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第36話 言えない罪

留美にだけは、絶対に言えない。


梓沙は目の前にいる親友に平静を装っていたが、その胸の内は荒れ狂っていた。

鼓動が速い。

喉の奥がひりつく。


スマホに届いたメールには、写真の他に短い一文が添えられていた。


――はじめましてエアリアルと申します。


それだけだ。

あまりに簡潔で、あまりに意味不明だった。


だが、もう梓沙にとって問題は、文面そのものではなかった。


写真が怖い。

そこに自分の過去が封じ込められている。


そして今はさらに、その先の恐怖が首をもたげている。


――誰かが知っているのではないか?


その考えが浮かんだ瞬間、思考は一気に加速した。


いたずらにしては質が悪すぎる。

わざわざ、あの場所の写真を選ぶ理由は何だ。

「エアリアル」――誰だ?


隼人だろうか。


その可能性が浮かんで、梓沙はすぐに打ち消しかけた。

いや、そんなはずはない。

そう思いたい。


彼は今も留美と順調に付き合っている。

周囲から見ても、いわゆる“ラブラブ”というやつだ。


そんな彼が、自分たちの関係を壊すような真似をするだろうか。


考えたくなかった。


では、同じ塾に通っていた誰かだろうか。


あのベランダを知っている人間は限られている。

あの日、2人きりだったつもりでも、実は誰かに見られていたのかもしれない。


それとも――


まさか、留美が?


その可能性が浮かんだ瞬間、背筋に冷たいものが走った。


知られているはずがない。

でも、“知られていない”と断言できる根拠もない。


「梓沙、顔色ヤバいよ。……私の風邪、うつした?」


留美が覗き込む。


梓沙は慌てて視線を逸らした。


「えっ? そ、そんなことないよ!」


声がわずかに上ずる。


このままでは怪しまれる。

何か、別の話をしなければ。


「あ、そうだ。留美ってさ、隼人くんとラブラブだから、羨ましいなあ……」


自分でも不自然だとわかるほど、唐突な話題転換だった。


「ど、どうしたのよ、急に?」


留美はきょとんとした顔をする。


「本当は週末にデートの予定だったんだけど、彼の都合が悪くなってさ。だから昨日の放課後に会ったんだよね。昨日って、ちょっと寒かったでしょ? 帰りが遅くなっちゃって。それで今日は風邪引いたのかも」


屈託のない声だった。


「あ、そうそう。梓沙も早く彼氏見つけた方がいいよ。今度、隼人の友達紹介してもらえるよう頼んどくからさ!」


ニヤニヤと笑いながら、肩を軽く小突いてくる。


その無邪気さが、胸に刺さった。


だが同時に、梓沙はほんのわずかに安堵した。


隼人との一件が、留美には知られていない。

少なくとも今の様子を見る限り、疑われてはいない。


留美は駆け引きが苦手だ。

思ったことをそのまま口にする。


9年近い付き合いの中で、それは何度も確かめてきたことだった。


だからこそ、信じたい。

彼女は何も知らない、と。


だが、ポケットの中のスマホはまだ沈黙している。


あの青い写真も、

「エアリアル」という名も、

消えたわけではない。


誰かが知っている。

あの夏の出来事を。


そして、いつでもそれを引きずり出せる位置にいる。


そう思った瞬間、恐怖はまた少し形を変えた。


怖いのは景色じゃない。

過去そのものでもない。


“誰かが、その過去を握っているかもしれない”ことが怖いのだ。


自分だけが知っているはずの罪が、自分の外側へ出てしまったかもしれない。


その感覚が、梓沙の胸をじわじわと締めつける。


教室のざわめきは変わらない。


誰かが笑い、

誰かが鞄を閉め、

誰かが帰り支度をしている。


けれど、梓沙の中では静かに何かが崩れ始めていた。


この沈黙は、いつまで続くのだろうか。


そして、自分の“内緒”は、いつまで内緒のままでいられるのだろうか。


梓沙はポケットの中のスマホに、そっと触れた。


画面は暗いままなのに、その向こう側に誰かの気配がある気がした。


何も言ってこないこと自体が、かえって不気味だった。


指先が、わずかに震えた。


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