第44話 DNA一致
10月27日、火曜日。
午後4時――
空全体が黒い雲に覆われたかと思うと、突如として激しい雨が降り始めた。
朝のニュースでは「夜半過ぎから本降り」と予報されていたため、多くの人々は傘を持たずに外出していたのだろう。
通りでは、慌てて軒先へ駆け込む人影が見える。
時折、雲間を裂くような稲光が走り、その直後、腹の底に響くような轟音が街全体を震わせた。
「いや、まいったな。車を駐車場に停めた瞬間にこれだもんな――」
「本当ですよ。傘を持って出ればよかったですね――」
ずぶ濡れになった安山潤一郎と須賀修一が、肩を叩き合いながら執務室へ入ってくる。
スーツの裾から水滴が床へ落ちた。
5班の執務室には、当直明けで帰宅した矢野一哉を除き、ようやく全員が揃った。
「ご苦労さまでした。何か新しい収穫はありましたか?」
真田瑞希が問いかける。
「いや……こっちは相変わらず目新しい情報はさっぱりですね。ただ――」
安山は視線を真田へ向け、口元をわずかに上げた。
「真田さんは、何か掴んだ顔をしてるな?」
たしかに今朝とは違う。
瞳に、静かな確信が宿っていた。
だが安山は、さらに視線を横へ滑らせた。
「ところで約1名……様子がおかしいのもいるな」
小早川陽介だった。
椅子に深く座り込み、腕を組み、目を閉じている。
顔色は悪く、渋い表情を浮かべていた。
昨夜の失恋と、今朝からの緊張が確実に蓄積していた。
だが沈黙の奥には、何かが整いつつある気配もあった。
その時――
執務室のドアが勢いよく開いた。
「お待たせー」
場違いなほど明るい声が響く。
小早川は反射的に体を震わせ、目を開いた。
「あっ! 小早川くん、いたのね。頼まれた件、ちゃんと調べがついたわよ!」
監察医の佐伯理香子だった。
彼女が歩くたび、香水の匂いが室内へ流れ込む。
小早川は慌てて立ち上がる。
「お、お疲れさまです。さ、さすが佐伯さん……仕事が速いですね」
佐伯は手にしていた資料を軽く掲げた。
「あなたの推測通りだったわよ。預かったロープと布から、佐野里穂のDNAが検出されたわ」
室内の空気が、一瞬で変わった。
「DNA……一致?」
須賀が思わず声を漏らす。
「ええ。繊維の奥に付着していた微量成分を抽出した結果、完全一致よ」
佐伯は得意げに頷いた。
小早川は静かに目を閉じた。
予想はしていた。
だが、確証を得た今、その重みはまるで違う。
「おい、どういうことだ? ちゃんと説明しろ」
安山が身を乗り出す。
小早川は頷き、部屋の脇にある大きなテーブルへメンバーを集めた。
近くのホワイトボードには、事件の時系列と被害者3人の名前が書かれている。
小早川はその前に立った。
右隣には真田。
佐伯は少し離れた席に腰を下ろし、腕を組んで結果を見守っている。
「今回の晴明女子高連続殺人事件だが、少なくとも3件目の犯行の流れは、かなりはっきり見えてきたと思う」
全員の視線が集まる。
「まず、事故に遭った身元不明の若い男。右手の甲に大きなホクロがあった」
真田が静かに補足する。
「山邊が証言した飛ばし端末の購入者の特徴と一致します」
「さらに、その男の所持していたと思われるスマホの番号が、山邊の押収資料に記載された番号と11桁完全一致した」
清水が頷く。
「そして――」
小早川は佐伯の持ってきた資料へ視線を落とす。
「ロープと布から、被害者・佐野里穂のDNAが検出された」
室内に雷鳴が轟いた。
窓がわずかに震える。
偶然ではない。
事故は、犯行直後に起きた可能性が高い。
そして第3の被害者だけ、死亡推定時刻が約1時間後ろへズレていた。
鼻腔と口腔周辺からは、微量の睡眠薬成分も検出されている。
小早川はホワイトボードへ向き直る。
「つまり、3件目は――被害者を事前に眠らせ、拘束か口塞ぎに近い処置をした上で犯行に及んだ可能性が高い。犯行後、本来なら前の2件と同じように予告電話を入れるつもりだった。だが、その前に事故を起こした。そう考えると、今までの“例外”が全部繋がる」
誰もすぐには口を開かなかった。
雨音が窓を打つ。
雷鳴の余韻が、まだ空気に残っている。
「……そこまで見えたってことか」
安山が低く言う。
「少なくとも、3件目についてはな」
小早川は答えた。
「ただし、ここで終わりじゃない。むしろ問題はこの先だ」
ホワイトボードの端に書かれた数字。
山邊が売った10台。
すでに使われた6台。
残る4台。
「手順が見えたなら、次に来る“同じ手順”まで潰し切らなきゃ意味がない」
その言葉に、室内の全員が同じ日付を思い浮かべていた。
次の水曜日。
まだ残っている時間は、長くない。
外ではまた稲妻が走った。
だが今、5班の執務室で張り詰めているのは、嵐そのものではなかった。
今夜、どこまで詰められるか。
それが、そのまま次の水曜日に間に合うかどうかに直結していた。




