第48話 代わり
真田と小早川が部屋を出ていった後――
重い扉が静かに閉まり、その音が廊下の奥へと吸い込まれていった。
室内には、再び雨音だけが残った。
窓を打ちつける雨粒が、一定のリズムでガラスを叩いていた。
まるで、時を刻む秒針のようだった。
宇都宮はしばらく窓の外を見下ろしていた。
記者会見まで、あとわずか。
雨に濡れた歩道を、色とりどりの傘が流れていく。
無表情のままそれを眺めていたが、やがて視線がほんのわずかに揺れた。
ゆっくりと、背広の内ポケットに手を差し入れる。
取り出したのは、黒いスマホだった。
誰にも見られていないことを改めて確認するように、室内を一瞥する。
応接用の椅子。
整然と並んだ書類。
国旗と県警旗。
そこに他者の気配はない。
通話ボタンを押した。
「もしもし……」
声は低く、抑えられていた。
「さっきまで、招かざる客人が訪ねて来ていてね。……そうそう、あのメールと画像に気づいて、調べろと言ってきた連中だよ」
わずかに息を吐く。
だが、その呼気には乾いた緊張が混じっていた。
「思った以上に早く感づいた。正直、肝を冷やしたよ。だが……何とか誤魔化した。ここまで引っ張って来られた」
返ってくる声を、宇都宮は黙って聞く。
その数秒の沈黙が、雨音よりも長く感じられた。
「――ああ、その件なら問題ない。万がいちに備えて、証拠はすでに消してある」
一瞬の静寂。
窓の外で、雨足がさらに強まったように思えた。
宇都宮は喉をひとつ鳴らし、声の調子を抑え直す。
「……それと、この後の展開についてだが、ちゃんとあの“代わり”は……役に立つだろうかね?」
言葉を区切る。
念を押しているのではない。
確認せずに進むのが怖いのだ。
返答を聞き終えるまで、宇都宮は一言も発しなかった。
やがて、ほんの小さく頷く。
「……わかった。さすがに抜け目はないようだな。場合によっては、私も動く」
唇の端が、わずかに吊り上がる。
「まったく……君は恐ろしい」
その声音には、畏怖とも愉悦ともつかぬ響きが混じっていた。
「では、こちらも手筈通りに進める」
通話を切る。
スマホの画面が暗転するまで、宇都宮はじっとそれを見つめていた。
先ほどまでの冷静さの下に残っていた硬さが、少しずつ別の熱へ変わっていく。
やがて専用ロッカーへ歩み寄った。
扉を開くと、内側に取り付けられた小さな鏡が現れる。
ネクタイを整え、襟元を正した。
鏡の中の自分と、視線が合う。
その顔には、抑えきれない薄ら笑いが浮かんでいた。
記者会見まで、あと数分。
外では雨が降り続いていた。
しかし宇都宮の胸中には、すでに別の嵐が動き始めていた。
――“代わり”はいる。
その言葉を、彼はもう一度、心の中で反芻した。
終わりを作るための言葉ではない。
何かがおかしいまま、それでも先へ進ませるための合図だ。
鏡に映る自分の笑みが、ほんのわずかに深くなる。
そして宇都宮は、何事もなかったかのように踵を返した。




