第56話 4人目
午後10時半過ぎ――
現場へ向かう車内には、重い沈黙が落ちていた。
サイレンは鳴らしていない。
だが速度は速い。
夜の福岡の街を、公用車が鋭く切り裂いていく。
フロントガラスの向こう、街灯の明かりが濡れた路面に滲んでいた。
少し前まで“終わったと思いたい夜”だったはずの街が、今はまるで別の顔をして見える。
助手席の真田は、唇を引き結んだまま前を見ていた。
また女子高生。
また午後10時の予告電話。
その時点で、最悪の答えはもう半分出ている。
けれど、まだ現場を見ていない。
遺体を見ていない。
だからこそ、胸の奥では最後の最後まで、何かの間違いであってほしいという祈りみたいなものが、微かに残っていた。
運転席の小早川も無言だった。
ハンドルを握る手にだけ、強く力がこもっている。
原口和人で終わるには整いすぎていた。
その違和感は正しかった。
だが、正しかったということは、また1人出たということでもある。
それが何より腹立たしかった。
「……くそ」
誰に向けたわけでもなく、小早川が低く吐き捨てる。
真田は何も返さなかった。
返せなかった。
現場周辺には、すでに地域課の警察官と数台のパトカーが到着していた。
規制線が張られ、遠巻きに人影が動いている。
小早川と真田は車を降りる。
夜気が冷たい。
肌に触れた瞬間、真田は小さく肩を震わせた。
案内された先は、福岡空港の滑走路にほど近い、開けた空き地だった。
夜の闇の向こうに、空港施設の白い灯りがぼんやりと滲んでいる。
周囲には背の低い雑草が疎らに生え、遠くからは空港特有の低い機械音が途切れ途切れに流れてきた。
空き地の端には、古びたプレハブ小屋がぽつんと建っていた。
仮設事務所の名残のような簡素な建物で、外壁の白い塗装はところどころくすみ、街灯の光も半端にしか届かない。
開けた場所のはずなのに、その小屋の周りだけが妙に人の気配を薄くしていた。
規制線をくぐる。
その時、現場の反対側から、よく通る甲高い声が飛んできた。
「ちょっと、そこ踏まないで! 痕跡潰したら承知しないわよ!」
真田が顔を向ける。
そこにいたのは、白衣の上からコートを羽織った佐伯理香子だった。
夜の現場だというのに、髪も化粧も崩れていない。
むしろ、こんな時ほど妙に華やかに見える。
「佐伯さん……? 現場に来られたんですか」
真田が少し驚いたように言う。
佐伯は手袋をはめながら、肩を竦めた。
「普段なら来ないわよ。一次所見は写真と搬送後の確認で十分なことが多いもの」
それから、遺体の方へ視線を向ける。
「でも今回は4件目でしょう? ここまで続いたら、前の3件との違いを現場で見ておきたかったの。搬送されてからじゃ消える情報もあるしね」
そこでようやく、小早川の姿にも気づいたように目を細める。
「……小早川くんも来たのね。なら話は早いわ。今回は、たぶん“同じようで違う”わよ」
軽口めいた調子だったが、その目はもう仕事のものだった。
「……でも、これは」
その声の調子が、すっと変わる。
真田は佐伯の視線を追い、そして足を止めた。
「……え?」
思わず、声が漏れた。
プレハブ小屋のそばにあったのは、これまでの3件とは明らかに違う光景だった。
女子生徒の遺体が、仰向けに、妙に整った形で置かれている。
乱雑ではない。
投げ捨てられた感じもない。
目は静かに閉じられ、両手は胸の上でそっと組まれていた。
頭のすぐそばには、スクールバッグまできちんと置かれている。
まるで誰かが最後に位置を直したみたいに、きれいだった。
だが同時に、前の3件と共通する点も、はっきりあった。
スカートがない。
制服の上半身は残っている。
だが、下半身だけが不自然に欠けている。
その欠落が、この遺体もまた同じ連続殺人の延長線上にあることを、嫌でも突きつけていた。
遠くで、飛行機の腹に響くような低音が鳴った。
その非日常の音が、かえって現場の静けさを際立たせていた。
「……何だ、これは」
小早川の声も、いつもより低い。
遺体の顔へ、ライトが向けられる。
真田は思わず息を止めた。
まだ若い。
制服姿の女子生徒だ。
その事実だけで、胸の奥が鈍く重くなる。
「身元確認、晴明女子高2年、中林梓沙さんです」
地域課の警察官が報告する。
真田は小さく目を見開いた。
晴明女子の生徒。
また同じ学校だ。
「でも前の3件と、違いすぎる……」
真田が呟く。
佐伯が、遺体のそばへしゃがみ込みながら低く言った。
「ええ。少なくとも、第一印象はまるで違うわね」
手袋をはめた指先が、空中で遺体の輪郭をなぞるように動く。
まだ触れ方は慎重だ。だが観察はすでに始まっている。
「スカートを持ち去っている点は同じ。そこは今まで通り」
佐伯は、わずかに目を細めた。
「でも今回は、そこから先が違う。これまでの3件は、もっと露骨に“処理した”感じが前に出ていた。けど今回は、遺体そのものの置き方が整いすぎてる」
小早川も、遺体から目を離さないまま低く言った。
「ええ。これは、ただ捨てた置き方じゃない」
それだけで十分だった。
予告電話はあった。
スカートは奪われている。
なのに、遺体だけがこうも静かに置かれている。
その組み合わせが、かえって不気味だった。
「予告電話の特徴は?」
小早川が地域課の警察官に向かって尋ねる。
「これまで通り、ボイスチェンジャーを使った声でした。場所の指定も正確です」
「……くそ」
小早川は、もう一度だけ低く吐き捨てた。
原口和人で終わらなかった。
しかも今回は、ただ4人目が出たのではない。
何かが、変わっている。
それだけは、現場に立った全員が感じていた。
*
一方その頃――
留美はネットニュースの速報を見たまま、動けずにいた。
女子高生の遺体発見。
また、午後10時。
また、予告電話。
そして、梓沙からはまだ返信がない。
嫌な予感が、ようやく形になる。
でも、その形を認めたくなくて、指先が震える。
スマホを握る。
画面は暗い。
何も返ってこない。
靴箱の前で、梓沙が振り返りながら言った。
「また連絡する!」
その声だけが、今さらのように鮮明に耳へ戻ってきた。
今すぐ電話したい。
けれど、何を確かめればいいのか、自分でもわからなかった。
*
現場では、鑑識が動き始めていた。
カメラのフラッシュが、静かな夜を断続的に切り裂く。
その白い光のたびに、梓沙の遺体の“整いすぎた姿”が、かえって異様さを増していく。
真田は、しばらくその場から動けなかった。
守れなかった。
それだけでも十分に重い。
今回の現場には、それに加えて、まだ言葉にならない違和感がある。
スカートは、これまでと同じように奪われている。
なのに、遺体の置き方だけが違う。
その意味は、まだわからない。
けれど少なくとも、前の3件と同じままではない。
そのことだけが、夜気よりも冷たく、現場に残っていた。




