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第3話 スカートのない死体

10月8日、木曜日。

午前7時過ぎ――


福岡市東区箱崎の埠頭の一角は、朝からざわついていた。


黄色い立入禁止テープ。

その外側に群がる野次馬。

背伸びをする者、スマホを掲げる者、少しでも中を覗こうと身を乗り出す者。


その前に、制服警官たちが壁のように立っていた。


「下がってください! 立入禁止です!」


怒号とざわめきが、海風混じりの朝の空気を震わせる。


「すみません、通してください。県警です」


落ち着いた、ややハスキーな声だった。


長身の女性が、野次馬の隙間を器用にすり抜けていく。

テープをくぐり、海側へ足早に向かった。


黒髪のショートカットが揺れる。

無駄のない足取りに、現場の視線が自然と集まった。


福岡県警刑事課の真田瑞希警視だった。


真田が辿り着いた先では、鑑識員が断続的にカメラのシャッターを切っていた。


フラッシュの白い光が、そのたびに遺体の輪郭を鋭く浮かび上がらせる。


すぐ横の低い堤防の向こうには海。

東から差し込む朝日が水面に反射し、何事もないように静かに煌めいていた。


だが、その穏やかさの足元に、死が横たわっていた。


真田はまず、遺体ではなく周囲を見た。


足跡の乱れは少ない。

争ったような痕跡も、目立ってはいない。


遺体のそばに落ちたスクールバッグだけが、妙に“置かれた”ように見えた。


第一発見者は、夜明け前から釣りをしていた常連の2人組。

少し離れた場所に転がるマネキンのようなものに気づき、近づいて、それが人間の遺体だと知ったという。


そのうちの1人は、今も震えが止まらず、警官に支えられていた。


真田はようやく、遺体へ視線を落とす。


若い女性。

制服姿のまま、仰向けに横たわっている。


白く細い首の中央には、濃紫色に変色した一筋の索状痕。

大きく見開かれた目。

乾いた涙の跡。

口元に残るよだれ。


強い力で首を締められ、苦悶のうちに息絶えたことは明らかだった。


真田は一度だけ視線を伏せ、すぐに全体を見る。


制服の上着もシャツも、大きく乱れてはいない。

靴も脱げていない。

すぐそばにはスクールバッグもある。


それなのに――


スカートだけが、なかった。


下半身だけが、不自然に欠けている。


真田の眉がわずかに寄る。


乱暴に奪われたというより、そこだけを狙って持ち去ったように見えた。

死体を遺棄するだけなら、こんな欠落をわざわざ残すだろうか。


その不自然さが、胸に小さく引っかかった。


将来のある年頃の少女が、朝の埠頭にこうして横たわっている。


その事実が、遅れて重くのしかかってくる。


「ちょっと野暮用が入りまして、遅くなりました。さすが警視殿、現場到着が早いですね」


背後から、野太い声が飛んだ。


振り返ると、180センチ後半はある大柄な男が立っていた。


「警視殿という呼び方はやめてくださいと、何度か申し上げましたよね?」


真田が冷ややかに言う。


「失礼。つい言いやすいもので。申し訳ないですね、真田警視」


「警視も不要です。真田で結構です」


男は小早川陽介。

刑事課の警部補。叩き上げの現場肌である。


「はいはい。ところで真田さん」


小早川は遺体を見下ろしながら言った。


「本当に箱崎埠頭に死体があったんですね。やっぱり、あいつは嘘をついていなかった」


真田が顔を向ける。


「どういうことですか?」


「昨夜10時ちょうど。地域課に“人を殺して箱崎埠頭に捨てた”という電話があったそうです。最初はいたずら扱いだったらしいですが」


「何ですって?」


真田の目が鋭くなる。


「声はボイスチェンジャーで変えていたと思われるため、性別は不明。発信元もまだ確認中です。ただ、録音は残っているはずです」


真田は短く息を吐き、再び遺体へ目を戻した。


「首の索状痕から、死因は絞殺の可能性が高いでしょう。目立つ外傷はありません。ただ――」


「スカートがない」


小早川が引き取る。


「殺害後に持ち去られた可能性が高い。少なくとも、自分で脱いだとは考えにくい」


「同意します」


真田は近くの鑑識員へ向き直った。


「身元は?」


「バッグに生徒手帳がありました。晴明女子高2年、斉藤恵梨香さんと思われます」


真田は静かに目を閉じ、両手を合わせた。


数秒。


「死亡推定時刻は?」


年配の鑑識員が答える。


「昨日夕方から夜。詳細は解剖待ちです。別の場所で殺害され、ここに運ばれた可能性が高い。車を使ったと見るのが自然でしょう」


「金銭目的ではなさそうだな」


小早川がバッグの中を確認する。


「財布に1万円以上残っています」


「怨恨か、変質者か……」


真田は小さく呟いた。


「晴明女子高――名門校ですね」


その目は遺体から離れない。


「将来のある子なのに……」


その声には、感傷より先に抑えた怒りが滲んでいた。


「一刻も早く犯人を挙げないと」


小早川も低く言う。


青空が広がっている。

乾いた海風が頬を打つ。

朝の港は、どこまでも穏やかだった。


だからこそ、その中に横たわる死だけがひどく異質だった。


そして――

昨夜10時の通報。


それはただの偶然ではないのかもしれない。


死体が捨てられた。

それだけではない。


誰かがこの場所と時間を選び、見つかることまで含めて動いた。

そんな気配があった。


真田は遺体から視線を外さず、静かに思う。


これは、単なる衝動では片づけられない。


欠けているのは、スカートだけではない。

この事件には、まだ見えていない意図がある。


海は、何事もなかったように青く光っていた。


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