すると、小早川の声が一段低くなった。


「“ある人物”に連絡を取り、接触してもらいたいそうです。理由は、宇都宮の“闇”を暴く重要な証言を引き出すためだそうです。由良管理官が先方には事前に話を通してあります。真田さんは“休暇中の私的接触”という形で動いてほしい、とのことでした」


真田の指先が、浴槽の縁で止まる。


「続けてください」


「真田さんや5班のメンバーとだけは、情報共有の許可が出ています。由良管理官によると、宇都宮は――」


小早川の報告は、その後も続いた。


六本木。

高級ラウンジ。

不審死。

自殺扱い。

宇都宮。


真田は、湯に揺られながらスマホの向こうの話に耳を傾けた。


湯の温度は低めに設定しているはずなのに、顔から細かな汗が滲んでくる。


点と点が、まだ線ではない。

それでも、線になろうとしている気配だけはあった。


「……信じられない」


報告を聞き終えた真田は、ようやくそう呟いた。


だが、その一言のすぐ後で、自分の中の別の回路が動き始めるのを感じた。


城戸谷留美に“例のメール”が届いた。

昨日、自分が聞いた“5音の印”。

そして今、小早川が伝えてきた宇都宮の闇。


全部が別件のようでいて、どこかで触れている気がする。


湯気に包まれた浴室の中で、真田の目だけが、もう休暇の顔ではなくなっていた。


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