第46話 隠されているもの
小早川は「――あとは」と言いかけて、言葉を切った。
ホワイトボードの前に立ったまま、しばらく何も言わない。
雷鳴の余韻が、まだ執務室の空気に残っている。
再構築された3件目の犯行。
そこまでは、たしかにかなり見えた。
だが、小早川の顔にはまだ納得の色がない。
やがて、ゆっくりと真田の方へ視線を向けた。
「今夜にでも、宇都宮警視正にこの件を報告しておきますか?」
低い声だった。
真田は一瞬だけ目を見開いた。
「それって、メールの件を無視した“お礼参り”ですか?」
からかい半分のようでいて、その声色は冷静だった。
小早川は小さく肩を竦める。
「もちろん、それもありますが……本命は別です」
表情が引き締まった。
「若者の身元と住所を、早急に特定したい。残っているはずの4台の飛ばし携帯の端末も回収しておきたいんです。念のため、証拠は全部押さえておく必要がある。だから、他班の連中にも協力を仰ぎたい」
須賀が小さく頷く。
「たしかに、端末が残っていれば、他にも通信履歴があるかもしれませんね」
だが安山は、腕を組んだまま首を傾げた。
「でもよ、犯人は病院のベッドの上で意識不明なんだろ? もう事件は解決したも同然じゃないのか?」
率直な疑問だった。
室内がわずかに静まる。
「理論上は、そうだ」
小早川は淡々と答えた。
「だが、何となく引っかかる」
その一言で、全員が顔を上げた。
「そもそも動機は何なのか?」
「どういう基準で被害者を選んだのか?」
「単なる女子高生のスカート狙いにしては、準備が周到すぎる」
続けて、
「予告電話という演出も妙だ。自己顕示欲だけでここまでやるか?」
小早川は椅子に座ったまま、天井を見上げた。
蛍光灯の白い光が、彼の顔に薄い影を落とす。
「何かが、足りない」
ぽつりと呟く。
それは、推理の綻びというより、感覚に近かった。
物を奪っているのに、そこへ至る熱だけが妙に見えない。
見えていないのではなく、隠されている。
そんな気持ち悪さが、どうしても消えなかった。
佐伯が身を乗り出して、小早川の方へ近づく。
「すごいわ、小早川くん。まだ先を考えてるのね。私も協力するわ!」
距離がさらに縮まる。
甘い香水の匂いが強まった。
小早川はわずかに身体を引いた。
その瞬間、真田が割り込むように口を開いた。
「その若者の意識が、いつ戻るかは現時点では未知数です。最悪、戻らない可能性も否定できません」
淡々としたハスキーボイス。
「動機の解明も、端末の回収も、今のうちに進めるべきです。明日の朝いちばんで、宇都宮本部長を訪ねましょう」
迷いはない。
佐伯は一瞬だけ表情を曇らせたが、真田は意に介さなかった。
その直後――
ブラインドの隙間から、まばゆい稲光が走った。
室内が一瞬だけ白く染まり、続いて鼓膜を震わせる雷鳴が轟く。
誰も言葉を発しなかった。
嵐は、外だけのものではなかった。
事件は、かなり見えた。
それでも、まだ終わったとは言えない。
動機か。
あるいは、もっと別の“誰か”か。
小早川は静かに拳を握った。
昨夜、バーで飲み込んだ青の苦味が、また喉の奥に戻ってくるような気がした。
失ったものは戻らない。
だからせめて、これ以上失わせないところまでは食らいつく。
その執着だけが、今の彼を前へ押していた。
まだ、終わっていない。
外の雨は、なおも激しく窓を打ち続けていた。
だがその夜、誰もまだ知らなかった。
ここまで見えていたものが、まだ事件の半分にも届いていなかったことを。




