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第62話 青い司祭

10月30日、金曜日。

午前9時――


空は、どこまでも青かった。


雲ひとつない澄み切った快晴。

吹き抜ける風も穏やかで、昨日までの重たい空気が嘘のようだ。


だが、小早川の胸中は晴れていなかった。


隣を歩く曽我も同様だ。


2人が訪れたのは、中央区・浄水通にひっそりと佇む教会だった。


「意外だな。“アオさん”の職場が教会とは」


「ええ……正直、想像していませんでした」


正面に広がる礼拝堂。

石畳の一本道。


左手には大きな銀杏の木がそびえ、秋の陽光が葉を透かして、淡い黄金色の影を落としていた。


静かすぎる。


その静けさが、逆に落ち着かなかった。


小早川は胸の内で時間を数えるように歩いていた。

のんびり驚いている場合ではない。


昨夜4人目が出た。

真田は休暇という名目で外された。

残された手掛かりのうち、自分たちでどうにもできないものが復元作業とマルウェアだった。


だから来た。


教会だろうが何だろうが、今は関係ない。


その時――


「ようこそ。お待ちしておりました」


低く落ち着いた声。


振り向いた。


逆光の中に、黒いキャソックを纏った男が立っていた。

右腕には厚い聖書。


シルバーの長髪が、光を受けて淡く揺れる。


小早川の目が、ゆっくりと慣れていった。


そして、息を呑んだ。


聖画から抜け出してきたような、整いすぎた顔立ちの男。

両の瞳は、異様なほど澄んだ青だった。


「驚きましたか? ここが私の本当の職場です」


穏やかな微笑。


「ああ……目の色を気にされていますね? 祖父がドイツ人でして。隔世遺伝というやつです」


そう言って名刺を差し出す。


●●教会

司祭 青山功貴


「青山……功貴……」


曽我が呟く。


「だから“アオ”か……」


青山が促す。


「解析は終わっています。中へどうぞ」



教会内部。


高い天井。

整然と並ぶ長椅子。

ステンドグラスから差し込む光が、床に色彩の断片を落とす。


十字架が、静かに見下ろしていた。


その神聖な空間を横目に、2人は奥の小部屋へ通された。


小早川は思わず、皮肉を飲み込んだ。


今自分たちが縋ろうとしているのは、警察組織でも、鑑識でも、正式な協力機関でもない。

教会にいる、青い目の司祭。


あまりに場違いだ。


だが、そこへ来るしかなかったという事実の方が、もっと苦かった。


「成果物を確認させていただけますか?」


曽我が言うと、青山はクローゼットから紙袋を取り出し、その中からハードディスクをひとつずつ丁寧にテーブルへ並べた。


「すべて揃っています」


青山の言葉を受け、曽我がノートPCを起動し、データを確認する。


数秒。


そして――


「……すごい」


息を呑んだ。


「完璧に復元されています」


曽我の顔には、技術者としての純粋な驚きが浮かんでいた。


それだけで、この人物が本物だとわかる。


小早川は青山を見る。


「噂に違わぬ腕前ですね。では、マルウェアの件は?」


青山は静かに頷いた。


「これは、通称“オリガ・ストラースチ”と思われます」


空気がわずかに変わる。


「攻撃性の高い系統です。感染端末から接続機器へ侵入し、情報を抜き取り、場合によっては遠隔操作も可能になります」


曽我の顔が強張る。


「そんな名前……聞いたことがありません」


「当然です」


青山の青い瞳が、曽我をまっすぐ見た。


「表に出ていない。少なくとも、一般に流通している情報ではまず届かない代物です。“オリガ”という名の天才少女が作ったとされる、ロシア語で“オリガの情熱”。そう呼ばれているものと、挙動が一致しています」


小早川が腕を組む。


「そんなものを使える人間は?」


問いは短い。

だが、その裏には焦りがあった。


マルウェアが特殊であればあるほど、そこへ辿り着ける人間は限られる。

つまり、犯人か共犯者は、自分たちが想定しているよりずっと厄介かもしれない。


沈黙。


青山は天井を仰ぎ、数秒間目を閉じた。


「……判断しかねます」


再び目を開く。


青い虹彩が、光を受けて揺れた。


その答えは曖昧だった。

だが、適当なことを言わないという意味では、むしろ信頼できた。


小早川は、ふっと短く息を吐いた。


ここまで来て、さらに霧が濃くなる。

だが、その霧の性質が少し見えただけでも前進だった。


「助かりました」


曽我が静かに頭を下げる。


青山はわずかに微笑むだけで、何も言わなかった。



小早川たちが去った後――


教会の一室。


小皿の上で焚かれた香木が、静かに煙を上げていた。


「オリガ・ストラースチ……」


青山は呟く。


「“殻”も、ずいぶんと手の込んだことをする」


右目に指を触れた。


青いコンタクトレンズを外す。


現れたのは、深いダークブラウンの瞳。


左は青。

右は茶。


異なる色の瞳。


青い司祭は香木の煙に目を移し、しばらく動かなかった。


その沈黙は、祈りのようでもあり、何かを測っているようでもあった。


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