第51話 解決祝い
10月28日、水曜日――
昼過ぎのニュース速報は、瞬く間に全国へと拡散した。
“水曜日の絞殺魔”――
ワイドショーやネットニュースが面白半分に定着させたその呼び名は、何日も前から人々の不安を煽ってきた。
だが、この日の速報はそれまでとは明らかに様子が違っていた。
――真犯人判明。
――不慮の事故に遭い、意識不明の重体で入院中。
大きなテロップが流れ、キャスターが“事件は終息に向かう見込み”と読み上げる。
晴明女子高でも、その一報はすぐに広がった。
「やっと終わるのかな?」
「これで一応、安心ってこと?」
「もう1人で帰っても平気かなあ?」
教室のあちこちで、そんな声が上がる。
教師たちの顔つきも、これまでより少しだけ緩んでいた。
もちろん、まだ完全に元通りなわけではない。
けれど、誰もが“ここで終わってほしい”と思っていた。
だから、その願いに寄りかかるように、空気は少しずつ軽くなっていく。
中林梓沙もまた、その空気の中にいた。
机に頬杖をつきながら、窓の外を見る。
灰色だった空は、午後になってわずかに明るさを取り戻しつつあった。
ここしばらく、自分の胸を締めつけてきたものが、ほんの少しだけ遠のいた気がする。
怖かった。
ずっと怖かった。
連続殺人そのものも。
青い写真も。
“エアリアル”という名前も。
そして、自分だけが抱えているあの夏の秘密も。
何ひとつ、本当は解決していない。
それでも、“犯人がわかったらしい”という事実は、少なくとも表向きの恐怖を一段だけ後ろへ退かせてくれた。
――これで、本当に終わるなら。
そう思った時、胸の奥にまだ小さな引っかかりが残っていることにも気づいていた。
けれど今は、その違和感より、少しでも普通の方へ寄りかかりたかった。
「留美、今日あなたの家に泊まってもいいかな?」
5限目終わりの休み時間、そう言ったのは梓沙の方だった。
「水曜日だから、一緒にいた方が安全かなって思ってたんだけど……でも、犯人わかったみたいだし。今朝、親にも“泊まるかも”って言ってきたしさ。久しぶりにどうかな?」
できるだけ自然な口調で言う。
本当は、事件を口実にしてでも留美の近くにいたかった。
青い写真が届いてからというもの、1人になると余計なことばかり考えてしまうからだ。
留美は一瞬きょとんとしたが、すぐに笑った。
「そうだね。じゃあ事件の解決祝いも兼ねて、うちに泊まる?」
その言い方が、いかにも留美らしかった。
「解決祝い、ね」
梓沙もつられて笑う。
留美はすぐその場で母親へメッセージを送った。
返事も早かった。
――梓沙ちゃんのご両親が了承してるなら、いいわよ。
9年近い付き合いだ。
お互いの家に泊まること自体は、今さら珍しいことではない。
でも今日は、その“久しぶりの普通”が、梓沙には少しだけ眩しかった。
「ねえ、この前言ってたじゃない? 隼人くんの友達紹介してくれるって」
梓沙は、なるべく軽く聞いた。
「あれ、もちろん忘れてないよね?」
「もちろん」
留美は笑って、梓沙の肩を軽く小突く。
「イケてる友達、多いっぽいよ?」
「ほんと?」
「ほんとほんと」
「よしっ、じゃあ期待しちゃおうかな」
梓沙も笑ってみせる。
留美の前では、こうして普通でいたい。
親友のままでいたい。
そう思うほど、胸の奥では別の感情が疼いた。
隼人の名前が出るたび、あの夏のベランダを思い出す。
けれど、留美の笑顔はあまりに無邪気で、それを壊したくなかった。
*
2人で教室を出ると、廊下の先に関谷コーチの姿が見えた。
職員室の方から戻ってきたところらしく、細いファイルを脇に抱えている。
「あ、留美さん」
名前を呼ばれて、留美は足を止めた。
「部のことだけど、まだ再開は決まってないの。連絡はちゃんと回すから」
「はい」
留美は素直に頷く。
それを見て、関谷は小さく頷いた。
それ以上は踏み込まない。
ただ、視線を少しだけ梓沙にも移した。
「今日も遅くならないように、気をつけて帰ってね」
関谷は静かな声で言った。
口調は柔らかいのに、表情の動きはあまりなかった。
関谷はそのまま、足音も立てずに通り過ぎていく。
その背中を見送りながら、梓沙が小さく言った。
「あの人って、いつも落ち着いてるよね」
留美は曖昧に笑った。
「……うん。そうなんだけどね」
それ以上、うまく言葉が続かなかった。
たしかにそうだった。
けれど今は、その“いつも”が、かえって現実味のないものにも思えた。
校舎の窓の外では、雨がようやく細くなっていた。
“解決祝い”。
その言葉が、休み時間の空気に軽く浮かんでいた。
誰もまだ知らなかった。
その軽さが、本物の終わりではないことを。




