第7話 水曜日の法則
午後11時過ぎ――
別府の住宅街の一角にある更地は、四方をブルーシートで囲まれていた。
夜の住宅街は、もう寝静まっているはずだった。
なのに、その場所だけが仮設の照明に照らされている。
ブルーシートの外側には規制線。
制服警官が周囲を固めていた。
遠巻きに様子を窺う住民たちの気配が、暗闇の向こうにぼんやり浮かぶ。
ブルーシートの内側には、草の匂いと湿った土の匂い。
冷たい空気の中に、それが生々しく混じっていた。
そして、その中心に――
安奈の変わり果てた姿があった。
雑草に囲まれた地面に背中をぴたりとつけ、顔は夜空を仰いでいる。
見開かれた目は、もう何も映していない。
首筋には、何者かに強く絞められた痕。
そこだけが濃い紫色に変色していた。
制服の上着もシャツも、大きく乱れてはいない。
靴も脱げていない。
なのに――
前の被害者と同じく、スカートだけがなかった。
そこだけが、不自然に欠けている。
鑑識員がシャッターを切る音が、断続的に響く。
フラッシュが夜の闇を一瞬だけ白く塗り替え、そのたびに遺体の輪郭が浮かび上がった。
「……今回も、本当でしたね。いたずらであってほしいと、どれほど願っていたことか……」
臨場した真田瑞希は、低くそう呟いた。
その声は抑えられていたが、最後の一音だけがわずかに掠れていた。
視線は遺体から外れない。
つい1時間ほど前まで、この少女は学校帰りの道を歩いていたはずだった。
家に帰って、いつもの夜を過ごすつもりだったはずだ。
だが今、その時間はもうどこにもない。
今からおよそ1時間前――
午後10時ちょうど。
斉藤恵梨香の事件と、まったく同じような電話が、福岡県警地域課に入っていた。
「人を殺して、別府●丁目●番地の空き地に遺棄した」
あまりにも具体的な通報だった。
「俺も同感ですよ。しかも今度は、ご丁寧に番地まで指定してくるとは」
同じく臨場している小早川陽介が、苛立ちを隠さずに言った。
額に薄く汗が滲んでいる。
「真田さん。場所以外は、前の被害者とまったく同じです。絞殺。スカートだけを持ち去る。そして同じボイスチェンジャーの声。ここまで重なれば、もう同一犯と見るしかないでしょう」
「ええ。私もそう思います」
真田は短く答えた。
「今日も水曜日。そして狙われたのは、また晴明女子の生徒……」
そこで一度、言葉が切れた。
真田は遺体を見下ろしたまま、ゆっくり息を吐く。
水曜日。
午後10時。
晴明女子。
絞殺。
スカートだけがない。
ひとつひとつは断片でも、重なると急に形を持ち始める。
「ここまで計画的にやるには、相当入念な準備が必要です。なのに、今回も前回も、こちらにはまだ決定的な材料がない。そこが、どうしても引っかかります」
斉藤恵梨香の事件から、ほぼ1週間。
警察も手をこまねいていたわけではない。
だが最大の問題は、電話の発信元を特定できていないことだった。
相手が飛ばし携帯を使っている可能性は、当初から想定している。
通信会社に照会をかければ、ある程度の範囲は絞れる。
だが、それは事後の追跡に過ぎない。
通報の時点で犯人を押さえるのは、ほとんど不可能に近かった。
「前回は箱崎の通信エリア。殺害後すぐ電話したと仮定すれば、今回もこの周辺の可能性が高い。ただ――」
小早川は、ブルーシートの端を見つめながら言葉を切った。
「ここまで計画性があるなら、発信場所の特定くらい最初から織り込み済みでしょう。防犯カメラが増えた今、間抜けな犯人ならすぐ映像に引っかかる。だが、前回も今回も、周辺では有力な映像が出ていない」
真田は黙って聞いていた。
鑑識員が足跡を慎重に採取している。
だが、痕跡は少なすぎた。
「――それよりも」
小早川は額に手を当て、思案する。
「ピンポイントすぎるんですよ。前回も、今回も」
「どういう意味ですか?」
真田が振り向く。
小早川は遺体、更地の入口、周囲の住宅を順に見渡した。
「番地指定。しかも、実際に遺棄された場所と一致している。地図の上で適当に拾った言い方じゃない。歩いて知ってる人間の指定です。偶然で、ここまで正確には言えない」
真田は、その意味をすぐに理解した。
犯人は、現場を知っている。
ただの衝動ではない。
通り魔でもない。
最初から狙っている。
そして――
水曜日を選んでいる。
一定の間隔で。
一定の手口で。
一定の時間に通報まで入れてくる。
ブルーシートの外側で、夜風が住宅街をすり抜けた。
遠くで犬が一度だけ吠え、すぐに静まり返る。
2人の刑事の間に、重たい沈黙が落ちた。
これは、単発の事件ではない。
連続殺人だ。
法則が見えた。
だからこそ、終わったのではないとわかってしまう。
真田は小さく息を吸った。
冷たい空気が肺の奥まで入り込む。
その冷たさが、妙に現実的だった。
「もし本当に、水曜日を選んでいるなら……」
真田は、遺体からようやく視線を外した。
「次も来ます。止められなければ」
その言葉は、誰に向けたものともつかなかった。
小早川は無言のまま、更地の外へ目を向ける。
寝静まった住宅街。
閉ざされた窓。
暗い路地。
今も犯人が、この夜の中に息を潜めているかもしれない。
次の水曜日まで、もう1週間もない。
そう思った瞬間、真田と小早川の首筋を薄い寒気が走った。
これは終わりではない。
始まりなのだと、嫌でもわかってしまった。




