第34話 青に染まる放課後
10月23日、金曜日――
放課後の教室は、まだ熱を帯びていた。
部活動へ向かう生徒たちの足音。
机を引く音。
誰かの笑い声。
ざわめきは絶えないのに、その奥にはどこか落ち着かない空気が沈んでいる。
その中で、空いた席の椅子をくるりと回し、梓沙が勢いよく留美の正面に陣取った。
「――というわけで、私たち“ミス部”では、そこまで推理が進んだの。どう? 理解できたかね? 留美くん?」
どこか誇らしげな顔だった。
自分たちが掴みかけているものを、誰かに認めてほしい顔でもある。
一方の留美は、やや引き気味だった。
椅子の背にもたれかかり、鼻を啜る。
「はいはい。素人探偵さん、お疲れさま。……ていうか、梓沙、あんたほんと体動かした方がいいって。チア戻りなよ」
つれない言い方だったが、声に芯がない。
留美は昨日のデートの後、うっかり風邪を引いてしまった。
朝は起き上がれず、午後の授業からようやく登校したばかりだ。
熱は下がりつつあるが、まだ頭の奥が重い。
鼻の奥も、つんと痛む。
だから梓沙の熱弁も、半分ほどしか耳に入っていなかった。
「探偵ごっこじゃないってば!」
梓沙は机に両手をついて、身を乗り出した。
「もう少し裏づけが取れれば、警察にだって情報提供できるレベルなんだから!」
留美は鼻声のまま肩を竦める。
「あなたたちの推理くらい、警察もとっくに検討してるわよ。……それよりさ、一刻も早く犯人が捕まってくれないと、おちおち1人で外も歩けないよね。今日は久しぶりに、一緒に帰らない?」
その瞬間だった。
ピロン。
乾いた電子音が、教室のざわめきの隙間を縫って響いた。
2人の間に、わずかな沈黙が落ちる。
「ん? 私のスマホだ」
梓沙はバッグを引き寄せ、慣れた手つきで中を探った。
取り出したスマホの画面に表示された時刻は、16時13分。
「何だ、ショートメール……」
そこまで言いかけたきり、言葉が止まる。
画面に映っていたのは、濃い青に染め上げられた風景写真だった。
奥に、立体駐車場。
手前に、古びた一軒家。
ただそれだけの景色。
どこにでもありそうな、何の変哲もない街の一角。
なのに梓沙は、その画像を見た瞬間、反射的に息を止めていた。
胸の奥が、ひやりと冷える。
指先から血の気が引いていく。
意味を考えるより先に、体が拒否した。
見てはいけないものを見てしまった時みたいに。
画面の青が、ただの加工色ではなく、こちら側までじわじわ侵食してくるように思えた。
「メール? 誰から? もしかして梓沙、彼氏できたとか?」
留美が身を乗り出す。
無邪気な好奇心だった。
「い、いや……彼氏なんていないし。め、迷惑メール。気にしないで!」
梓沙の声は、わずかに裏返った。
その不自然さに、留美の表情が少し変わる。
だが梓沙には、そこまで気にする余裕がなかった。
視線は、画面から離れない。
スマホには、短い一文も添えられていた。
――はじめましてエアリアルと申します。
意味不明な名乗り。
それも十分不気味だった。
けれど今は、その文面よりも、写真の方が怖い。
青い。
冷たい。
ただの景色のはずなのに、そこだけ現実から色が抜け落ちているみたいだった。
そして次の瞬間、梓沙は理解してしまった。
この場所を、知っている。
立体駐車場の外階段。
手前の錆びた手すり。
微妙に傾いたブロック塀。
記憶の底に沈めていた風景が、無理やり水面へ引き上げられる。
「……梓沙?」
留美の声が、今度はさっきより低かった。
からかいではなく、本気で様子を窺う声だ。
梓沙はようやく瞬きをした。
喉の奥が、ひどく乾いている。
教室のざわめきは変わらないのに、自分の周囲だけ音が遠のいたみたいだった。
ただ不気味な写真だから、怖いんじゃない。
これは、自分に向けて送られてきたものだ。
そう気づいた瞬間、胸の奥が強く脈打った。
次の瞬間、胸に去来したのは、2年前の夏の記憶だった。
誰にも知られていない出来事。
決して掘り返されてはならない過去。
梓沙自身、ずっと水の底へ沈めたまま、見ないふりをしてきた時間。
その封じられた季節が、青の底からゆっくりと浮かび上がってくる。
梓沙はスマホを握りしめたまま、動けなかった。
放課後の教室は、相変わらず騒がしい。
誰かが笑い、誰かが教科書を鞄に押し込み、誰かが部活へ急いでいる。
世界は何も変わっていないように見える。
なのに、自分の中だけが、決定的に色を変え始めていた。
青に染まっていく。
教室ではなく、自分の放課後が。




